07

 結局、手掛かりらしい手掛かりを掴めないまま時間だけが空転していった。

 それどころか取材も聞き込みも、銀独りではままならないことも多かった。

 廃区や迷路街の人間は警戒心が強い者が多い。震災の混乱期を誰の助けも得られることなく生き延びてきた彼らの処世術は明白だ。厄介事には関わらない。

 バリエーション豊かな犯罪が氾濫するアンダーグラウンドにおいて、他人の事情に下手に首を突っ込んでしまうようなお人よしは真っ先に淘汰される。同時、武力であれ知力であれ、目立つほどに秀でる者も積極的に消されていく。だからここで生き残る者というのは、危機察知という点で身を守る能力に優れた人間におのずと絞られてくる。

 そしてそういう人間は擦り寄ってくる部外者である銀を一切信用しなかった。ゆえにどれだけ聞き込みを続けたところで流れてくる情報などほとんどない。

 真知はもう少し上手くやっていたような気がする。銀と比べものにならないほどには取材の経験値や技術が高い真知は、やはり他人の懐に入っていくのが上手かった。自然で何気ない世間話を始めたかと思えば、気が付くと欲しい情報の聞き込みにいつの間にか話題が移っている。銀も見様見真似でやってみたものの、一朝一夕の猿真似でどうにかなる代物ではなく、一度として手応えを掴むことはできなかった。

 積み重なる徒労とにじり寄ってくる焦燥に、とうとう銀の心身が限界を訴えた。

 度重なる寝不足と疲労で立っていることさえままならなくなった銀は、根負けしたように手近な酒場へと入ることにした。

 空いている席を見つけ、どかりと腰を下ろす。店主らしきオヤジに目についた酒と肴を注文する。

 店内はそこそこ賑わっているようだった。

 手元の時計が示すのはまだ夜と呼ぶには少し早い時間だったが座席のほとんどは埋まっており、既に出来上がっている者もちらほらといる。銀が座るカウンター席の端には、空のジョッキを握りしめたまま机に突っ伏している浮浪者然とした男もいた。

 もちろん迷路街にも都市や廃区と同じ時間が流れている。だが陽光が決して届かない《東都》の影である迷路街は、どうやら昼夜という概念が希薄らしかった。

 皿とジョッキが無造作に銀の前へと並べられる。不愛想な店主は眉根を寄せた表情のまま別の客へと酒を運ぶ。

 銀は勢いよくジョッキを呷る。喉がカッと熱くなり、臓腑にアルコールが滲みていく。喉や胃に残るざらつきを、呑み込んだ唾液で流し込んでいく。

 廃区や迷路街で手に入る酒は例外なく粗悪な合成酒だ。ただ強烈な酩酊感を得るための飲料であり、味などは二の次だ。昔、二十歳の祝いに巧に驕ってやったことがあったが、巧曰く中学の理科室を思い出す味らしい。ちなみに銀はその頃から不真面目な学生だったので、理科室の臭いなど記憶の片隅にもない。

 ジョッキを一気に半分くらいまで空け、肴のエイヒレをつまむ。こっちの味は都市部の居酒屋と大差はない。ただそれは味付けの問題であって、それがちゃんとエイのヒレであるのかはまた別の問題だった。

 銀はその後いくつか小鉢を注文し、酒と一緒に胃の中へと流し込んだ。青く着色された魚の頭や何かの内臓の揚げ物などが出てきたが、どれも見た目ほど不味くはなかった。

 そうこうしているうちに酔いが回ってくる。疲れた身体に強烈な合成酒というコンボは、後味の悪い酔いを催すこと間違いない組み合わせと言えた。

 徐々に視界が揺れ始め、周囲の喧騒が近づいては遠退いた。このまま眠ってしまえばそれなりに気持ちがいいだろうと思った矢先、耳朶を打った声が銀の意識を現実に引き留めた。


「〈青の吸血鬼〉様様だよな、全くよ!」


 銀は腹立たしい声の方向を睨みつける。視線の先のテーブルでは、鍛えた筋肉を見せびらかすようにタンクトップを着た男と、対照的に痩身ながら肉食獣のようにギラついた瞳の男が座り、下品な笑い声を上げながら食事をしている。

 どうやら二人は解薬士らしかった。筋肉男の首筋にはフジツボのような鈍色の医療機孔メディホールが埋め込まれていた。痩身男の医薬機孔メディホールは見えなかったが、二人一組で行動するのが解薬士のルールなので、二人は相棒同士なのだろう。


「だってそうだろ? 結局のとこ、過剰摂取者も青血も同じ《東都》の害虫だ。無償で駆除してくれるっつうんだからありがてえ話だ」

「ま、おかげで俺らの仕事が減らないかが心配だけどな」

「心配いらねえよ。青血にはコードαは下りねえからな。俺らに代わって街を綺麗にしてくれるんだろ、〈青の吸血鬼〉様はよっ!」

「というか実際、不気味過ぎるってもんだろ? 怪我して青い血流れるなんて」

「違いねえな。ガハハッ!」


 二人は一際デカい声で騒いでいたが誰も気に留めはしなかった。迷路街が過剰摂取者の逃亡先や非認可薬物デザイナーズドラッグ密売の温床である以上、解薬士の出入りなど日常の一部なのだ。その彼らが仕事終わりに一杯引っ掛けていたところで、誰も気に掛けたりなどしない。

 だが銀は違った。

 進まない自己流の捜査に募った焦燥と疲労と苛立ち。それらがアルコールで大きくなった気に焚きつけられ、出口を求めて膨らんでいた。

 だから気が付いたときには既に立ち上がり、二人の解薬士を相手にガンを飛ばしていた。


「……なんだテメエ?」


 痩身男がジョッキを机に叩きつける。筋肉男も振り返り、銀に向けて凄んだ。


「なんだ酔っ払いが。この俺を誰だと心得て睨んでやがるんだ、ゴルァァッ!」


 威圧するように筋肉男が振り下ろした拳が木の机を真っ二つに叩き割った。皿や料理が床にぶちまけられ、和やかな賑わいに満ちていた店内は一転、剣呑な空気で張り詰める。


「…………みろ」

「ああん? ぼそぼそほざいてんじゃねえぞ、ガキが」


 筋肉男がずいと前に出て銀をさらに威圧するように見下した。だが銀は退かなかった。青血障害を害虫と侮り、不気味と嘲る男たちへの怒りが、銀のあらゆる理性を塗り潰していた。


「もういっぺん言ってみろっつてんだよっ!」


 叫ぶと同時、拳を振り被っていた。だが拳が届くことはなく、銀の身体は呆気なく宙を舞う。腕を取られ、投げ飛ばされたのだと気づいたときには壁を突き破り店の外へと放り出されていた。

 立ち上がろうとした銀の脇腹を筋肉男の鋭い蹴りが穿つ。転がった銀は胃に収めていた酒やら肴やらを一気に吐いた。


「てめえ誰に喧嘩売ったか分かってんのか? あ?」


 口の周りにべっとりと付いた吐瀉物を拭う間もなく、顔面を振り上げられた蹴りが打った。銀は仰け反って地面に倒れ込み、折れた歯が飛んだ。髪を掴まれて引っ張り起こされる。痩身男の凶悪な双眸が銀を映していた。


「ちょうど暴れたりなかったんだ。てめえをいたぶって憂さ晴らししてやるよ」


 銀も無抵抗ではいなかった。痩身男を睨み、その顔に向けて吐瀉物混じりの唾を吐きかける。激昂した痩身男の拳が鳩尾へと減り込んだ。

 喧嘩を吹っ掛けたものの、荒事を生業とし、血の気の多い解薬士などに銀が敵うはずもなかった。ほとんど一方的に殴られながら、それでも銀は憤怒と侮蔑をもって解薬士たちを食ってかかっていく。


「解毒屋ごときがよ……調子こいてんじゃねえぞ……」

「調子こいてんのはテメエだろうが!」

「減らねえ口だな。ぶっ殺されてぇのかおい!」


 吼えた筋肉男が腰後ろから物騒な代物を抜く。回転式拳銃を模した注射器。これと医薬機孔メディホールが、人外の異形と化す過剰摂取者を相手にする解薬士の武器だった。

 その拳銃の銃身の切っ先に取り付けられた針が首筋の医薬機孔メディホールへと挿入される。引き金を絞ると同時、空気の抜けるような音。特殊調合薬カクテルと呼ばれる解薬士が使用する薬液が体内へと流し込まれたのだった。

 刹那、筋肉男の肉体が発熱するように湯気を上げた。元の筋肉がさらに隆起し、全身から有り余る力が溢れ出ていく。


「おいおい、それはさすがにやべえって――――」


 痩身男の制止を掻き消すように、筋肉男が拳を放った。立ち上がった銀の腹を正確に打ち据えた拳は全身を貫くような凄まじい衝撃を与え、銀を紙切れ同然に吹き飛ばす。

 銀の意識は拳の威力に引き千切られるように、真っ暗になった。


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