お伽噺をいただきましょう
胡桃ゆず
第1話 夢への案内
世界は美しいのか。生きるに値するのか。
人間はバラのように美しくはなく、棘だらけでも愛せるのか。
それでも、人間でいたいと思うのはなぜなのか。
それはきっと、自分が自分でしかないからだと、そっと自分が自分に教えていたら。
本当にそう?
あなたは、あなたなのですか?
私は、私なのですか?
それでもきっと、私は私で、私でありたいと思うのです。
ここは森でも何でもない、住宅街の道の真ん中。そこで目が赤くて、白い小さなウサギを見つけたら、どうするべきか。
まず、自分の目がおかしくないか、頭がおかしくないか、これは現実なのか、それとも夢なのか、冷静になってそこを確認するかもしれない。
もっと落ち着いている人ならば、そのウサギを保護して飼い主を捜したりするであろう。どこかの家で飼われていたのが逃げ出したということ以外は考えられないのだから。
だが、そのウサギを見かけた女は、動物には不案内だった。犬や猫だって飼ったこともなければ、こういう時にどうしたらいいのかという知識はまるでない。
アスファルトの上にちょこんと座っているそのウサギは、ひくひくと鼻を動かしながら、どこか暢気そうにしているようにも見えた。迷子になっても困ってはいないかのように。
大きな通りではないし、そこまで人通りは多くないが、それでも常に何人かはぽつぽつと通り過ぎるくらいはするのだが、どうしてだろうか、誰もそのウサギを気にかけている様子はない。
誰もが、周囲に無関心なのは今に始まったことではない。殺人事件などが起こればさすがに放ってはおかないだろうが、ウサギがいるくらいではどうでもいいと思われる。そんなことに関わっている場合ではないと。
面倒なことにはなるべく関わらないように、ただ自分が生きるだけで精いっぱい。人のことまで気にかけていられない。そういう人が多い。それだけのことだ。それだけ、人々は日々追い詰められている。
もちろん、皆それを是としているわけではない。ネット上に目を向ければ、自分はこんな酷い目に遭ったけれど、誰も助けてくれない、そんな世の中には絶望しか感じない、そういうふうに叫ぶ声はあちこちで散見される。そのせいで、世の中はますます自分の殻の中に閉じこもっていく世界になっていく。
自然と、暗黙の了解として、いわゆる、そういう空気というものが出来てしまうのだ。人々は自ら窒息しようとしているかのように。
もちろん、この女とて、自ら面倒ごとに首を突っ込みたいわけではない。このまま放っておいても、ウサギが害をなすこともないだろうが、生きても行けまい。助けたところでどうしていいのかわからない女に拾われることも、あまりこのウサギにとって幸運とは言えないだろうが、それでもここに捨て置かれるよりはマシであろうと、そう思うのだが。
選択をウサギ自身に委ねるしかあるまい。
「どうする……とりあえず、私と来る?」
ウサギはあらぬ方向を見たまま返事をすることはない。当たり前だ。
本当はわかっている。選択肢などなく、連れて行くしかないことは。でも、どうやって飼い主を捜すのか。見つかるまでどうやって世話をするのか。警察に届けた方がいいのか。しかし、財布を見つけたのとはわけが違う。生き物だ。警察だって困るのではないか。
相手は生き物だ。言葉を発することはなくて、そこにじっとしてはいない。ウサギは、もそもそと動き始めたと思ったら、ぴょんと飛び跳ねてどこかへ行こうとしてしまう。
「あっ、ちょっと待って」
捕まえようと思っても、巧みに手をすり抜けていく。どこへ行こうとしているのかはわからないが、もう追いかけていくしかないではないか。どこかでおとなしく止まってくれることを信じて。
ウサギは器用にあちこち曲がりくねって、入り組んだ道に入っていく。いくらこの近所に住んでいるとはいっても、家ばかりが立ち並ぶような場所で、ちょっと奥に入っていけば、彼女にとっては用もないので通ったこともない道だ。
だんだん、どこを歩いているのかもわからなくなってくる。
しかし、一つ希望を見出せるとすれば、このウサギは自分の家に帰ろうとしているのかもしれない、ということが考えられなくもないことであろうか。とにもかくにも、見失わないように後を追っていくのに必死だった。
すると、また一つ角を曲がって、それほど大きくはないアパートとマンションの間くらいの建物の前に出たと思った時に、ウサギは蓋の開いたマンホールへと突進していく。
動物というのは、もう少し危機感というものを兼ね備えているものだと思っていたが、やはり野生のウサギではないからか、避けるどころかむしろ自ら危険へと突っ込んでいこうとしているようにすら見えた。
「危ない!」
そう叫んでも、ウサギは止まらない。もう前足は穴の中に入っていた。彼女は、ぐっと腕を伸ばし、なんとかウサギを掴んで、穴の中に落ちていくことは避けられた。急に掴まれて驚いたのか、ウサギがジタバタと暴れ出して、またうっかり落としそうになってしまったので、危なかったのだが。
彼女は、穴の口からウサギを引き上げると、ほとんど無意識にぎゅっと抱きしめていた。
「よ……良かった……」
まだウサギはジタバタと彼女の胸の中で暴れている。そんなにその穴に飛び込んで、自殺でもしたかったのだろうか。そんなはずはないと思うが。考えられるのは、巣穴になりそうだと思って飛び込んだ、というところだろうか。
「この中はあなたの住めるところじゃないわよ」
その言葉に反応したわけではないだろうが、腕の中のウサギは次第におとなしくなっていった。鼻をひくひくさせて顔を上げてくると、目が合う。赤い目。柔らかい毛に、暖かい体温。なんて儚い生き物なのだろうか。
急にそんな生き物を腕の中に抱いているのが怖くなった。かといって、離すわけにもいかないのだけれど。力をかけるのも恐ろしい。
もう、身動きが取れない。このままこのウサギをどうしたらいいのだろう。ひたすら、今の体制を崩さずそこに座り込んでいるしかできない。
すると、そこへマンションのエントランスから誰かが出て来た。単純に何か用事があって出かけようとしていたわけではないようで、真っ直ぐ彼女の元へ向かってきたのだ。
二十歳そこそこくらいの青年。特に派手な印象も地味な印象もない、いわゆるどこにでも溶け込める今時の若者と言った印象で、だいぶ寒くなってきたこの季節に、上着も羽織っておらず、Tシャツ一枚なところを見ると、本当に何かの用事があって出てきたわけではないようだ。
「どうしました?」
「え……」
「何か、叫び声のようなものが聞こえたので」
まさか、マンションの中から誰かが手を貸しに来てくれるとは思わなかった。もう頭の中があらゆることに引っ掻き回されてしまって、ただ茫然とするしかできなかった彼女は、上手く答えることが出来ない。それでも、なんとか声になって出てきた言葉は、まるで日本語を知らない人のように拙いもの。
「ウサギが……迷子で……マンホールに……」
彼の目は、彼女の腕の中のウサギに向いた。
「そのウサギ……」
「え?」
「うちのウサギです」
「本当ですか?」
「はい、いなくなってしまって、探していたんです」
「よ……よかったぁ……」
安堵して、へなへなと全身から力が抜けていく。ウサギを抱いていた腕も緩んでしまったのだが、逃げ出していく前に、男はウサギを自分の腕の中に引き取った。
「ありがとうございます。探し回ったんですが、どこへ隠れていたのか見つからなくて。外が騒がしかったのは、もしかしてウサギの所為かと思って出て来てみたんです」
「そうですか。もしかしたら、捨てられてしまったのではないかと思って、どうしたらいいのか困ってたんです」
苗のその一言に、男は慌てたようにぶんぶんと手を振って否定した。
「違います。そうじゃないです、捨ててないです!」
「でも、ウサギが勝手に外に逃げ出すなんて、あまり考え辛いですし」
うーん、と、彼はウサギを撫でながら唸って、答え辛そうにしていた。やはり何か後ろ暗いところがあるのだろうか。
「うさんぽ、って知りませんか」
「うさんぽ?」
「ウサギを連れてする散歩のことです。最近そういう人もよくいるんですよ」
「ああ、なるほど……その途中で逃げ出してしまったと」
「はい。本当に申し訳ないです。でも、あなたに見つけてもらえてよかった」
どうやら、悪い人ではなさそうだと、女は少し警戒を解いた。嘘ではないのは、彼の腕の中にいるウサギの落ち着き具合でわかる。すっかりリラックスしているようであるのだし。
「いいえ……捨てられていたのではなくて、ほっとしました。……名前、なんて言うんですか」
「えっと……トリ、です」
「トリ……ですか、ウサギなのに?」
くすくすと、思わず苗は笑ってしまった。すっかり気が緩んでいたのだろう。そんなことさえも可笑しく感じる。
誤解を理解した彼は、少し恥ずかしそうにしていた。
「あ、ウサギのですか。僕のじゃなくて」
「……トリというのは、あなたのお名前だったんですか」
でも、きっと愛称か何かなのだろう。本当の名前がそんなわけはない。きっと、また会うこともない人なのだろうから、本当の名前など知らなくてもいいのだが。
そう思って、彼女は特にそれ以上彼の名前について深く追及はしなかった。
「はい。ちなみに、ウサギはシロといいます。そのまんま、白いからなんですけど」
「シンプルでいいですね。……私は……」
彼女は自分の名前を言おうとしたのだが、その前に彼の方が言ってしまったのだ。
「苗さん」
「え?」
「三ツ
彼女は呆気に取られて、動きを失って固まってしまった。確かにそれは間違いなく、彼女が十九年間名乗って来た、親からもらった名前だ。
しかし、それをどうして見ず知らずの男が知っているのだろう。
「……えっと……どこかでお会いしたことありましたっけ?」
一瞬、妙な間があった。そして、彼は何か困ったような顔をしたように見える。何故だろう。
「いいえ、ないですよ」
何か、この人に一方的に知られるようなことがあったのだろうか。急に、目の前にいるこの男に対して、苗の中に恐怖が生まれた。知らない間に、知らない人に自分のことをあれこれ調べられていたのだろうかと。
そんな苗の不安を、彼はすぐに察したようで、慌ててこんなことを言った。
「ああ……ごめんなさい、心配しなくていいですよ。勝手にあなたのことを調べた変態じゃないですから」
「あ……あの……すみません、顔に出ていましたか」
はっきりとは答えなかったものの、ふふっ、と、彼は微笑んだ。おかげで、ますます謎と不信感は募るばかりなのであるが。
やはり、はっきりさせておきたくて、苗は引き下がらずに追及をした。
「……どうして私の名前がわかったんですか」
「それは、僕が魔法使いだからです」
「はい?」
この人は、変態ではないとしても、何かしら空想が妄想になり、それが強すぎて暴走してしまっているような、少々危ない人であるのかもしれない。
あるいは、冗談でからかわれているのか。そう考える方が納得はできる。相手が狂っているのかもしれないと思うことは、自分も狂っていることであるかもしれないから。
そんな思惑が苗の中で渦巻いていることを知っているかのように、彼は苦笑いをした。
「そんなこと言っても、信じるわけはないでしょうし、まあ、半分は嘘ですけど」
嘘。その一言に、やっぱり冗談だったのかと、苗はホッとした。
「嘘……ですよね、やっぱり。でも、半分って……」
「魔法は使えません。でも……会ったことのないあなたのことを知ることもできれば、本当のことを言えば、さっきあなたが僕のことを不審に思ったことも、心を読んだからなんですよ。それに、こんなことだってできる」
彼の腕の中にいたはずのウサギは、ぱっと消えてしまった。まるで間違い探しの絵のように。
「手品師……とかですか。だからウサギを……」
「うーん……あなたは、どこまでも現実的な人ですね。でも、非常識っていう言葉を少しくらいは知った方がいいと思いますよ。ただ合理的に考えられることだけが正解じゃない」
心の中を読んだ、と言っていた。まさかそんなわけはないだろう。やっぱり、面白おかしい冗談でからかわれているだけだろう。きっと、自分が考えていることは顔に出やすいだけなのだ。
そういうふうに考えていると、彼はふっと笑った気がした。
「もしも、それが非常識な不思議な力で、そして、それで私のことを知ったというのなら、何でさっき私がウサギの名前を訊ねた時に、自分の名前を訊ねられたって誤解したんでしょう。そういう不思議な力を持っているのに、面白いものですね」
「僕が心を読めたとしても、解釈はどうしても齟齬がありますよ。だから、心が読めたって、しっかりコミュニケーションを取る必要はあります」
「なるほど……」
「でも、まだ信じていないですよね」
苗は思わず目を泳がせてしまった。それはすなわち、もう答えを言っているようなものだ。イエスだと。
「私が小学生の子供ならば、あるいは素直に信じたかもしれないですけど、だいぶ捻くれてしまっているので」
「まあ、捻くれているというよりは、用心深い、ということなんでしょう。なんとなくですが、その言葉はあなたにはあまりしっくりこない」
「そうでしょうか」
「そうですよ。……そうだな、本当に信じてもらうために、こうしましょう。あなたが行きたいところ、どこにでも連れて行って差し上げましょう。どこがいいですか」
行ってみたい場所。そう言われても、直ぐには浮かんでこなかった。もちろん、本やテレビや映画で見て、素敵だと思った街はある。でも、もしも本当にどこへでも行けるというのなら、どうしても行けないところがいい。
「そうですね……そんなに不思議な力ならば、どこかへ行くというよりも、夜空を飛び回って散歩したいです」
「ピーター・パンみたいに?」
「はい」
どうせなら、そんな無茶を言ってみたい。そんなこと、いくらなんでも出来るわけがないだろうと思いながらも。それでも、もしもできるならば、してみたいこと。子供の頃からずっと思っていたのだ。
さっき、トリは苗のことを現実的な人間と言っていたが、そうでもない。案外夢見がちなのだ。夢なら夢と、非常識なことを考えられるくらいには。
馬鹿みたいなことを言っているのはわかっていると、苗はどこかで自分自身を嘲笑している自覚もあったのに。
彼は言うのだ。ずいぶんあっさりと。
「出来ますよ。ネバーランドへは行けませんけど、ただ夜空を散歩するだけなら」
「えっ……」
とんっ、と、トリが弾みをつけて跳ねたと思ったら、そのままふわりと宙に浮く。地上から三十センチほど。そのまま彼は右手を苗に差し出してきた。
「さあ、行きましょうか」
信じられない。信じられないのに、苗はいつの間にか彼のその手を取っていた。何が起こるのだろう。期待なのか、不安なのか、よくわからないが心臓はどくどくと早鐘を打っていく。
トリがもっと高く、地上二メートルくらいにまで浮き上がっていくと、ふわりと苗の体も浮いていく。まるで、重力など嘲笑って、自分の重さを捨て去ってしまったかのように。
そのまま、風に飛ばされる風船のように、どんどん上昇していく。でも、舵を失ってはいない。十五メートルほどの高さまで上がると、そこで上昇は止まり、二人は空中に留まった。
街中でもなく住宅街なので、イルミネーションもないが、いろんな家に灯る明かりを見下ろすことなんて、そうそうないだろう。下を見ても、全く恐怖感はない。落ちるという不安もない。
何故だろう。きっと、トリが掴んでいるこの手を離されたら、地に叩きつけられるだろうに。そんなことを考える必要すらないように思える。
何も根拠なんてないのに、こんな得体の知れない人に、どうしてこんなにも自分を預けてしまえるのか不思議だったが、それに対して抵抗感もない。それがますます不思議なのだが。
「散歩と言っても、どこへ行きましょうか。……とりあえず、あなたの家まで送って行きますか」
「あ……はい」
すいっと、普通に歩くように彼は空中で足を進めた。要領はわからなかったが、苗も同じように足を出してみると、踏みしめる感覚こそないものの、普通に歩けるのだ。時々足取りがおぼつかなくはなるが、むしろいつもより軽いからそうなるのだ。重力を感じないことに慣れずに、苗はまたよろけてしまうと、彼はくすくすと笑った。
「漫画みたいに空を飛んで行くことも出来ますけど、これだと、如何にも散歩らしいでしょう」
「ええ」なんでもありなのか。まるで夢の中にいるように。「私は……夢を見ているんでしょうか」
「試しに自分の頬をつねってみては」
苗は、試しにトリとつないでいない方の手で、自分の頬をぎゅっとつねってみた。ちゃんと痛い。でも、こういうことを夢の中でやることはないように思う。夢の中では、なぜか夢と疑ったりしないからではないのか。夢か現実かなどということは、疑問に持つこともない。それほど、夢の中には脈略がないからだ。
今だって充分に脈略はないが、それが夢かどうかを考えられるということは、その時点でもう現実なのだと確信を持ってもいいのだろう。
だから、トリが不思議な力を持っているというのも、現実だ。だとすると、苗にはひとつ気になることがあった。
「あの……さっきのウサギは……」
「ああ、心配しないでください。うちに帰しました」
「そ……そうですか」
もうこうなったら、その言葉も信じるしかあるまい。しかし、信じたからこそ、同時にまた疑問が生まれてくる。
そういうこと出来るなら、逃げ出したとしても、簡単に捕まえられそうなのに、何故あのウサギはあんな道端に放り出されたままだったのだろう。
そんな考えは、もう彼にとっくに知れてしまっているのは、もう疑う余地もない。
優雅に空中を歩きながら、彼は少し意地の悪い顔をした。
「さて、僕のこの力を知った上で、問題です。……この状況は偶然だと思いますか?」
またしても、苗の思考は停止してしまう。何かわからぬ不思議な力を持つこの青年は、自分をここへ導くために、その不思議な力を使ってわざと仕組んだというのか。
だから、ウサギもわざと道端に放してあった。
「もしかして、さっき言っていた……うさんぽをしている最中に逃げた、というのは嘘ですか」
彼は下手に隠そうとはせず、素直に頷いた。
「そうですね……すみません。あなたにとりあえず僕のことを信用してほしかったので。いきなり今のような話をしても、あなたは不審がって逃げ帰ってしまったかもしれないですしね。でも、その嘘によって信用は揺らいでしまいましたか?」
「そうやって正直に話してくれるなら、疑いようもありません。それに、なんだか理屈じゃないところで、私はもうすっかりあなたを信じてしまっているみたいです。そうじゃなきゃ、今こんなところを歩いているはずもないですし」
「それはよかった。……あ、あなたの家は、あそこですよね」
気が付けば、二人は苗の住むマンションの上空まで来ていた。まだほんの数分しか歩いていないのに。
「はい……あれ、もう着いちゃった。でもそうか。もともと帰り道の途中だったしな」
もうちょっと、このままどこかへ行ってしまってもよかったかもしれない。そう思うくらいに、こうして宙を漂っているのは心地よかった。
「まあ、夜の空中散歩なんていつでもできますよ。あなたが僕を呼べば」
「呼ぶ……」少しずつ二人は下へ降りていく。やがて地面に着くと、安定感を感じるものの、その踏みしめる感触が、少し重たくも感じた。「結局、あなたは何者なんですか?……その不思議な力は一体何で、どうして私にわざわざ近づこうとしたんですか」
「随分とストレートに訊きますね」
気を悪くしたのだろうか。なぜか、彼の口調は多少つっけんどんであったように思えた。もう少し、違う言い方をした方が良かったのかもしれない。
そう思い、苗はこう言い直した。
「えっと……つまり、私に何か用があるから……っていうことなんじゃないかと思って。それならちゃんと言ってもらえないと、私も何もできないし……」
くすっ、と彼は笑う。彼女の心中をやはり読んで察しているのだろう。それはそれで、恥ずかしくなる。
「そうですね、たとえば、こんな変な力を持つ人間が現れたとしたら、この地球を亡ぼす敵が現れるから一緒に救ってほしい、とか、あなたが危機にさらされていて、僕が救いに来たとか、そういう展開を考えたりしますか」
「そうですね……漫画やアニメならば」
「たしかに、僕はあなたにもう少し非常識な思考を持った方がいいというようなことを言いましたけど……そういう壮大な話ではないんですよ」
そう言われれば、苗も何も反論しようがはない。これは、漫画でもアニメでもないのだし。
「そりゃあ、そうですよね」
「でも……あなたの人生は…………」
理解が追い付かぬ不条理な出来事の中では、突然に異変は訪れる。
話の途中だ。彼の話にちゃんと耳を傾けていたはずなのに。
ぐにゃり、と、急に苗の視界が歪んだ。そして、ふっと電池が切れたみたいに世界が真っ暗になってしまう。何が起こったのかと考えることさえできない。
何、何を言おうとしていたの……。私の人生は……。どうなるの……。とても大事なことではないの。待って……。
彼にきちんとそれを問いかけることが出来ているかどうかもわからない。
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