この素晴らしく真っ白な世界から抜け出すために

御剣ひかる

悪鬼じゃなくて悪魔

 気が付いたら、あたり一面真っ白な空間にいる。

 何がどうなったのか判らない。

 普通に食事をして、普通に働きに出ようとしているところだったはず。


「こんにちは、生贄さん」


 女の声が聞こえてきた。

 見ると、オレンジと赤の混じったロングヘアと同じ色の瞳の、透き通るような白い肌の美女が立っている。ひもでゆるりとウェストを縛るローブを着ていて、あぁ、これって物語かなにかで見たことある精霊ってやつだな、って思った。


「俺のことを生贄って言ったのか?」

「ええ。ほかに誰がいて?」


 確かにこの空間には俺と精霊ふう美女しかいない。


「一体、何の生贄?」

「ある大がかりな魔法を発動させるため、ってことみたいね」

「魔法ってことは、やっぱあんた精霊?」

「ええ」

「どうして俺が生贄に?」

「それはわたしにも判らないわ」


 ポンコツめ。


「で、生贄ってことは、俺は死ぬのか? いやもう死んでるのか?」

「いいえ、まだよ」

「まだ?」

「ここは人間界と精霊界のはざまなの。でも、わたしも悪鬼ではありませんし、あなたには頑張れば人間界に戻るチャンスをあげましょう」


 悪鬼じゃないってそりゃ精霊だしな。


「でもどうして?」

「あなたは偶然にも生贄に選ばれてしまっただけに過ぎないのですから、一度ぐらいチャンスを差し上げてもよろしいかと」


 お優しいことで。


「ちなみに精霊界に行ったらどうなる?」

「肉体は溶けて水となり人間界へ流れ、次の世代の人々、いいえ、生命の糧の一部となるでしょう。精神は……」


 精霊はそこで言いよどんでしまった。あ、目ぇ逸らしやがった。ろくでもないことになるらしい。


「で、チャンスって?」


 俺の質問に精霊はうなずいて、手をすっと前方にかざした。

 彼女の手の先を目で追うと、一本のロウソクが出現していた。


「わたしは火の精霊。あのロウソクが消える前に、あなたがわたしの力の影響下、つまりこのはざまの世界を抜け出すことです」


 つまりロウソクが消えるまで、多分あのロウソクだと三分ほどだろうか、その間にここから逃げるってことだな。


「よし、乗った」


 俺は、とりあえず走ってみた。どこかに出口がないかきょろきょろと探しながら、ひたすら一方向へ。

 けれど、行けども行けども景色は変わらない。真っ白のままだ。


 ふと後ろを見ると、火の精霊がさっきと変わらないすまし顔で数メートル後ろにいる。


 これは無限ループか? それとも精霊がこっそり俺の後ろをついてきていたのか?


 試しに、彼女を後ろに見ながら前に進んで行ってみる。

 火の精霊はずっとそこに立っている。少しずつ彼女の姿が小さくなっていく。

 三十秒ほど進んでから、前はどうなってるのかと視線を進行方向へ向け、なにも変わってないことにがっかりする。


 で、後ろを見ると。

 火の精霊のオレンジと赤の混じった瞳が目の前!


 俺は驚き叫んでその場にへたり込んだ。


「まぁ、人の顔を見てそんな声を出すとは、失礼ですね」


 クスクス笑ってやがる。

 彼女のそばにあるロウソクが、もう最初の半分もない。


 慌てて立ち上がり、出口を探す。

 空間に何か手ごたえになるところがないか、手をぶん回しながら歩く。

 そばでクスクス笑う女の声が癪だが、気にしていたら時間がなくなってしまう。


 あぁ、きっとあと一分もない。

 どうすりゃいい?

 そもそも、チャンスとか言ってるけど、出口なんて最初からないかもしれない。

 あるとしても俺が普通に開けられるかどうか判らない。何せ相手は精霊だからな。


 ……それなら、精霊こいつに開けてもらうってのはどうだ。

 騙して? いや、騙しとおせるような嘘は思いつけない。

 力づくで? そんなことできないだろう。不思議な力を持つ相手だ。


 あぁ、こいつがただの女なら。


 ……女。


 火の精霊をじっと見る。

 少なくとも見た目は女だ。声も口調も女だ。

 精霊が人間に近い感情の持ち主である、いや、逆か、とにかく精霊と人間の考え方は似ているところがある、というのは間違いない。


 それなら、これでどうだっ!


 俺は精霊に近づき、両肩を抱いて、キスをした。

 かっと見開かれた目と、くぐもった声が驚きを表してる。

 けれど拒絶するわけではない。


 これはいけるかも。


 俺は優しく丁寧に、更に深く口づけた。

 火の精霊の体からくたりと力が抜ける。


 彼女を支えてそばのロウソクを見ると、時間停止の魔法にかかったかのように、炎が揺らめきを止めている。


 やった! 少なくともこれでロウソクが燃え尽きる時間は引き延ばせた。


 火の精霊はうつむいたまま小さく震えている。

 彼女が顔を上げた。

 髪の色に負けないぐらいに頬を赤く染めている。大きく見開かれた目はうっすらとにじんだ涙で揺れている。


「こんな、こんなことって……」


 上ずった彼女の声。

 これは、落ちたな。


「なぁ、俺を人間界に戻してくれるか?」


 とどめとばかりに、できるだけ、そっと、甘くささやく。

 火の精霊は、笑みを浮かべた。


「いやよ」


 そうそう、いや――、って、ええぇっ?


「どうして!?」

「決まってるでしょ? 初めてのキスをささげた相手とは結ばれなくてはならないからよ」


 そんな掟、聞いてないしっ。


「でも俺が精霊界に行ったら肉体は溶けるんだろう? それじゃ結ばれないじゃないか」

「精神が残るじゃない。あなたは転生のルートから外れて、これからずぅっと未来永劫わたしのそばにいるのよ。うふふ、うれしいわ。精霊界に行ったら、もう離さないわよ、あなた」


 美しい笑みに危ない影が差したように見えたのは、どうか俺の見間違いであってくれ!


 咄嗟に逃げようとしたけど、しっかりと捕まえられてしまった。


「さあ行きましょうあなた。今日はみなで歓迎会よ。大丈夫、精神体は便利よ。ちょっとやそっとじゃ壊れないし」


 またそこで笑みが歪む。

 一体、何されるんだ!?


 誰か、悪魔でもいい! 俺を助けてくれー!



(了)

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