第7話 正体と招待

 警察署にいたのは三時間ほどのこと。きっと、人生で一番長い時間だろう。精神的にも肉体的にも疲労困憊で家に帰ったのに、ドアを開けて中に入ると愕然とした。

 狼が何時間も暴れていたせいで、部屋の中は足の踏み場もないほどぐちゃぐちゃだ。

 しかし、片付ける気力が今はなかった。ベッドの上にそのまま突っ伏してしまう。壊れていなくてよかった。こうして休める場所がある。生きていてよかった。自分もウサギも。

 そう考えた瞬間、手も足も、指先が急に冷えていくのを感じた。まるで現実感のない体験をしたはずなのに、こんなにも実感はのしかかってくる。

「なんて一日だろう」

 誰も聞いていないのに、口に出してしまっていた。でも、ここで眠って、明日の朝に目が覚めたら、またいつものように大学に行って授業を受け、夕方になればバイトにも行き、そういういつもと変わらない日常が巡って来て、何もなかったかのようにリセットされるのか。

 あの時のように。

 トリとのことだって。

「トリさん……」

「はい、何でしょう」

 空耳かと思った。でも、その音の響いた余韻を手繰り寄せるように、苗は急いでベッドから身を起こした。

「え……」

 本当に、トリがそこにいる。にこにこと穏やかに笑いながら、足の踏み場もないと思われる床に、器用に足を着ける場所を見つけて立っている。

 そして、その散らかった床の隙間を縫って歩いてくると、ベッドの上の苗の隣に腰を下ろした。

 また、夢を見ているのではないかと確認するために、苗は自分の頬をつねってみる。彼とこうして遭遇するときは、いつもそうだ。本当のこととは思えない。

 彼は、くすくすと愉快そうに笑った。

「言ったじゃないですか、呼べば来るって」

「で、でも……こんなの……」

「非常識って?……僕に常識を求めるなんて、ナンセンスなことをまだ言うつもりですか」

「それはそうですけど……なんていうか……」

 開き直ることでもないような。それに、こんなぐちゃぐちゃに散らかっているところに来られるとは、二重に苗は慌ててしまう。

「ああ、いいんですよ。勝手にやって来たんですから、客を迎える気遣いなど無用ですよ」

 しかし、こういうことを言う場合は、遠回しにお茶やお茶菓子を要求されているようなものでもあると、考えられなくもない。

「そんな……言葉をそのままの意味に捉えてはいけない京都の人ではないんですから」

 彼は相変わらず勝手に苗の思考を読んでいる。苗はむっとして、なんとかして上手い返しをしてやろうとした。そんなことは、無駄な抵抗だと知りながら。

「京都の方じゃないんですか?」

「京都ではないですね。どこの生まれかというと、※▽×○☆です」

「はい?」

「だから……※▽×○☆です」

 聞き取れない。それは言葉であるのかすらわからない。どちらかといえば、歪んだ雑音のようにも聞こえる。子供の頃に、両親に聴かせてもらった、伸びたカセットテープから聞こえる音のようだ。だが、聞いたこともない外国の地名や言葉などいくらでもあるのだから、と、苗はなんとか自分を納得させようとした。

「えっと……外国ですか?」

「外国というか……どの言語でも発音不可能な地名と言いますか。」

 どこですか、それは。

 苗はそう言いかけて、結局その言葉を飲み込んだ。そう、この人に常識を当てはめるのは、非常識なのだ。そして、だからからかわれているだけなのだろうと。だから簡単に翻弄されてはいけない。

 現に、彼はにこりと笑ってまた冗談のようなことを言う。

「それは、僕にわからない場所だから、そう言うしかないんですよね」

「それじゃあ、トリさんは宇宙人、っていうことにしておきましょう」

「それはいいですね」

 そんなわけがないことはわかっているし、これが皮肉であることもちゃんと伝わっているだろうに、まったく意に介していないようで、にこにこと笑っている。

 常識に捉われないということは、これくらいに神経が図太くなれることなんだろうか。

「それは冗談としても、トリさんって本当は何者なんですか。この間はまともに答えてもらえなかったので」

「僕が何者か……」

 うーん、と、突然に彼は首を捻りながら唸り出した。自分自身のことなんだから、そんなに考えるようなことなのだろうか。もしかすると、苗とのこのやり取りを大喜利としか考えていなくて、上手い答えを捻り出そうとしているだけなのか。事実がどうであるのかは関係なく。

「まあ、ただのではないですけど、人間ですね」

「はあ……」

「つまらない解答が一周回って面白いかと思ったんですが」

「もういいです」

 やっぱり、この人とまともに話をしようとしても無駄なのかもしれない。言葉の裏を読まなければいけないよりも、もっと会話にならない。本当のことを話す気が一切ないのだから。

 どうしてだかわからないけれど、もやもやする。取るに足らない相手と、軽んじられているような気がするからだろうか。でも、ただ失礼だと思うのとも違うのだ。

 そんなふうにあれこれ考えていて、苗はしまったと、無理矢理嗜好を遮断しようとした。心を無にしなければ、彼にはすべて漏れ聞こえてしまう。

 現にまた、彼はさも愉快そうにケラケラと笑い出す。

「まあまあ……そう怒らないでください。僕だってあなたに話があるからこそ、やって来たんです」

「話?」

「はい」彼はなんとか着地地点を見つけながらベッドのところまでやって来て、苗の隣に座った。「話というか、訊きたいこと……ですかね」

「そんなの、わざわざ訊かなくたって、あなたは私の心が読めるじゃないですか」

「それでもわからないことはあります。それに、はっきりと口にしてもらうことも大事なので」

「何ですか?」

 間があった。でも、苗から目を逸らさない。壊れた目覚まし時計が、針を進められずに同じところでコチコチと動こうと頑張っている音。

 やがて、その音をメトロノームにしたように、トリの声がゆっくりと音を奏でるように響いて来る。

「あなたは……自分の人生を愛していますか?」

「そんな哲学的な話ですか」

「難しく考えないでいいんです。ただ、生きていたいと思うか。あなたのその人生が愛おしいと思うか」

 苗はそんなことを考えてみたこともなかった。日々は淡々と過ぎていくだけ。同じようでちょっとずつ違う毎日が。そんな自分の毎日を、生きているということを、愛おしいと思うかどうかなんて、考えることもなく生きて来た。時々、酷く退屈で、呼吸をすることが苦しく思うようになることはあるけれど。でも、投げ出したいと思うようなこともない。その程度にしか。

 それになぜ、彼はそんなことを訊くのだろう。

 短絡的ではあるが、行きつく答えが一つある。

「まさか……あなたは死神ですか。私は死ぬんですか?」

 もしそうなら、苗はそんな運命に思いっきりあらがってでも、生きたいと思うか。たった十九年の人生で終わらせないように。死ぬ覚悟も、生きるために戦う覚悟も、そんなすぐにできることではない。

 だが、苗の問いに対して、トリもまた困ったように首を捻って言う。

「うーん……その理論だと、今日の危険にあなたを巻き込んでおきつつ、助ける、っていうのはおかしくないですかね」

「じゃあ、天使?私は地獄じゃなくて、天国へ行けるんですかね」

「そんな無垢なものに見えますか?」

 苗は間髪入れずに首を横に振った。だって、彼はいちいち人をからかってはぐらかすようなことしか言わない。その素早く素直な反応に、彼はやや不満げではあったが。

「いずれにしろ、そういった類のものではないですよ。あなたは死ぬわけじゃない。それに言ったじゃないですか。僕は、ただの、というわけではないけれど、人間だって」

「そう……ですか。じゃあ、なんでそんなことを訊くんですか」

「ただ、あなたはあなたの人生に後悔がないか知りたかった……それだけです」

「あなたは、私の何を知っているんですか」

「知っているから、じゃなくて……きっと、たぶん本当は、知らないからあなたにこうして会いに来て、あなたの口から聞きたかったんです」

 どこか寂しげな顔。これは、からかわれているわけではないのは、苗にもわかった。だから、真剣に答えなくては。でも、わからないのだ。

 せめて、それを素直に包み隠さずいうことが、今できる精いっぱいのことだろうか。

「本当に率直に言うと、わかりません。人生が嫌になるほどのことも、好きだと思えるほどのことも、何もないので」

「そうですか……」

「でも……今日の狼に襲われかけた一件があった後で、こうして生きていることに安堵している自分がいます。それから、トリさんと一緒に空中散歩をしたことは……きっと私の人生の中でも素敵なことだと思えることなんだと思います。だから、総じて考えると、私は生きていてよかったって思っているんじゃないでしょうか」

 話しながら、少しずつ自分の気持ちをかみ砕いて、苗はたどたどしくもそういう結論を見つけた。トリも微笑んではいた。だが、そこに何か複雑な色が織り交ざっているのが、明らかに見て取れて、そうやって前向きな結論を見つけられたと思ったことに対して、不安が生まれた。

「それがいいのか悪いのか僕にはわかりません。今のあなたが、自分自身の人生をそうやって認められているなら、それは何よりですが……でも……」

「それって、やっぱり私の人生が終わるみたいな言い方ですね」

「終わるんじゃないです。終わるんじゃないですけど……あの鏡を見てください」

「鏡?」

 彼が指さしていたのは、つい数時間前に苗がすり抜けていった姿見の鏡。今は、ただ普通に二人の姿を映しているだけだった。

「あなたは……あなたですよね」

 不可解なトリの一言に、苗はひたすら首をかしげるしかできない。

「まあ……そりゃあそうですけど」

 うん、と頷いた彼は、その鏡に向かって語り掛けた。

「こちらへ来てください」

 苗に対して言っているのではないのは明白であったが、それではいったい誰に言っているのだろうか。

 答えは直ぐにわかった。その声に呼ばれるようにして、鏡の中から一匹のウサギが出てきたのだ。すーっと、水面から浮かび上がってくるように。

「な……」

 苗は思わず間抜けな叫び声を上げてしまった。

 鏡から完全に抜け出すと、まるですっかりこんなことには慣れきっていると言わんばかりに、すとんと綺麗に着地した、柔らかいフワフワの毛で、鼻をひくひくさせている、とても見覚えのある、白いウサギ。

「もしかして、あのウサギ?」

「そうですよ」

 ウサギは答える。男のものとも、女のものともつかぬ高さの声。さっき聞こえてきた声ともまた違う。でも、あれは一体何だったのかという疑問にまで頭が働かない。それよりも、今の目の前の事実。

「しゃ、喋るの?」

「ウサギが鳴かない、喋らないなんて、一体誰が決めたんです」

「誰が決めたとかそういうことじゃなくて……」

「話があるなら喋る、当たり前のことをしているだけでしょう。……その前に、私はあなたには言うべきことがありますね」

「な……何でしょう」

 苗は思わず姿勢を正してしまった。なんとなく、このウサギの口調がそこはかとなく威圧的だからだろうか。トリは、口も挟まず、ただウサギを見ているだけだ。だから、このウサギに対していったい自分はどういう反応をしたらいいのか、苗はわからなかった。喜ぶべきなのか、素直に受け入れるべきなのか、恐れるべきなのか、忌むべきなのか。

 でも、ウサギの口から出てきた言葉を聞いて、若干その緊張は緩んだ。

「助けていただきありがとうございます」

「えっと……それなら、私よりもトリさんに言うべきでは」

 苗は、トリの方に目をやった。

「ああ……それは……」どこか冷めたような声でウサギは言う。「この人に礼を言う必要はありませんよ。彼は私を助ける代わりに、自分の目的のために私を利用しただけです」

「……何のために?」

 わざとらしく、トリは苗から目をそらした。何かを隠していますと、あからさまに示しているように。

「まあ、そこに関しては、私たちの間でもう話が済んでいることですから、いいじゃないですか」

「はあ……そうですか」

 そう言われてしまっては、第三者の苗が敢えて口を出すことではない。だから、それ以上は言及はしなかった。トリは一体何の目的があって苗に近づき、こんなことをしたのか、やはり気にはなるが、トリ自身にしても、ウサギにしても、もうこの話を続ける気はないらしいのであるし。

 ウサギはぴょんと跳ねて、ベッドの上に飛び乗った。苗とトリの間に着地をする。

「お嬢さん、君はお茶会へ遅れていくのと、時間通りに行くのとどちらがいいと思いますかね?」

「そりゃあ、時間通りに行く方が……」

 何でこんなに突拍子もない質問に普通に答えているのだろうかと、苗は自分でも驚いた。

「あなたの感覚からすれば、そうでしょうとも。でも、ある人からすれば、早く来られるほうが迷惑だと考える場合もある。私が話しているのは、そういう常識なんですよ。あの狼から身を挺して助けてくれようとしたのはあなただ。だから、私からしたら、あなたに礼を言うのは当然のこと。それはそれとして……その鏡を見る時、あなたはどうしてます」

「え……どうしているって……ただ、普通に見てますけど……それが何か?」

「鏡って、自分の姿を映すでしょう」

「ええ」

「その鏡は本当にあなたの姿を映しているんですかね。何だって、シュガーコーティングされていると思うべきです。子供に語るおとぎ話のように」

 何か、そこに先ほどのトリの質問に対するヒントがあったように思えて、苗は姿見の鏡を見た。狼に襲われそうになった時、このウサギと自分に抜け道を与えてくれた鏡を。

 そこに映る自分の姿は、見慣れたものだった。よれよれの部屋着のままだし、疲れていて余計に惨めさが増しているが。

「鏡なら……毎日見ていますけど。そりゃあ、別に美人でもないですけど、それはそれとしてわかりきっているので、ちゃんと受け止めています」

「いや、そういうことじゃなくってね。本当の姿っていうのは、別に美醜の問題でもないし、見えている事実、でもない。鏡は本当のことを映さない。その証拠に、鏡によっては太って見えたり痩せて見えたり、歪んで見えたりするでしょう」

「まあ、そういうこともありますよね」

「あなた自身の姿だけじゃない。一緒に映っているこの男の姿だって……」

「え?」

 苗が反射的にトリの方を振り向くと、明らかに、トリの動きが不自然になった。いつもは、ゆったりとした優雅なしぐさであるのに、まるでそれがボンドで固められてしまったみたいに、かちこちと硬い。

「やっぱり、僕は帰ります」

 急にそんなことを言い出すのだし。

「な、なんですか、いきなり」

 すっくと、彼は立ち上がった。でも、帰るとは、どこから帰るのだろう。玄関からだろうか、窓からだろうか、はたまた、鏡なのか。あるいは、突然に消えてしまうのか。

 そこで、ウサギが、ふっ、と嘲笑する声がした。

「おやおや、逃げるんですか?私をわざわざここに呼びつけておきながら。その目的も果たさずに……」

「逃げる……」

 心外だ、というように、トリの眉毛がピクリと動いた。ウサギはわざと挑発していることなどわかっているだろうに。

「そうですよ。本当は怖くなったのでしょう。カーテンが開けられて、真実がそこに晒されることが」

 すっと、目を眇めてトリはウサギを睨むように見ていた。何かもの言いたげだが、はっきりと口に出しては言わない。

「あの……一体何の話なんですか」

 苗のそんな問いかけに耳を貸さないかのように、ウサギはトリに向って言った。

「まあいいでしょう。帰るなら帰りなさい。ただ、遅かれ早かれ、あなたには責任をしっかり取っていただきますからね。そういう約束のはずです」

「わかってます……」

 必要以上の言い訳をせず、それしか言わない。トリは、自分でも認めているのだろう。臆して逃げ出す、その事実を。何の話なのだか、苗にはさっぱりわからなくても、それは感じ取れた。

 苗は思わずトリの服の袖を掴んでしまった。引き止めるように。

「帰るんですか?」

「ええ……今日は」

 トリは、どこか申し訳なさそうに苦笑していた。それはそうだろう。このまま、訳の分からぬままで、中途半端に放り出されるだなんて。

「今日は……何か用があったわけじゃなくて、私が呼んだから来ただけなんですか」

 鏡の中に入っていこうとしていた彼の手が、ぴたりと一瞬止まる。しかし、そのまま強引にねじ込んでしまう。それ以上は詮索させないように。

 そして、ウサギはそれに重ねるように言う。

「何なら、私がすべてをお話ししてもいい。私があなたに対してお礼を言わせてくれと頼んだから、というのもあるけれど、もしかすると、彼は私に本当のことを話させるためにここへ呼んだのかもしれない。自分で話す勇気がないから」

「それは止めてください。僕じゃないと意味がない」ぴしゃりと、トリは撥ねつけた。「あなたをここへ呼んだのは、ただ、彼女に挨拶をしたいというあなたとの約束を果たしただけです。苗さんに会いに来たのも、それだけです」

「で、でも……」

 このままでは、苗も納得できるわけがない。それは、トリだってたとえ心が読めなかったとしてもわかっているだろう。読めるならば、なおさら。

 それでも、彼は念を押すように言った。

「とにかく、僕も彼もあなたに感謝している……今はそれだけわかってください」

 そこまで言われれば、苗もそう納得するしかない。たとえ、今後の人生でずっと気になって引っかかることになるであろうとしても。

 彼女は密かに思った。この命が尽きるその時には、枕もとでそっと教えてくれればいい、と。謎を残したままでは死にたくはないから。

「わ、わかりました……」

 そんな苗の思考をまた読んだのだろう。トリの口元が僅かに歪んで、笑うのを必死に堪えているようだった。失礼な人。苗はむっとして、掴んでいた彼の袖から手を離した。どうぞ、お帰りください、とばかりに。

 うーん、と、トリが唸る声がする。

「代わりに、今度お茶会にでも招待しましょう」

「お茶会?」

「はい。大丈夫ですよ、毒入り紅茶なんて出ませんから。……次はいつだったかな。ふたご座流星群の日だったか」

「どこで……ですか?」

「まだ決まってませんよ。今度の主催は誰でしたっけ」

 トリの問いに、ええっと、と、ウサギは首を捻って、頭の中を探っていた。

「確か……ヤギさんではなかったかな」

「ああ、そうそう。だったら、場所はあそこだろうな。二丁目の山本さんの家の屋根の上」

「でしょうね」

 人の家の屋根の上でお茶会を勝手にするとは。そりゃあ、彼らのことだ、常識など考えてはいけないものであるのは明白であるとしても、いくらなんでも酷くはないか。でも、なんだかそれはそれで楽しそうな気がするのも否めないが。

 動揺と高揚が、同時に苗の中で沸き起こってくる。二つの感情はぐるぐる回って、余計に彼女を混乱させるばかりであるが、トリにはそれが可笑しくて仕方がないようだった。遠慮なく腹を抱えて笑い出す。

「冗談ですよ」

「ああ……じょ、冗談ですか」

 ほっとするやら、恥ずかしいやら。いずれにせよ、苗の顔はどんどん赤くなっていった。それがまた、トリを面白がらせるだけなのに。

 彼の顔が、悪い笑みに変わる。

「半分くらいは」

「半分は本当なんですか」

「まあ……ヤギさんが主催というあたりまでは」

「そ、そうですか」

「その日になったら迎えに行きますから、そう心配なさらずに」

「は、はい……」

 いきなりいろんなことを勝手に決められても、苗の頭は追いついていけなかった。だから、生返事になってしまう。

「何か問題でも?……都合の悪い日とかあるんですかね」

「えっと……」

 どこか無邪気とも言えるような顔をして聞いて来るトリに、苗は何と言っていいのかわからなかった。都合がどうこうの問題でもない。

 そう、思考が読めるならわかっているはずなのに、彼はわざと惚けているのだ。本当に、憎らしい。

 不満げな顔をして、今にもトリに食ってかかりそうな苗を宥めるように、ウサギが言う。

「それは問題ないでしょう。彼女の都合のいい日なのだから」

「まあ、そうですね」

「何でわかるんですか。私がそれほど暇だとでも?」

 苗がムッとしてそう訴えると、トリは慌てて否定した。

「いやいや、そうじゃなくてね……そういうふうに出来ているっていうか」

「どういうことですか」

「あなたのためのお茶会だからですよ」

「私のための?」

 誕生日なら、八か月も先のことだ。それ以外にも、何か祝ってもらうような理由は何もない。これはあれなのだろうか。何でもない日おめでとう、という。

 いや、まさか。

「理由なんてないですよ。僕はあなたをそのお茶会にお誘いするために、本当はあなたに近づいて、今日もここへ来た。それでは駄目ですか」

 興味がないことはない。しかし、その場でどんな振る舞いをするのが適切なのか、それを考えると頭が沸騰しそうになる。

 うーん……と唸り出した苗を、またしてもウサギは宥めるように、妙に落ち着いた声で言った。

「そう難しく考えることもありません。来ればわかることです」

「はあ……」

「ドレスコードもない。なんなら、今着ているそのよれよれのスウェットだっていいんですよ」

「いや、それはさすがに……」

 こんな格好でお呼ばれしたお茶会に行くなど、女としてのプライドが許さない。むしろ、ここぞとばかりにお洒落をしなければ。

 そんな苗の女の意地とプライドを読み取ったであろうトリは、にっこりと、無邪気に笑った。

「楽しみですね」

「そ……そうですね。あの……」

「なんですか?」

「その時には、本当のことを教えてくれますか」

 苗の問いに、彼はただ微笑んだだけだった。

 その笑顔に、苗はもうそれ以上何も言えなくなってしまう。期待と不安とどちらが大きいのかはわからない。

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