06

「そうかぁ。知らないですかぁ」

「ええ。他を当たって頂戴」

「分かりました。ありがとうございます」


 真知が軽く頭を下げ、こちらに戻ってくる。真知からもらった煙草の煙を燻らせながら、派手なネグリジェに身を包んだ痩せた娼婦が銀の存在に気づき、誘惑するように手をひらひらと振った。銀が首を横に振ると、娼婦は潔く諦めて次の客を求めて雑踏へと消えていく。

 チカチカと明滅するネオンに照らされて、人々は身体を引き摺るように行き交っている。そこにはどんな活気もなく、まるで向かう先を失って彷徨っているように見えた。壁の亀裂から漏れ出す地下水は床を濡らし、より一層鬱屈とした空気を助長していた。

 銀は迷路街から視線を外し、隣りで深く溜息を吐く真知を見やった。


「だめだったか」

「うん。だめだめ。さっぱりって感じ。……ねえ、本当に《東都》の地下全部を虱潰しに回る気なんですか?」


 銀は地下の迷路街を通じて死体を運んでいると思われる〈青の吸血鬼〉の位置を絞り込むべく、もう三日も迷路街に潜り続けていた。

 一〇人の被害者の遺体はいずれも廃区やその近辺で発見されている。潜って聞き込みを続ければ何か手掛かりを掴めるかもしれないと思っていたが甘かった。

 銀は足元に繁茂している黒緑色の苔を踏み躙る。

 地下迷路街は広大だ。銀は今その意味を、身をもって痛感していた。

 震災以前、《東都》の地下には無数の地下鉄路線が張り巡らされ、駅直結となった様々な商業施設が栄えていた。これらのほとんどは震災被害で崩落し、水没し、復興計画から漏れた。見捨てられた地下空間は同じく都市に見捨てられた多くの人々にとって格好の逃げ場となり、今もこうして《東都》の煌びやかな繁栄に影を落とすように緩やかに存続している。

 迷路街は崩落と増改築を繰り返しながら野放図に根を広げ、《リンドウ・アークス》でさえも摘発や一掃はおろか、把握さえ不可能なほどにその規模を広げている。

 何の組織力も持たない銀が自らの足だけであるかも分からない手掛かりを探すなど、砂漠に落ちた一粒のダイヤモンドを見つけるよりも遥かに険しく、困難な道だったのだ。

 銀は真知のもっともな指摘に内心で唸り、後頭部を掻き毟る。他に〈青の吸血鬼〉へと近づく方法はないのだ。ならばどれだけ可能性が希薄で、達成が困難だろうとこの方法で進むしかない。


「仕方ねえだろ。嫌ならついてくんなよ」


 銀の苛立ちを露わにする。真知にそれを向けても意味がないことは分かっていた。だが懸命になればなるほどに、自らの無力を痛感せざるを得ない現実に、銀の苛立ちは募っていくばかりだ。

 そんな銀の内心を宥めるように、真知は頬を膨らめた。


「嫌なんて言ってませんよ。真実を追うのはジャーナリストの性なので。でももっと他に効率的なやり方あるよなぁ、って話ですよ。これじゃあ手掛かり掴むころにはおばあちゃんですよ」


 とは言うものの、銀も闇雲に聞き込みを続けているわけではない。遺体の遺棄現場に近い、もしくは繋がっている迷路街に目星をつけて聞き込みをしている。だが真知の手伝いもむなしく、掴んだ手掛かりはゼロだった。


「誰もお願いして付き合わせてるわけじゃねえだろ。とっとと帰ればいいだろうが」

「またそんなこと言って~。これでも心配してるんですよ? 銀さんほとんど寝てないでしょ? ジャーナリズムは身体が資本です。ちゃんと休んでちゃんと食べないと、もたないですよ?」

「休んでる暇なんかあるかよ。言ってんだろ。休みてえなら勝手に休んでろ。ついてくる必要なんかねえんだからよ」


 銀が吐き捨てると、真知はげんなりとした溜息を吐く。


「はぁ……。そんなんじゃモテませんよ? 女の子って、いつだって余裕のある懐の深~い男の人に惹かれるんですから。特に年上なら尚更です」

「あ? 何言ってんだ? それにお前が男を語るな、このド処女が」

「残念でしたーっ。私は処女じゃありませーん。てか銀さん、ロリコンですよね? なら当然処女のほうが好きなのかと思ってました」

「好きに処女も非処女も関係ねえだろ……って、何で俺がロリコンなんだ、ぶっ飛ばすぞ」

「え、だって巧先輩の妹って一〇個下ですよね。銀さん中一のとき相手二歳ですよ? これをロリコンと言わずして何と――いたっ」


 銀の拳骨が真知の頭に落ちる。被っていたベレー帽がずれ、真知の顔が埋まる。

「何するんですか。女の子に手を上げるなんて最低ですよ? ほらモテない。モ、テ、な、い!」


 真知が歯茎を剥き出しにして、まるで威嚇するように「いーっ」と唸った。駄々をこねるイヤイヤ期の子供じみた真知の表情に、ふと笑いが込み上げてきた。


「ふはは。はははっ、ブッサイクな顔してやがる」


 銀が笑うと、真知は悪戯が成功した子供のような、あるいは安堵して胸を撫で下ろしたような、柔らかな微笑みを銀へと向けた。


「ようやく笑いましたね、銀さん」


 その思わぬ可憐さに見惚れてか、あるいは真知の指摘に意表を突かれてか、銀は固まった。そして綻んだまま固まった自らの頬に触れる。

 忘れていた。焦るばかりで笑うことなど。

 真知はもう一度、銀に向けて微笑む。


「なにぼけぇっ、としてるんですか。いいんですよ、それで。苦しいときこそ笑わないと! おばあちゃんの知恵袋です」

「ありがてえババアだな、全く」


 真知のしたり顔に、銀ももう一度笑った。嫌な気分はしなかった。むしろ、ずっと胸の奥で突っ掛かっていた棘が溶けて消えたような、晴れやかさにも似た気分だった。


「それじゃ、私そろそろ戻ります。今日ゼミなんですよ」

「おう、そうか。学生様は大変だな」

「銀さんも学生ですよ? ちゃんと卒論とか書いてます? 今年こそは卒業しないと」

「うるせえな。ほっとけ。早くしねえと遅刻すんぞ」


 銀は鼻を鳴らす。手をぞんざいに払い、早く帰れとジェスチャーをする。


「素直じゃないんだから~。また時間見つけて手伝いますから、あんまり根詰め過ぎないようにしてくださいね!」


 びしっと人差し指を立てて釘を刺し、真知は去っていった。

 銀は真知の背中を見えなくなるまで見送って踵を返す。雑踏に紛れ、次の聞き込みへと向かうために足を前へと進める。いくらか軽くなった銀の足取りは、だが拭いきれない焦りを滲ませずにはいられなかった。

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