How completely day. 5
疑惑とは娯楽であると、これまでの人生でミシェルはそう思っていたし、事実そうであった。恋人の不貞や友人の裏切りを疑うとき、それは結局、どれくらい力を込めたらこのガラスは割れるんだろう、という素朴な興味の発露と実践に過ぎなかった。結果として、その戯れの疑いによって訪れる破局や訣別も、彼にとっては幾らでも代わりのきく──割れたガラスのコップを、翌朝通りすがった雑貨店で買うように──ものでしかなかった。そもそも、ミシェルは同じものを長い期間大切にすることに向かない質である。或る冬、とても気に入ったジャカール織のコートをずっと着ていたとして、次の冬にもおなじコートなんてまっぴらごめんだった。唯一の例外と言えば、最後の恋人──三年前に逃げられた、ドイツ人の恋人くらいだが──
「………Allo, ジョゼ。今夜あいてる?」
『…Malheuresement』
「
Tの音がひどくきつい発音になったのを自覚した。案の定、電話の相手のジョゼからの返事はない。取り繕うために優しい声に切り替える。こういうときに
「……ねえ、本当に、ただ居させてほしいだけだから──なんだか不安になるんだ──」スピーカーから流れる音楽を、公衆電話が拾って、向こうで反響する。割れた音に舌打ちが漏れそうになる。「誰もくる予定ないんでしょ」
「……どうかな」
「今日、皆ピリピリしてるもの」
いつもなら弾けるような「Howdy!」を投げてくる少女も、フードをかぶって刺々しい視線を向けてきた。「そういう日」なのだ。──「そういう日」とは?
「俺、独りはいや。皆がなにしてるのかわかんないのがいや」
「だから家に来たって、何もわからないよ」
「でも独りはいや。皆俺の知らないところで何をしてるの?」
「……そういうときは、誰にも会わない方がいい」
どす黒い渦で心窩部が圧迫されている。胸が内側から裂けて、黒い感情がぽろぽろこぼれてくる。これは膨れ上がった正体不明の感情の切迫的な破裂だ。
「燕ちゃんも今日は俺に会わないって。おかしいよね。レベッカだって変だ。ユージも、──あの漫画家の先生も──皆なにか変だよ。俺、これ以上疑いたくない。偶々だって思いたい。だからそっちに行ってもいい」
「ミシェル、目を閉じて、息を吐いて……、……理屈が通ってないよ」
「どうして理屈が要るのさ?」
支離滅裂なことをぶつけているのはわかる。笑顔と優しい声音を保つことがこんなに難しいなんて思わなかった。いぶすように腹の奥が焦げていく。心拍のひとつひとつが不穏に打ち響き、受話器を握る爪が白くなった。ジョゼの声が遠い。もうなんと言われようと、呼び鈴を押すつもりだった。おかしい。こんなのは自分ではない。
これがほんとうの『疑惑』だというのか?
こんな風に人を疑って、疑って、身のうちが焦がされるようだ。恋よりも苦痛。こんなの心が擦りきれてしまう。
硬貨が切れた。受話器を置く。彼の返事はよく聞こえなかった──ミシェルはなんの躊躇いもなく電話ボックスを出て、家と反対方向に歩き出した。
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