第十四話 ……無償の愛。


だれかにプレゼントしたいの?」


「えっ? あっ、うん。み、みつるさん……」

 と、そう答える。


 あたしのそばには瑞希みずきちゃんがいる。同じ部屋の中。

 目をらす。少しうつむく。ほおの辺りが熱くなっている。



「瑞希と同じだね」


「うん、同じね」


「一緒にプレゼントしようね」


 つまり瑞希ちゃんのお兄ちゃんにプレゼントするの。――それは、瑞希ちゃんも同じということ。じゃあ、いつの日かお話していた瑞希ちゃんの大好きな男の子って、


 ……プッと、

 そう思うと、笑えてくるの。


妙子たえこちゃん、どうしたの?」


「ううん、何でも。満さん喜ぶね」


「うん!」


 一瞬前はドキッとしたけど、

 まるで自分のことのように、瑞希ちゃんは喜んでいた。



 このまま、


 このまま、このような時間が、ずっと続けばいいと思った。


 明日も明後日も、

 できたら一緒に歩いた昨日に、戻りたいとさえ思える。


 それでも、それでもね、


 この部屋の、学習机のかたわらに座っているパンダさんが視界に入った。幾度となく、訪れる度に毎回……。どうしても見入ってしまう。そして思うことは一つ。


 ……どうして?


 どうして、おじさんの子供が瑞希ちゃんなの?


 こんなにも、いい子なのに、

 こんなにも、大好きなのに、とっても意地悪な運命だ。


 ――忘れたことはなかった。おじさんのこと。今、目の当たりにあるパンダさんは、あの日あの時、おじさんが抱えていたパンダさん。……写真もあった。その人が『パパ』だと、初めてここを訪れた日に、瑞希ちゃんがそう言った。


 ……凍りついた。身も心も。そして、

 ……ずっと、言えなかった。ずっと。


 学習机の傍らで座っている『ぬいぐるみのパンダさん』を抱きながら、屈託ない笑顔を見せる瑞希ちゃん。あたしのそばまで持ってきてくれた。


「妙子ちゃん、パンダさん大好きなんだね」


「う、うん……」



 ――こんなにも、優しい瑞希ちゃん。


 なのに、あたしは……。


「妙子ちゃん、どうしたの? お腹痛いの?」


 との言葉の通り、瑞希ちゃんの表情が変わった。……堪えきれなくなって、手の甲にしずくが落ちる。女の子座りの膝の上にも、ポロポロと涙がこぼれてきた。


「……ごめんなさい。ごめんね……」


「妙子ちゃん?」


 ――お話しなくちゃ、いけないよね。


「まだね……お引越しする前だったの。お家がまだ『越前えちぜんさと』で、小学二年生の時だった。親戚のお家へ行った日なの。手毬てまりが道路へ転がっちゃって、取りに行こうとして道路に出たの。そこにトラックは走ってきて……おじさんが助けてくれたの」


 この部屋の真ん中、向かい合って女の子座り。

 パンダさんを抱いたまま、瑞希ちゃんはうつむいてしまった。


「おじさん笑ってたけど、本当は大怪我おおけがしてて、……そのパンダさん抱いててね、『瑞希にプレゼントするんだ』と言ってね、何回も。……あたしのせいなの。あたしが道路に飛び出したりしなかったら、おじさん……瑞希ちゃんのパパね、死ななかったの」


 ……嗚咽おえつが聞こえる。


 ふっくらとした頬が、涙で濡れている。


 瑞希ちゃん……。

 いくら謝っても、許してくれないよね。


「……本当にごめんなさい。今までお友達でいてくれて……ありがとうね」


 それでも、

『ごめんなさい』としか言えない。


 何千、何万回、言っても足りないよ……。


「さようなら……瑞希ちゃん」


 サーッと全身の血の気が引き、両脚も凍りついているけど、

 何とか立ち上がって、この部屋を出ようとした。



 ――グッと、右の手首をつかまれた。


「そんなのひどいよ……」


 俯いたまま、掴んだ手は震えている。

 怒っている? ……そうだよね。


 あたし、瑞希ちゃんにたたかれるのかな……?


「どうしてさようならになっちゃうの?」


「えっ?」


「どうしてなの?」と、もう一度。


 ……瑞希ちゃんは、顔を上げて、


「妙子ちゃんは瑞希のお友達だよ。さようならなんかしないんだから!」


 涙で濡れたままで、あたしを見た。

 あたしは、声を上げて泣き出した。


「ずっと、瑞希のお友達なんだから」


 ……優しく抱きしめてくれた。


 それは温かくて、

 それでいて、柔らかくて、



 ――あなたは、どこまで優しいの?

 その思いは、心の中で広がってゆく。


 無償の愛。海のように、深い愛……。


「パパね、妙子ちゃんが元気で、笑顔だから喜んでくれてるよ。瑞希もパパと同じなんだよ。スーパーヒーローみたく強くなって、妙子ちゃんを守ってあげるんだからね」


「うん……」


 でも、あなたは、

 天使のように優しくて、ずっとずっと強いよ。


 それからまた、

 あたしたちは編み物の続きをした。黄色と青色の、二色のマフラーだ。


 そしてどのくらいの時間が経過したのだろうか? ガラス戸から見える情景は夕刻。ぽかぽかと温かな炬燵こたつ。冬は昼間が短く、この部屋の襖がオートマチックに開いた。



 ――満さんだ。入室した。

 颯爽さっそうたる、軽快なノリで、


「瑞希、やっぱり守君は強いや」


「お兄ちゃん。守さんとサッカー対決したの?」


「ああ、完敗だよ」


「じゃあ、また対決するんだね?」


「ああ、そうだな」


 ……という感じで起立! 手を取り合って盛り上がっている。


 そんな二人を見ていると、クスッと笑えた。



「――でね、妙子ちゃんね、お兄ちゃんにプレゼントするもの編んでるんだよ」


 と言いながら、つないだ手を、グイグイ引っ張る。


「ち、ちょっと、瑞希ちゃん……」


 目の前には満さんの笑顔。

「あ、あの……」と、あたしの顔は火照り始める。


「楽しみにしてるよ、妙子ちゃん」


「は、はい……」


「ふ~ん」と、瑞希ちゃんは、あたしの顔をじっと見ている。


「な、なになに?」


「妙子ちゃん、お兄ちゃんの前だと顔が真っ赤だね」


 ああっ、

 それとどめよ、瑞希ちゃん。



 夕陽から夕闇まではすぐのこと。それは、帰る時刻を告げていた。


 さようならだけど、さようならではない。


 小さな約束でも、約束があるからまた会える。明日はXマス。

 あたしも瑞希ちゃんも、笑顔で明日を迎える。それが約束だ。


 だから、色んな意味を込めて、


「ありがとう」


「えへへ……」


 瑞希ちゃんに続けて満さんも、


「明日のXマスパーティー楽しもうね」


「うん」


 あたしは手を振って、玄関を出てドアを閉めた。

 そして、その手には、


 可愛かわいらしい特製のXマスパーティーの招待状だ。


 ……瑞希ちゃん。


 すると、ドアの向こうから、泣き声が聞こえた。

 どうしたのかな?


「お兄ちゃん……」


「偉かったぞ、笑顔で妙子ちゃんを見送ってくれたんだな……」


「うん……」


「パパも喜んでるよ……」


「パパ……」


 満さんは、知っていた。……笑顔であたしを迎えてくれた。

 またポロポロと零れてきた。……拭っても止まらなかった。


 きっと明日は、笑顔になるからね。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る