第3話 怨霊ノ巣窟(後編)

「あれが?」

後ずさりながらノエの方を見ると、視線を女の方に定めたまま頷いた。

「うん、自殺したっていう教師かな」

 その女はかろうじて人型を留めていたものの、肌は妙に立体感がなく、人の皮の中に何かが入って動かしているかのようだ。目の中は真っ黒で、涙のように黒い液体を流している。ぽっかりと開かれた口からは伸び切った舌がだらんと垂れており、首には荒縄が巻き付いたままになっていた。

「自殺するまで追い込まれて、こんな姿に行き着くなんて報われないな」

思わず呟くとノエが肩をすくめた。

「人を呪わば同じ穴の狢って言うだろ。辛いなら逃げればいい。素人のくせに呪術やら呪いやらに手を出すからこうなる」

 女はずるり、ずるりと音を立て、ピアノの中から地面へと這いずり落ちた。びちゃっと音を立てて着地すると、一瞬人としての形状を失い、液体のようになった。それが再び水音を立てながら一つに寄り集まっていく。

「おおおうぁぁが」

 呻き声をあげながら近づいてくるそれに、俺は身動きが取れずにいた。

「退がってて」

 ノエが俺の前に立つ。その瞬間、初めてノエに会った時のように姿が一瞬ブレた。そして焦点が定まった時には、黒い靄のようなものがその輪郭を薄く覆っていた。

 ノエは近づいて来るに歩み寄り、その首を数珠をはめた手でつかんだ。触れた部分からしゅうしゅうと音を立てて煙が上がり、女は絶叫した。

「があああああ」

「うるさいよ」 

 そしてノエはもう片方の手先をとがらせ、一気に女の胸を刺し貫いた。

「ご、ひゅっ」

 女は黒い血を吹き出しながら痙攣していた。ノエの手には何か黒いものが脈打ちながら握られている。

「これで終わり」

 そう言い放つとノエはその手を握り、黒い塊をつぶした。

「ごばっ」

 女は身をよじった後力を失い、そのまま床へ液体として流れた。そして古びた床板の中にしみこんでいく。

「もう大丈夫だよ、テンジン」

 ノエにまとわりついていた黒い霧は姿を潜め、振り返ったときにはいつもの姿だった。

「あ、あぁ」

 こんな悪霊相手に一ひねりだなんて、こいつ何者だ?

「なんでそんなにお前、強いんだ?」

「別に強いわけじゃない。ただ、霊体をつかめる。それだけ」

 そう言ってノエはさっき黒いものを握りつぶしていた手をひらりと俺に向けた。

「核っていうのかな。霊体の中でも特に弱い場所って言うのがあってね。大抵頭とか心臓の位置にあるんだけど。俺それつかめるんだよね」

「普通の人間じゃ触れないのか」

「うん。その前に素手だと手がただれちゃったり、霊体だからすり抜けちゃったりする」

 ノエはそう言いながら俺に歩み寄り、足元に空いた穴から覗く壺を見下ろした。

「これも処分しとかなきゃね」

 その場にしゃがむと穴に手を突っ込み、壺を取り上げた。そして蓋に張り付いた札のようなものをべりべりとはがす。

「えっ、開けて大丈夫なのか。それ札だろ」

 封印されてるものを開けるのはご法度のような気がする。

「逆だよ。これは封を切ることで解呪できるタイプ」

「これでもう大丈夫なのか」

「まだだよ。雰囲気まだ悪いでしょ、この校舎」

たしかに女は消えたものの、黒く漂う陰気な空気は変わらない。

「テンジン見てみて、中はね」

 そう言って嬉しそうにノエは蓋を開けて見せた。

「虫が入ってる。みっちり」

「う、わ」

 匂いもそうだが、立ち上る黒い霧が尋常ではなかった。

「あの女が仕掛けたんだろうね」

 ノエが札を上から押さていた黒い紐を取り上げた。よくよく見てみると紐だと思っていたものは長い髪の毛を編んだものだったようで、黒々とした光沢が光って見える。

「どうしてそんなこと」

「さぁ。自分をいじめていた生徒たちを呪おうとでもしたんじゃない。おおかたその素人呪術がきっかけになって、元から巣食ってた怨霊が活発化したとか」

 そう語るノエはあまり動機に関しては興味なさそうだ。

「君、出てきなよ」

急にノエは廊下の方を見た。つられて目を向けると、開いたままの扉の陰に、さっき逃げていった少年の影がためらうようにして顔をのぞかせていた。

「あの女に捕まってたんだよね」

そう訊かれ、黒い少年は微かに頭を動かして頷いた。

「辛かっただろ。もう大丈夫。ほら、こっちにきて」

ノエは優しい口調で語りかける。少年はゆっくりとノエに近づいた。ノエはその頭に数珠をはめていない方の手をかざす。

「目を閉じて、上を見て。光が見えない?」

少年は上を見上げた。俺の目には変わらない音楽室の天井が見えるだけで、何も見えない。

「お前はもうここには居場所がないけど、その光の方に行けばいい。ほら、身体が軽いだろ」

上を見上げた黒い影がだんだん薄くなっていく。そして細かな粒子へと変わると、空気中に霧散した。

「じゃあ次、関目のおっさん回収して体育館向かいますか」

ノエはぐるっと肩を回して背を向けると、出口へと向かった。今の光景に呆気にとられていた俺は一拍遅れて後に続く。

「まだ何かいるのか」

「うん。気配消えてないし、あっちの方にいっぱいいる感じがする」

 ノエは戸口に向かって最後の一歩を踏み出した。しかしその途端に前につんのめる。

「うわっ」

 ノエの足元の床が音を立てて割れた。壺を取り出すときに穴をあけたのがまずかったのか。薄い床板はたわんで割れた。亀裂は体重の重い俺の方へも走り、とっさのことに逃げる間もなく俺たち二人は下に落ちた。一旦天井裏で止まったものの、そこの板も年季が入っていたらしくあっけなく音を立てて崩れ、下の階まで勢いよく落ちてしまった。結構な高さを落下した上、鉄パイプでできた椅子にぶつけた頭が痛い。

「ノエ、大丈夫か」

 声をかけるが返事はない。立ち上がって見渡すと、少し離れたところにぐったりと横たわるノエの姿があった。打ち所が悪かったのか全く動かない。

「ノエ!」

 慌てて抱き起こそうとしたが、頭を打った時は下手に動かさない方がいいと聞いたことがあったのを思い出す。携帯を取り出して関目に連絡しようとしたが圏外だ。

「て」

 かすかにノエの声が聞こえ、身をかがめて顔を寄せた。

「大丈夫か、ノエ」

「とって、手の」

「手?」

 手を見るが、紫水晶の数珠しかつけていない。

「とって、じゅず」

 うわごとのように繰り返す言葉に、一瞬ためらったが従うことにした。厚めのパーカーの生地の上からつかんだ手首は思いのほか細い。

「っつ」

 数珠に触れた瞬間、静電気のような痺れが走った。しかしそれも一瞬で消えたため、難なく数珠を手首から外す。

「んん」

 うめき声が聞こえ、はっと見下ろした。色素の薄い瞳がこちらを見ている。

「ノエ、気づいてよかった」

 ほっとして肩の力が抜けた。

「誰?」

 ノエはくぐもった、どこか幼さを感じさせる口調で言った。

「俺だ。今日から仕事一緒に組むことになった天神」

 気を失って記憶が混乱しているんだろうか。ノエは俺の顔を見るといぶかし気に眉を寄せた。

「ノエの、友達?」

 友達という言葉に困惑した。この前初めて会って、仕事を一緒にすることになったばかりの同僚だ。俺たちは友達だろうか。

 しかし、やはり様子がおかしい。起き上がろうとするのでノエから手を離すと、頭を振りながら膝をついた。そして壁にすがるようにして立ち上がり、廊下へ出た。そして桟に両手をついて窓の外の校庭を眺めている。

「ノエ?」

「ノエじゃない」

 その声は冷たく突き放すようで、いつもの声より少し高く聞こえた。響きにもなんだか違和感がある。

「私は、内代ノエル」

 そして振り向いた顔つきも、自分の知っているノエとは違っていた。陽気さは鳴りを潜め、張り詰めた薄氷のようにもろく、鋭い雰囲気だ。

「ノエとは、別の人」

「別って」

 雰囲気と話し方が違う以外、姿はノエのままだ。多重人格、という単語が頭の中に浮かぶ。

「ノエとは、別の人格?」

その言葉にノエは首を振る。

「これは、もともと私の身体。あとから来たノエに、とじこめられてた」

 そう言うノエルは眉をひそめて下を見た。

「閉じ込めるって、頭の中に?」

 後からできた人格のノエに、閉じ込められていたということか?そもそも多重人格という症例自体、日常生活の中で目にする機会がないため、俺には本当なのかノエの悪い冗談なのかの区別がつかない。

「そう。私が悪いこと、しないようにって」

 ノエルはじっと自分の手を見つめている。

「ノエルは悪い子なのか」

 とにかく話をつなげるため、そう訊いてみた。

「さぁ。みんなそう言う」

 ノエルは肩を縮こめるようにしてそう言うと、窓の外を見た。言葉少な気に語る姿はどう見てもか弱い女の子そのものだった。ノエの雰囲気や服装、話し方から勝手に少年だと思い込んでいたが少女だったのか。

「ノエは悪霊なの」

「悪霊?」

「そう。怖い大人たちが私の中に封じ込めた、悪霊。私が悪い子だったから、器に選ばれた」

「それって」

 絶句して言葉が続かなかった。手に負えなかった悪霊を封じるために、子どもの身体を使ってるってことか。

 頭の中で家の蔵で読んだ封印術に関する知識をめくっていった。確かに、人を依り代にして悪霊や呪いの類を封印するという類の術自体は存在する。滅することもできなかった場合の最後の手段だが有効だ。その人間が生きている限り効果を発揮するし、まだ残されている寿命の長いの子どもを使うことで長く封じることが出来る。

 でもそんなこと、この子どもが何をしたにしろ、許されるはずがない。

「あっ」

 ノエルが窓の外を見て声を上げた。

「誰か、体育館に入っていった」

「スーツ着た男の人?」

「うん」

 ということは、関目さんはやはり先に体育館へ向かったということか。

「俺たちも行くから、ついてきて」

 そう言うとノエルは素直にこくっと頷いた。


 体育館は校舎からはそれほど離れていないが、いったん一階まで戻って渡り廊下に出る必要があった。

「ノエルの身体は、いつもノエが使っているのか」

 階段を降りながら、黙りこくっているノエルに話しかけた。

「そう。今日は数珠外してもらったから出てこれたけど」

 ノエルはなんでもないことのように言った。でも、それじゃあ死んでいるのも同じじゃないか。

「ノエルはそれでいいのか?」

「よくない」

 しかし既にあきらめてしまっているのか、その声と表情からは、何の感情も伝わってこなかった。

「俺が中に入るから、ノエルはここにいて」

 ノエの除霊能力は今しがた見たばかりだが、ノエルに関しては悪霊相手にとても戦えるようには見えなかった。

「わかった、待ってる」

 そう言ってノエルは体育館前のコンクリートの階段に座った。

「よし」

 俺は背中のバッグから祖父にもらった刀を抜き出した。ノエルが首をこちらにひねって俺の様子を見ていたが、ぽつりと言った。

「その刀、ほしい」

「え?」

 困惑して彼女を見下ろしたが、不安そうに手を伸ばしてきた。

「お願い」

 確かに、こんな場所に一人では心細いのかもしれない。ためらった末、彼女の小さい手に刀を渡した。

「すぐ戻ってくるから」

 そう声をかけるとノエルは俺に背を向け、大事そうに刀を抱え込んだ。あまり長い時間一人にはしておけない。腹をくくり、体育館の鉄の扉を開いた。


「関目さん、いますか!」

 声をかけるが、薄暗い体育館の中には人影は見えない。前方には幕が閉じられた舞台と、その横の扉が見える。慎重に歩を進めていく。

 その時、何かが足に触った気がした。慌てて見下ろしたが、何も見えない。


 中程まで進むと体育館の扉が、音を立てて閉まった。はっとして振り返っだがもう遅い。ガチャガチャという金属音は、鍵のかかる音だろうか。辺りが暗闇に包まれる。二階部分の窓から入る光だけを頼りに、扉まで駆け寄った。

「ノエル!聞こえるか、開けてくれ!」

 扉をたたくが返事はない。

 武器もなく、身を守るすべもろくに持っていない。薄暗い体育館の中で、徐々にその闇が蜜度を増してきている気がする。気のせいか、複数の人の気配がする。

「だれか、いるのか」

 俺の言葉に返事はない。しかし唸り声とも風の音ともつかない響きが、空間を揺らし始めていた。

 まずい。

「ノエル!頼む、開けてくれ!」

 扉の向こうで笑い声が聞こえた気がした。

「ノエル!」

 返事はない。

「くそっ」

 仕方なく暗闇に向き直った。やはり気のせいではない。黒い人影が何人も、こちらを取り囲むようにして揺れている。そして子どもの笑い声や、唸り声がその影から聞こえる。

「出口はほかにないのか」

 影の隙間を縫って走り抜け、舞台の方へと近づく。すると今まで下がっていた幕が徐々に上がっていくのが見えた。その向こうは白い霧に覆われていて、映写機もないのに次々と映像が浮かび上がっていた。

 子どもたちが遊ぶ様子、立ち並ぶ墓石、机の上に置かれた花、長い髪の女、一面の沼地。パチパチと映像が切り替わり、まるで様々な人間の目を通して見たこの場所の風景が時間軸もめちゃくちゃに切り取られているかのようだった。

 最後に、数十人の人間が並んだ集合写真のようなものが映し出された。いや、これだけは動いているから映像なのか。

 徐々に近づいてくるにつれて、その異様さに気づいた。人影は子どもや大人、男も女もいたが、首に縄が巻き付いたもの、血を流しているもの、首がないもの。死んだその時の姿のまま動いていた。明らかに生きている人間の姿ではない。

 その迫りくる影たちに押されるように、俺は一歩ずつ後ずさった。

 そして一番前を歩いていた子どもの影は、とうとう舞台の壇上に足をつけた。

 来る。

 背中を恐怖が走り抜け、俺は再び扉の方へと走った。ガンガンと扉をたたき、声を上げる。

「あけろ!開けてくれ!」

 扉は無情にも開かない。背後に迫りくる影たちの足を引きずるような足音と、うめき声、笑い声が聞こえる。金属の扉の表面を爪でひっかいた。恐怖のあまりその場にへたり込みそうになる。

「天神、いるのか!」

 関目の声が外から聞こえた。そしてきしんだ金属音を立て、わずかに扉が開いた。

「天神、早く出ろ!」

 言われる前に扉をおしのけ、俺は転がるようにして外に出ていた。ヘタリ込む俺の前で、関目が険しい顔で音を立てて扉を閉めた。

「体育館ごと燃やす。お前も手伝え」

 関目の横には二、三個のポリタンクが置かれていた。

「は、はいっ」

関目に渡されたガソリンタンクを抱え、体育館の周囲を走った。タンクの口からガソリンを壁に掛ける。結局一周する頃には三つ全部のタンクが空になった。

「一周、終わりました」

「ご苦労さん」

 そしてマッチ箱を渡された。

「建物に放火したことあるか?」

「ないです」

「やってこい」

 有無を言わさずそう言われ、俺はマッチに火をすってガソリンの中に落とした。炎は一瞬にして燃え上がり、まき散らしたガソリンを導火線のようにして走っていく。木造の体育館に見る見る間に燃え移り、建物に近寄れないほどの熱を発し始めた。

「こんなことして大丈夫なんですか」

立ち上がる煙に咳き込みながら後ずさった。

「許可はとった。それに俺たちと入れ替わりに消防が来るよう手配もしてある」

 関目は気にした風もなく、懐から蛇腹に折った紙を取り出した。

「あとは呪文の詠唱で仕上げだ」

 関目が念仏のようなものを唱えていく。蛇腹の紙を最後まで読むと裏面に回り、また最後まで詠唱が続く。その間にごうごうと建物から響くうめき声や悲鳴は、もしかしてまだ中に大勢の人がいたのではないかと思うほどのものだった。

一つの黒い影が炎から飛び出ると、俺の身体の中を通り過ぎて消えていった。途端に寒気に襲われ、ガタガタと震えが止まらなくなり地面に膝をついた。耳元でボソボソと呟く声が聞こえる。

「耳を貸すなよ」

 関目が背中を向けたままそう言った。

「可哀想だとか、下手に同情なんかしたら引きずられるぞ」

「わかり、ました」

 そうは言っても聞こえるものは聞こえてしまう。耳をふさごうにも、霊体の放つ音は実際に音として響いているわけではないから意味がない。

 俺はただ座り込んで震えながら、燃える炎と立ち上る黒煙を見上げていた。


 ごうごうと赤く燃える体育館を背に、関目が移動させたらしく校庭に停めてあった車へ無言で二人で歩いた。寒気は収まり、ただ疲労による身体の重さだけが残されていた。遠くの方から消防車のサイレンの音が聞こえる。

「ノエルは」

 ふと少女の顔がよぎる。一連の出来事ですっかり頭から抜け落ちていたことに気づき、うろたえた。

「その件だが」

 関目は険しい顔をした。

「お前、何したんだ」

「え?」

「数珠を外したのか」

 一瞬記憶を反芻して、ノエの手首の数珠を外したことに思い至った。

「はい、ノエが気絶しかけてたときに、そう言われて」

「そうか」

 関目が疲れた顔で言った。

「はじめに言っておくべきだったな。とにかくあいつの数珠は、何があっても外すな。数珠はまだ持ってるか」

 そう言われ、ポケットに入れていた紫水晶の数珠を取り出し、関目に渡した。無言で受け取ると、関目は体育館の外、校庭に停めた車に歩いていく。

 後部座席にはノエルが横たわっていた。両手用足をガムテープで縛り上げられている。その彼女を抱え、関目は地面に下ろした。俺が預けた刀は、助手席に立てかけられ彼女の手の届かない位置にある。

「なんで」

 俺が駆け寄ろうとするのを関目は止めた。

「近づくな。こいつは危険なんだ」

「は?」

 相変わらず、横たわった彼女の身体は細く、少女だと知ってからはか弱そうな女の子にしか見えない。しかし関目は静かに俺を見据え、淡々と語った。

「内代ノエル。やつは連続殺人事件の容疑者だ」

「連続、殺人?」

 この内気そうな女の子が?

「幼すぎて罪には問えなかったため、仕方のない措置だった」

「どういうことですか」

「奴は時間をかけて一人ずつ、自分の家族、友人を殺していた。一番最初の殺人は五歳。自分の弟を自宅近くの池に突き落として殺した」

 呆気にとられた俺に、噛んで含めるように関目は言った。

「自分と親しかった人間を、皆殺しだぞ。発見当時はまさか子どもが犯人だなんて誰も思っていなかったから発覚が遅れたが」

「それ、で」

「そのまま野放しにするわけにもいかない。だから偶然超常現象対策課に依頼が来た。たまたま別件で捕獲していた悪霊ノエに憑依させた。奴は元々人の霊魂で、言葉の通じる部類の怪異だったからな。肉体を与える代わりにノエルを封じてくれ、と頼んだんだ。体を欲していたノエは二つ返事で了承した」

「生きてる肉体への魂入れは、禁忌なんじゃないんですか」

 封印術として使われた過去の事例もあるが、元々その儀式は、墓石に死者の魂を入れたり地蔵や石仏に魂を入れる為の儀式のため、禁忌として扱われていると書物にはあった。ノエとノエル。二人分の魂があの小さな体には入っているのか。しかしそんな馬鹿なことがあるだろうか。悪霊より邪悪な子どもだなんて。

「時々ああいう、手に負えないケースが出てくる。そいういうときに俺たちは、毒を持って毒を制す。禁忌だろうが何だろうが、使えるものは使う」

「それがたとえ、人道に反する行為でもですか」

「あぁ。俺たちは大多数の市民の幸福のために動く。これ以上被害者が出ないなら、迷いなくそうする」

 関目は真剣な顔で言った。

「お前だって今日、危なかったんだぞ。俺が来た時にノエルは、体育館の扉をお前の刀をつっかえ棒代わりにしてふさごうとしていたんだ。気づかなかったのか?」

 入ってすぐ、体育館の扉が閉まったのはそのためだったのか。てっきり悪霊の仕業だと思い込んでいたが。

 体育館に誘導した後丸腰で閉じ込めて、怨霊に俺を殺させる気だったのか?

「ノエルが殺しを重ねる動機は、何なんですか」

頭の芯が冷えていく。

「人を殺したい、ただそれだけだ」

 信じられない思いで横たわるノエルを見た。顔は地面に向けられており、表情は分からない。

「その殺人事件って、何年前ですか? 俺ニュース見てますけど、そんなの見た記憶ないです」

「五年前のことだ。ニュースにはならなかった。俺たちがもみ消したからな」

「なんで」

「考えてもみろ。当時小学校低学年の子どもが連続殺人。それを罪に問えるか? 少年院に入れることは可能だろう。でもその後はどうだ。真面目に生活しているように見せかけることさえできれば、数年で世に放たれる。その時にあいつの人格は、きっと何も変わっていないだろう」

「どうしてそう言い切れるんですか」

 小学校低学年の子どもなんて、まだ幼い。更生の余地がないとは言い切れないんじゃないか。なにより俺はさっきまで見ていたノエルの不安そうな顔や儚げな表情が頭から離れなくなっていた。

「惑わされるなよ、天神。お前はあいつの本性を知らない」

「そんなことないです! 大体、悪霊も悪い人間も、結局は同じじゃないですか」

「ノエに対しては、もし規律を破れば体を没収するという脅しが使える。言い方は悪いが、代わりはいくらでもいるからな。でもノエルに対しては」

 ここで関目は言葉を切った。

「あの子は、そもそも脅し自体が成立しない。目的のために必要とあらば、自分の手足だって切断してしまうかもしれないほど、自分自身に対しても興味を持っていないんだ。自分のために目的があるのではなく、目的のために自分が存在していると考えている」

「目的って」

「人を殺すこと」

「どうして」

「自分も含めて、人がこの世界で生きる意味を見出せないと言っていた。かといって他の生物に肩入れしているわけじゃない。この世界自体の存在を許容できないんだろう」

「だからって、殺すことないじゃないですか」

「それが普通の考え方だ。でもノエルは違う。興味がないものに対して異常なほどに冷淡だ。担当した警察官も戦慄していたよ。『まるで人の言葉が通じないみたいだ』と」


 関目の話を聞いた俺は、呆然と横たわるノエルの姿を見た。

 やるべきことは一つ。ノエを取り戻さなくては。

「どうすればいいですか」

「また今度、このやり方を説明する。今は黙ってみてるだけでいい」

 そう言って関目はノエルに近づいていった。

「はなせ」

 ノエルは忌々し気にうめいた。しかし関目は動じない。

「お前はもう寝てろ」

「うるさい」

 ノエルは縛られた両足でみじろきして車の側面を支えに立ち上がる。縛られた両手足が赤く擦りむけて髪も乱れている。爛々と光る眼は見開かれ、血走っていた。一人で残されている間、ずっと逃げようとしていたのだろう。

ノエルは両足をバネにして、関目にかみつこうとした。しかし関目が手を上げる方が早かった。額に札を貼りつけ、肩を引き寄せると何かをノエルに言った。するとノエルはびくっと身体を震わせて立ち止まり、そのまま地面に崩れ落ちた。眼を見開き、びくびくと痙攣している。関目はその横にしゃがむと、白い泡を吹いている口に指を入れてこじ開け、もう片方の手で小瓶をポケットから取り出した。コルク栓を親指ではじいて抜くと口に当てる。黒い煙が口の中へ吸い込まれていった。

ノエルはせき込んだが構わず関目はその口と鼻を抑えた。白い喉が上下した後、痙攣が止まった。見開かれた目が光を失い閉じられる。

 関目はノエルの細い手首を取り上げ、ポケットから取り出した紫の数珠を取りつけた。

動かない身体を見続ける数分間は永遠にも感じた。

そしてしばらくすると閉じられていた瞼が開いた。

「関目」

 弱弱しいが、少し低いノエの声だ。

「テンジンは?」

「ここにいる」

 俺が声をかけるとノエは瞳をこちらに向け、頷いた。

「ノエ、絶対外すなと言っていただろう」

 関目は低い声でそう言った。

「そうは、言っても、さ」

 ノエは再びまどろように眼を閉じ、ぐったりと力を失った。力の抜けた身体を関目は軽々と担ぐ。

「車まで戻るぞ」

「は、はい」


「俺たちがこれをつけているのは自分の身を守るためだが、こいつにこれをつけるのは数珠の持つ力でノエルを封じて、ノエにこの体の主導権を握らせるためだ。逆に、この数珠がないとノエは長時間表に出てくることはできない。ただ今回みたいに、気を失った隙にノエルが出てくることがあるから注意しろ」

「そう、だったんですか」

 うわごとのように手から数珠をとれ、と言っていたノエルを思い出した。あれはノエの意識のゆるみに乗じてのことだったのか。

「無理をさせてしまったな」

 関目はぽつりと、横たわるノエの顔を見ながら言った。

「天神、お前も失敗はあったが、封印には成功した。初めてにしては大したもんだ」

「ありがとう、ございます」

 俺は今日、何もできていない。悪霊に囲まれ、パニックになった後は関目の言うとおりに動いただけだ。 

 それに横たわったノエの身体を見ていると、事情を知らなかったとはいえ、あの時何も考えずに数珠を外してしまった自分が腹立たしくて仕方がなかった。

「二人にして悪かったな。俺の監督不行き届きだ」

 それを察したかのように、関目が俺の背を叩いた。それすらも、情けない自分に気を使われているようでふがいない。俺は黙ってうなずき、車の助手席に乗り込んだ。


 関目の車で超常現象対策課の近くに着くころにはノエは目が覚めていて、にぎやかに車内で関目の失敗を皮肉っていた。

「あそこで二手に分かれたのがだめだったんだよ。しかも無限結界になんか引っかかってやんの」

「永遠に続く階段だぞ。きつかった」

 関目はため息をついた。

「おっさんだからな」

 ふふっとノエは楽しそうに笑った。

「まだ三十代だ」

 関目はぎりっと歯音が聞こえそうな声音で言った。

「テンジンはこんな大人になったらダメだぞ。そういえば腹減った」

「あー、もう悪かった。これでお前ら二人、社員食堂にでも行ってこい」

 観念したとでもいうように首を振り、関目は俺に回数券のようなものを渡した。

「何ですかこれ」

「食堂のタダ券じゃん。こんなのあるの」

 物珍し気にノエが俺の手元を覗き込んだ。

「役職付きの人間にのみ許された特権だ」

「やっすい特権。いこーぜテンジン」

 停車した車のドアを開け、ノエが軽々と外へ出ていく。俺も続いて出ようとした時に関目がぼそっと言った。

「ノエをよろしくな」

「え?」

 驚く俺に関目は苦笑いした。

「馬鹿を装っているが、不安定な立場の上に生きてるやつだからな。支えになってやれる人間が必要だ。俺がなれればよかったが、見張って時には罰しないといけない立場だ。友達にはなってやれない」

 その言葉に俺は考える前に頷いていて、自分でも驚いた。それを見て関目は車から降りた。


 ノエはだいぶん先を歩いていて、俺は走って追いついた。

「食堂ってどこにあるんだ」

「近くの定食屋と契約してて。敷地の外」

「それ社員食堂じゃなくないか?」

「裏門から出てすぐだよ」

 ノエの言う通り、裏門を出てすぐのところに食堂はあった。家庭的な雰囲気の食堂は昭和の居酒屋のような雰囲気で、酒を頼みたい気分になったがノエがいる手前時自重した。

「そういえば、お前、本当は何歳なんだ?」

 運ばれてきたばかりの天丼をかき込みながらノエに訊いた。

「中身のこと?」

「そう」

 するとノエは斜め上を見て考え込むような仕草をした。

「俺が死んだとき十歳で、悪霊やってた時代が二年、この身体に入って四年だから十六?」

「お前、もともと人間だったのか」

「失礼なやつ。悪霊だってもともと人間です」

 そう言いながら焼きそばをほおばるノエは悪霊とは程遠い。

「テンジンいくつなんだよ」

「俺? 二十二」

「へー、おっさんだな」

「うるさいな」

 箸を置いてもう一つ気になっていたことを切り出した。

「なんで悪霊なんかになったんだ?」

「なりたくてなったわけじゃないんだけど。デリカシーない奴」

 ノエは顔をしかめた。

「小学生の時、廃墟探険に友達と行ってさ。調子乗って仲間内で脅かしたりして騒いでた。最初のうちはよかったんだけど、出会っちゃったんだよね本物に」

「悪霊、とか怨霊の類?」

「そう。それで皆逃げたんだけど、俺躓いて転んじゃってさ。ちょうど地面に空いてた穴に落ちたんだ。多分その時死んじゃって」

 ノエはコップから水を一口飲んで続けた。

「死んだときのことってあんまり覚えてないんだけど。それから悪夢の始まり。でっかい悪霊の固まりに押さえつけられながら、囮役として子どもを誘いこんでたんだ」

今日見た子どもの黒い影を思い出した。あの時優しく接して導いていたのは、自分と同じ境遇の霊を助けたかったからか。

「その時、自分が死んでることに俺、気づいてなくて。そいつらの言うこと聞いて見逃してもらおうと必死だった。何人くらいだっけ。結構な数の子どもを身代わりにささげた。自分が痛い目見たくなかったから」

 ノエはその時のことを思い出しているのか、ぼんやりとした目つきをしていた。

「それで行方不明者が続いたもんだから超常現象対策課が調査にきて。封印されて捕まった」

 俺はノエの淡々と語る様子に、軽率に過去に踏み込んだことを後悔し始めていた。平静を保っているように見えるが、今更蒸し返して辛い思いをさせているのではないだろうか。

「それで捕まったとき、俺もうこんなことしなくていいんだってちょっとほっとした」

ノエは皮肉気な笑みを浮かべた。

「どれくらい経った後だったかな。俺、長い間寒くて暗いところに閉じ込められてて。そしたら急に関目が来てさ、閉じ込められている場所の蓋開けて話しかけてきたんだ。体が欲しくはないかって。そりゃ欲しいに決まってる。そう答えたら、条件があるって言うんだ」

 ノエは指を一本ずつ、順番に立てながら言った。

「一つ、超常現象対策課の職務を全うすること。二つ、人に危害を加えないこと、三つ」

 そこで息を吸い込んだ。

「内代ノエルを永遠に封じ込めておくこと。俺はその条件を呑んだ。それで魂入れの儀式をして、俺がこの体の主導権を握れるようになった。しばらくノエルとこの体の中で主導権争いをして、俺は勝った。初めて表に出た時は一気に体の感覚が戻ってきた感じがすごくて。しばらく動けなかったっけ」

 ノエはポケットに手を入れ、いつも食べている飴を取り出した。

「それでしばらくして、腹が減ったって言ったら関目が飴くれたんだ。それ口に入れたとき、あの時の感動ったらないね」

 ノエは手に持った飴を口に放り込んだ。

「で、俺は安月給と窮屈な生活に甘んじながら日々、人間ライフを楽しんでるわけ」

「悪い。変なこと聞いた」

 俺はそれしか言うことができなかった。

「べつに」

 ノエは両手を上に上げ伸びをした。

「今日はちょっと疲れたから宿舎戻る。テンジン、またな」

 ノエは食べ終わった箸を置くと、手を振って椅子から降り、戸口から外へ出て言った。

 しばらく空になったどんぶりを眺めた後、俺も立ち上がりおかみさんにお勘定を頼んだ。

「これ、使えるって聞いたんですけど」

 さっき関目からもらったつづりの回数券のようなものを取り出して見せる。

「あー、それね。期限先月までのやつよ」

「えっ」

 確かに券の下側には小さく「3月まで」の文字が書かれていた。

「わかりました」

 肩を落として二人分の晩飯代を支払い、敷居をまたいで外に出る。

 桜並木を歩きながら、今後の仕事について考えた。知識では知っていても、実戦で使うとなるとそれなりの練習が必要そうだ。封印術については基礎は祖父から学んでいたが、もう少し実践的で本格的なものが必要になってくるだろう。

 ため息をついて空を見上げた。ふいに強い風が吹き、思わず肩をすくめる。夕日が沈みかけ紫色に染まった空に、無数の白の桜の花びらが舞いあがり、消えていった。

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超常現象対策課 柴山ハチ @shibayama_hachi

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