第2話 あなたのおうちはどこですか

 次に意識がはっきりした時には、住宅街の道端にしゃがみ込んでいた。

「あれ……」

 目の前には白いウサギが一羽。そう、このウサギを見つけた時に時間が遡って行ったかのようだ。そして、彼の姿はどこにもない。ウサギと二人、いや、正確には一人と一羽きりだ。

「夢、だったのかな」苗は自分の頬をつねってみた。痛い。空を歩いていたあの時と同じように。「そうだよね、夢じゃない……でも……」

 あの人の力なら、何が起こったとしても不思議はないと納得するしかないのだろうか。時間が巻き戻されたのか、それとも違う世界線の時間軸に飛ばされたのかはわからないけれど。

 違う世界線……それは、一緒に世界を救うとか、あの人が自分の危機を救いに来たとか、そういう発想と同じところで、すっかり思考がアニメや漫画の世界になってしまっていることに苗は気が付いてしまった。

 いや、そうじゃないだろう。

 でも、何か不条理なことが起きたのは確かで。まだ、ウサギは目の前にいるのだし。

「ウサギは家に帰した、って言ってたじゃない」

 逃げないうちに、苗はウサギをひょいと抱え上げた。

 またあのマンションまで連れて行けばいいのではないかとも思ったが、よく考えてみると、ウサギにただ必死に付いて行っただけで、道もよく覚えていないし、どこだったのかもよくわからない。それに、あの人が本当にあのマンションに住んでいたのかどうかも、怪しいものだ。

 あの人は、苗が自分を呼んだならまた会いに来ると言っていたが。しかし、呼ぶとはどうやって、だろうか。もちろん、電話やメールをして、なんていうことではないのはわかっている。そういう物理的な連絡先は何も知らないのだし。

 では、念じてみればいいのか。トリさん、あなたのウサギはここにいます、迎えに来てください、とでも。

 確かに、彼は苗の思考を読み取れるようではあったが、本当にそう念じても来てくれそうにもない。

 どうしたものか。

 あれこれぐるぐると考えているうちに、彼女の頭の中に、ある人物の姿が浮かんできた。

 こんな人のつながりが希薄な世の中でも、彼女にも友達の一人くらいはいる。その友人は動物を飼っていたことがあると言っていたし、もしかするとこういう場合にどうするべきか、教えてもらえるかもしれない。

 そう考え至った彼女は、さっそく鞄から携帯電話を取り出して、友人に電話を掛けた。コール五回ほどで、電話は繋がる。

「あ、もしもし……真紀まきちゃん……今話して大丈夫?」

「うん。どうしたの?」

「ウサギを拾ったんだけど、どうしたらいいかな」

「すごい唐突なんだけど……何それ。拾った?……拾うことってあるの?」

「あるから、困ってるの。ほら、真紀ちゃん、実家で猫を飼ってたって言ってたじゃない」

「うん……でも、猫は猫で、ウサギじゃないからね。それに、うちだって拾ったわけじゃないし。猫を飼おうってなった時に、保護施設からもらってきただけで」

「わかってるけど、私よりは動物に慣れてるでしょう」

「うーん……」電話の向こうで真紀は困ったように唸っていたが、やがて、あっ、と小さくつぶやいた。「あっ、ちょっと待って……それならいい人がいる」

「え……」

「今、家にいる?」

「ううん。まさにウサギを見かけた路上ですが。でも、帰ろうとしていたところで、家の近く」

「じゃあ、一時間後に行くから、待ってて」

「うん」

 それからきっかり一時間後、真紀は小学生の男の子を連れて、苗の家にやって来た。少年は、真紀の背中に隠れるようにして、青いキャップを目深にかぶり、目を合わせるのを少し躊躇っているようだった。小学生ならば、人見知りなところがあったとしても不思議なところはないし、むしろ少し微笑ましいとさえ思ってしまう。

 真紀は、後ろに隠れる彼を強引に前に押し出した。

「彼はね、うちの近所に住んでいる子で、みなとくんっていうの。ウサギを飼っているのよ」

 一瞬、目が合った。すると、彼は帽子のつばを下げて、完全に自分の目を隠してしまった。そんな少年の照れ隠しの行動に、彼女は思わず笑ってしまう。

「そうなんだ。はじめまして。真紀の親友の三ツ橋苗です」

「はじめまして……」

 彼は、ぺこりと頭を下げた。人見知りであるようだし、それほど愛想のいい方ではないが、一応しっかり挨拶はしてくれる。十歳の小学五年生であると真紀が言っていた。家の中に入っても、彼はどこか落ち着かない様子だ。慣れない人と場所に緊張しているだけだろうか。

 それでも、七畳ほどのワンルームの狭い部屋の真ん中で静かに座っていたウサギを見ると、目の輝きが変わった。それだけで、彼は本当に自分のウサギを可愛がっているのが見て取れる。いくら小学生とは言えども、真紀がこの子を連れてきてくれたのは、あながち間違いでもなかったかもしれない。

 湊はぱたぱたとウサギへ駆け寄って行った。

「本当にウサギがいる」

「そうなの。動物なんて飼ったこともないし、拾ったこともないから、どうしたらいいかわからなくて。……ごめんね、いきなり知らない家に連れて来られて、びっくりしているよね」

 ウサギを撫でながら、湊はふるふると首を振った。ウサギも、撫でられることを嫌がってはいないし、むしろリラックスしているようだった。

「どこの子なんだろうね」

「あ、でもね……飼い主がわからないわけじゃないの。わからないわけじゃないんだけど……わからないっていうのか」

 苗は自分でも何を言っているのかわからなかったけれど、何が起こっているのかもわからないのだから、どうしても言葉を上手く操れない。

 それがくだらない冗談のように聞こえたのか、ふふっ、と、真紀は笑った。

「何よ、それ。どっちなの?」

「えーっと……飼い主自体はわかるんだけど、どこにいるかわからないっていうか」

「えー……行方不明なの?もしかして、警察案件だったりするわけ」

「それは正解のような、不正解のような……」

「警察案件!」

「いや、そこは不正解」

「もう、さっきからよく話が見えないんだけど」

 説明しようにも、まず説明できないことから説明しなければならないと、苗は頭を抱えてしまった。そして、大事なことを思い出す。

「話が長くなるから、お茶でも入れるね」

「ああ、うん、お願いします」

「気が付かなくてごめんね。何がいいかな……でも、湊くんはお茶よりオレンジジュースの方がいいかな?」

「はい」

 ようやく少しは打ち解けて来たのか、湊は笑顔らしきものを見せた。ウサギの効果なのだろうか。それに一つ苗は安心した。

「真紀は?」

「私はコーヒーがいいな」

「了解」

 五分ほどで、苗はトレイの上にコーヒーのカップを二つと、オレンジジュースのグラスを乗せてキッチンスペースから戻って来た。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 苗がオレンジジュースを渡すと、湊は嬉しそうにそれを飲んでいた。苗はそれを微笑ましい気持ちで見て、すっかり和やかな時間が流れていく。今は一大事なのだということを、うっかり忘れてしまいそうになるくらいに。

 棚に仕舞ってあったクッキーも出すと、それをつまみながら真紀は唸っていた。

「それで、何があったの?」

「えっと……私はこのウサギを道端で見つけて、ウサギが逃げていくのを追って行ったら、あるマンションの前で止まって、そこから飼い主が出てきたの」

「うん?……ならどうしてそのウサギは今ここにいるのかな」

「だけど、その人は突然消えちゃって、気が付いた時には私とウサギだけだったから」

 あの人と夜の空を空中散歩したことは、敢えて話さなかった。そんなの、ただの妄想癖のある人間だと思われるだけで、信じてもらえないだろう。それに、どこかで思っていた。人に話してしまうのはもったいないと。

 夢でもないけれど、きっと現実でもないあの体験。何が本当で何が嘘かわからない。物語の中に入ったような……。

「ごめん、私もうまく説明できないし、何が起こったのかよくわかってないの」

「まあ、何でもいいけど。でも、一番嫌なのは……」

 真紀が気まずそうにして、言葉をそこで止めた理由。

 子供を、何も知らない無邪気なものだと決めつけるのは、本当に大人の勝手な思い込みであるのかもしれない。湊はとても聡い。ひょっとすると、苗よりも。ウサギを膝の上に乗せながら、彼は言った。

「このウサギは捨てられたのかもしれないって?」

「そう、それね。それが一番しっくりくる答えだからさ」

 さくり。真紀がアーモンドのクッキーをかじった音が、急に静まり返った部屋中に大きく響き渡る。

「ち、違うよ。私もそう思ってあの人に聞いたけど、そうじゃない、って言っていたし」

「じゃあ、何で今ウサギはここにいるのよ」

 苗は、口を噤むしかなかった。納得させられるような材料は何もない。それでも、否定したかったのだ。

 何より、あの人がそんなことをしたとは、思いたくなかった。

 一口飲んだコーヒーが、喉に引っかかっているようだった。ずっと、苦いままで。

 和やかで淡いクリーム色だった空気は、途端に灰色に変わっていく。だが、意外なことに、この空気を変えてくれたのは、湊の一言だった。

「不思議なことを一番理屈に合った考え方をするならば……そうかもしれないけれど、でも、本当にそうなのかな」

「どういうこと?」

 湊の手は、ウサギを撫でたままだ。ややしばらく間があってから、彼はようやく顔を上げ、苗の方を見た。

 この時、初めてまともに湊と目が合った気がした。少しは打ち解けて来たように思えても、その目はまだ戸惑いがあったようにも見える。今すぐにでも逸らしたいと、そう言っているのが手に取るようにわかるけれども、彼はそれでもちゃんと苗を見ていた。

 やがて、彼はおずおずと言った。

「不思議の国のアリスを読んだことはありますか?」

 苗は頷いた。

「うん……子供の頃に」

「道端にいるウサギに出会うなんて……苗さんをウサギ穴に連れて行こうとしていたみたいだね」

「まさか……たしかに、マンションの前のマンホールに落ちそうにはなっていたけれど」

 ただの冗談という響きではなかったし、湊の様子を窺っても、からかっているわけでもなさそうなのは見てわかる。いくら子供だからといって、本気でそんなことを言っているわけでもないだろうが。

「ほら、本当はその穴に落ちて、へんてこな世界に行っちゃった、っていうこと……考えたりしませんか」

 苗が反応に困り果てていると、それを助けるように真紀が彼にこう言った。

「そういうおとぎ話好きだっけ?」

「別に……そうじゃないけど。日常は、案外物語につながっているものだって聞いたから」

「誰に?」

「さあ、誰だろう」

 惚けているようにしか受け取れない湊の言葉に、真紀はむっと顔をしかめた。

「会話する気あるの?」

「うん」ウサギがぴょんと跳ねて、湊の膝から降りた。そして、苗の足元へ向かってやってくる。それを見て、湊は突拍子もないことを言いだす。「このままこのウサギと一緒にいたら、もっと変なことが起こったりして」

 これもまた、冗談ではないのは、彼の様子を見ていてわかるし、そもそもそんなに冗談を言うような子でもないのは、苗もだんだんとわかって来た。ましてや、今会ったばかりのような、そんなに親しくもない相手に対してであれば、尚更だろう。

 だから、本気なのだ。

「そんな……」

「とにもかくにも、その人にウサギを返さなきゃいけないんでしょう」

「そりゃあ、まあね」

「突然消えちゃった人にまた会うには、変なことが起こらないとね」

 そこで、どこかからかうように真紀が茶々を入れて来た。

「へぇ……変なことって、どんなこと?どこかに穴でも掘って落ちてみる?」

「それは建設的な意見じゃない」

「あら、建設的な話なんかしてたかしら。してたのは、おとぎ話じゃなかったっけ」

「なんか、馬鹿にしてる?」

 湊はむっと眉を顰めた。それすらも、真紀にとっては愉快そうである。くすくすと笑っていた。

「してませんけど。案外子供らしいところがあるんだなって思ってるだけです。いつも、なんかこまっしゃくれた感じするからさ」

「子供らしくない、とか言われるのもムカつくんだけど」

「何なのよ、子ども扱いしてほしいのか、してほしくないのか、どっちなの?」

 余計な喧嘩が始まりそうな雰囲気に、苗が慌てて割って入るように言った。

「きっと、子供とか、大人とか、そういうことじゃなくて……湊くんは湊くんとして接してあげればいいんじゃないの」

「ほお……」何か言いたそうに、真紀はジュースを飲んでいる湊を見ていた。でも、喧嘩をしてほしくはない苗の気持ちを尊重してくれたのだろう、話題を元に戻した。「それで……どうやってその人を探すの」

「私が呼べば……会えるって……その人が言ってたの」

 そのままを伝えただけなのだが、真紀は呆れたように口をポカンと開けていた。

「はぁ?……ねえ、それって新手の面倒くさいナンパなんじゃないの。あるいは怪しい宗教団体の勧誘とか」

「正直に言うと、普通の人ではないと思う」

「ほら……これ以上あんまり関わらない方がいいとは思うけど。このウサギは、返すよりももっと別の道を選んだほうがいいよ」

「でもね……普通の人じゃないっていうのは、そういうことじゃなくて……」

 でも、どう説明するべきか。

 説明できないのもあるけれど、やはり、説明したくない気持ちも確かにある。理解できないものに対しての恐怖だって確かにそこにはあるが、それよりも、あれは苗の中で誰にも汚されずに綺麗に取っておきたい思い出でもあると、どこかで思っているのだ。

 それは認めなければなるまい。

「じゃあ、何なのよ?」

 けれど、それを何と言ったらいいのかもわからない。

「うん……ええっと……」

 言葉に詰まる苗に、そっと手を差し伸べるかのように、不意に湊が口を開いた。

「もしも、このウサギがいなかったとしても、会いたい?」

「え……」

「ウサギを返さなきゃいけないから会いたいんじゃなくて、ウサギがいなかったとしても、苗さんはまたその人に会いたいと思っている?」

 心配してくれている真紀のことを思うと、簡単にそこで頷いてはいけないような気がした。

 でも、真紀は言ってくれる。

 いつでもそうだ。自分の中に思うところがあったとしても、彼女はそれを押し付けたりはしない。

「私に遠慮することなんてないよ。私は実際には何も見てないし、知らないんだから。結局は、苗は自分の感じたことを信じるしかないんだよ」

「う……うん」そんな真紀の言葉に背中を押されるように、するりと出て来た。「……私は…………また会いたいと思う」

 苗のこの答えに、真紀も湊も、目をぱちくりさせていた。そんなに意外なことなのだろうか。そんな彼らの反応に、苗の方が驚いてしまう。

 真紀は頭を切り替えるのに必要である、というかのように、一口コーヒーを飲んでから言った。

「ほお……怪しさを通り越して、そんなに素敵だったの?」

「うーん……なんて言ったらいいのかわからないんだけど……」

 言葉に詰まっていると、真紀は意地わるそうに、にやりと笑った。

「一目惚れ……か」

「い、いや、そんなんじゃなくて……」とてもじゃないけれど、この不可解な感情を恋などとは言えない。それははっきりわかる。けれど、その時、ようやく苗は一つのそれらしい理由を見つけることが出来た。「……あの人は、きっと私に何か用があるんだと思うから。だから、会いたいと思うの。きっと、何かとても大事なことがあるんじゃないかなって」

「だから、ウサギを置いて行ったっていうの?」

「そうかどうかはわからないけど……でも、ちゃんと話を聞いてみたいし。それに私も……」

「苗も何かその人に用があるの?」

 それもまた、うまく説明できない。彼に何かをしてほしいわけではないのだろうけれど、でも、密かにどこかで思っていた。また、夜の空中散歩をしたいと。今度はもっと街中で、イルミネーションも上から見て見たい。きっと人々は、鳥が飛んでいるだなんて思うくらいの、遠くから。

 そんなふうに、考えなくもない。

 でも、それをどう言うべきか。しばらく迷って、苗はこう言った。

「真紀はさ……私に何かを期待する?」

「うーん……そりゃあ、まあね。何か困っていたら、助けてほしいとは思うかもな。……その逆もあって、苗にも私に期待をしてほしくて、私も苗が困っていたら助けたいから今日ここに来たわけだし。友達だからね。お互いにそういうのはあるんじゃないの」

 その言葉を少しずつ飲み込んでいくうちに、苗の中でも、宙を漂ってあちこち彷徨っていたような考えが、ゆっくりと一つにまとまり始めた。

「そうだよね。なんかね……思うの。人に期待しないこと、って最近よく聞く言葉だけど、でも、逆に考えて、そうやって自分も誰からも期待されなかったら、悲しいじゃない。自分はまるでこの世に必要のない人間みたいで。そりゃあ、期待が大きくなると依存や重荷にもなるし、期待するばっかりでも傲慢だと思うから問題だけど、でも、やっぱり、小さくても誰かに期待して期待されることって、お互いに『あなたはここにいて』って言っていることじゃないかと思うの」

「つまり……苗はその人と、お互いに必要としている存在でありたくて、恋じゃないなら……友達にでもなりたい……ということ?」

「そ、そこまで考えてはいないけど……そう……そうだ。私はその人からとても素敵なものをもらったから、ちゃんと私も返したい……のかな。そして、また素敵なものをもらったり返したり、そういうことが出来たら、とは思ってる……のかな」

「素敵なものをもらった?」

「えっと……」

 苗が困っていると、またしても湊が横から助け舟を出してくれた。まるで、あの人と同じく、苗の心を読んでいるかのように。

「それは訊いちゃ駄目だよ。宝物は大事にしまっておかなきゃ、盗まれるでしょう」

「別に、盗みゃしないわよ。っていうか、どうやって盗むのよ」

「輝きが減ってくすむ。それは、苗さんだけのものだよ」

 湊はウサギをまた抱え上げ、自分の膝の上に乗せた。とても慣れた手つきで。当たり前のように。

 だから、真紀も納得せざるを得ない。

「やっぱり、あんたロマンチストね。……でも、それもそうね。まあ、何にしても、いろんな理由で、その人を探さなきゃいけないわけだ。苗にしてみれば、怪しいとかなんとかそういう問題でもないことは、なんとなくわかった」

「うん……ありがとう、いろいろ忙しいのに来てくれて」

 力ないものではあったけれど、真紀は一応笑顔を見せてくれた。

「ううん。苗が淹れるコーヒー好きだし。それに、思ったより面白い話を聞けたから」

「面白い?」

「最初に聞いた時は、なんじゃそりゃ、って思わず、もう関わるなって口出しもしたくなったけど、本当のことを何も知りもしないのに、いきなり頭ごなしに否定するのもね、どうかと思ったの。……それで、このウサギどうするの。ここでは飼えないでしょ。たしか、ペット禁止だったよね」

「うん。でも、大家さんに掛け合ってみようかなって。飼い主をちゃんと探せるまでの間だけでもって」

 湊も苗のその言葉に頷いた。

「それがいいと思う。僕は苗さんにこのウサギを世話してほしいんです」

「何で?」

 真紀はからかうようににやりと意地の悪い笑みを作った。

「まさか、ウサギがそう言ってるから、とか言い出すんじゃないでしょうね」

「そう言ったらどうする?」

「少し早めの中二病と認定してあげよう」

「それは、実年齢よりは精神が成熟しているという褒め言葉なのかな」

 おそらくは、中二病などというのは、精神の未成熟さを揶揄した言葉であろうが、それより実際の年齢が幼い彼に対してだと、そういう解釈も出来なくはない。真紀はなんとも答えられなくなってしまう。

 もしかすると、これは、彼なりの意趣返しなのか。だとすれば、とてつもなく頭脳が優秀な子であろう。

「……難しいこと言わないでよ」

 まるで負けを認めたように、ふてくされて真紀はそう言った。もう湊もそれ以上このことを取り合う気はないようで、もう彼は苗の方を向いていた。

「大丈夫そうですか?」

「でも……ちゃんとできるかなって心配はあるかな」

 自分で言い出したことだが、躊躇いがあることを正直に告げると、真紀が妥協案を提案してきた。

「じゃあ、期限を決めればいいのよ。そうすれば、少しは苗も気が楽になるんじゃないの。それに、期限があるなら大家さんの了承も得やすいかも。とりあえず、一か月とかさ」

「そうね」

「でも、一か月も一緒にいれば、情が移って今度は返したくない、とか言い出したりするんじゃないの」

 真紀はもう一枚クッキーを手に取り、かじりながら暢気に笑って言う。

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