潜航機動隊 第一イベント

 ノアは、嵐のなかに閉じ込められた箱みたいだった。行き場のない波のように、あちこちで人の怒鳴る声が反響している。点呼…友達を呼ぶ声……意識の確認……バイタルが不安定な子がアトランティスからおりられなくて、支えられて引きずり出されてるのを見た。赤い機体は第一大隊のものだった。あたしも、両腕が嫌ってほど、痺れるように痛むのを、ぎゅっと拳を握ってごまかした。

 まだ動ける。あたしは無傷だ。

 …あたしたち、盾になるためにいるんじゃなかったの?



 あたしは愛を信じてる。

 でもそれは「あたしの」愛であって、他の人におんなじ心があるのかはわからない。

 あたしは人が好き。好きな人のためなら、あたしにできることはなんだってしてあげたい。これがあたしの愛だとおもう。

 あたしのママも、おんなじ種類の愛をもってる人だった。

 ママはあたしのことを、うさちゃんとか、パールちゃんって呼んで、めいっぱい愛してくれた──髪を洗うとき、鏡のまえでおめかしするとき、あたしの真珠パール、って言って抱きよせて、あなたはあたしのおなかの中の宝石なの、と囁いた。あなたのママの魂は、生まれる前はあなたとひとつの存在で、生まれてからはずっといっしょにいて、いつかまたひとつに戻るの……。

 でも、あたしのママは、たったひとつあたしと違うものを持ってた。

 それは、子供の頃のあたしには理解できなかったけれど、ママはパパの帰ってこない夜の底、あたしをソファのうえでだっこしながら、あたしに囁いた。

 母親っていうのは、子どものためならなんにだってなれるんだって。

 例えそれが、とても恐ろしいものだとしても。

 そう教えられたのは、ママが子宮の癌で死んじゃう半年前だった。

 それきり、あたしを守ってくれる人はいなくなった。あたしの周りの世界はみな等しくなった。

 家族も友達も知らない人もいっしょ。

 男の人の腕は監獄といっしょだった。女の人の目は針といっしょだった。

 家族愛とか言われても、本当はぴんとこなかった。

 「お前って、恋愛対象とかじゃなくて、家族愛の対象なんだよね」って好きな子にフラれた女の子が泣いてるのを見て、あたしは黙って考えていた。

 家族って、いったいなんだろう。

 相手のことを大切に思うこと。相手を守りたいと思うこと。相手とずっといっしょにいたいと思うこと。これって、恋人でもいっしょじゃない? 映画や小説でみる恋人たちはみんなこういうことを望んでいる。

 逆に、恋人とはするけど、家族とはしないこと。

 あたしにとって、そんなものはなかった。

 あたしの処女を奪ったのは、お父さんだったから。

 十二歳のときだったと思う、あまり覚えていないけど。お父さんは床の上で汗だくになってあたしの腕を押さえて、むりやりあたしのなかに入ってきた。歪む唇の形や汗で光る顔は、影で真っ黒に塗りつぶされて見えた。

 あたしの心はまだそうじゃなくとも、あたしの体はもう女の形をしていたから、しかたなかったのだ。

 そのあと、女になったあたしのなかに入ってきた男の人たちは、みんな最中は同じような顔をしていた。そして、あたしは彼らを、動物みたいで怖いと思いながら、この人はあたしのことが必要なんだ、と押し寄せるような強い…愛、もしかしたらあわれみを感じて、そう感じた瞬間にすべてを受け入れる気になるのだった。あたしはシーツやフローリングの蠢く舌の上、誰かの「うさちゃん」になる……それは眠れない夜のぬいぐるみかもしれないし、飢えた人のまえに差し出された生肉かもしれない……でも、どちらにせよ、あたしはその人に、肉と皮、そして魂を消費される。そしてその人たちは立ち去る──朝が来れば。食べ散らかしたあたしを置いて。でも、そういうものなんだって思ってた。あなたはあたしを消費して、それでなにかの気が済んだんだね。ごちそうさまって言ってくれればそれでいいよ。

 あたしはこの世界を愛してる。だからこの世界に属している、あたしを消費するあなたたちをも、愛してる。

 潜航機動隊に選ばれた、っていう通知がきたときも、同じだった。

 新都心あなたたちは、あたしのことが必要なんだね。

 心から嬉しかった。

 それが、上層の人たちのための盾としての肉体の搾取だろうと、いっこうに構わなかった。あたしの人生はずっとそうだったから。

 家族も恋人も新都心もいっしょ。

 あたしにとって人生っていうのは、愛のために、あたしの肉体を燃やす地獄で微笑むものなの。

 そのはずだったのに。



 アトランティスから降りてきたベニちゃんの横顔が、見たことないほど白かった。シルバーの髪に乱反射したピンクが落とす影が、まるきり作り物のように青ざめていた。ベニちゃんは──第四大隊に──いとこがいる。兄弟、と呼びかけているのを何度も聞いた。

 ベニちゃんはいつもの綺麗な姿勢で歩いていたけど、突然膝から力が抜けて手摺に掴まった。びっくりして駆け寄ると、あたしの足も関節ごとにすりつぶすような痛みが走った。

「お節介かよ……ヲトメ」

「ベニちゃん、アトランティスで頭にダメージあったでしょ。先に第三の人に声かけた方がいいよ」

「自分の脳みその調子くらい自分で解るっつーの。……ああ、クソッ」

 歯を食い縛り、手摺を拳で叩いた。怒りを圧し殺す表情は、内側から光るように白く──触れたら手が切れそうに美しかった。



 戻ってきた第一大隊の人たちと挨拶を交わして、無事を喜びあったけど、それ以上会話をする気になれなかった。あたしは人を探すふりをして、一人になれる場所へ行った。

 痛み以外、無傷の肉体。あたしは自分の腕に爪を立てた。脂肪に指が沈みこむ。

 あたしは、盾になるためにここへきたはずだった。

 なのにどうして、ここに立っているんだろう。

 守るべき人たちを死なせて、生き残って、あたしのこの手足はなんのためにあるんだろう。

 帰路の光景が、頭から離れない。

 繊細だったり、壮美だったり、ヴァイオレットの破片が輝く動かないアトランティスを、ノアは次々と迎え入れる。みんなが叫んだり黙ったり、おかしくなりそうだった。あたしは顔をおおった。きらめく傷だらけのヴァイオレット、あのコックピットには死んだ人たちが乗ってる。あれは鋭く美しい棺桶だ。あたしたちが跪くべき玉座の宝石が、砕けた色だ。

 燃え残ったあたしたちは──いいえ、火にくべられるまえに弾き出されちゃったあたしたちは、取り乱したりそれを慰めたり、とにかく、正気を保つのに必死だった。

 戦場では、誰もが獣のように働く代わりに、自分やまわりの人のなかにある、人間的なちっちゃな光を大切にするの。そうしなくちゃならないから。

 でも、その光は、あたしのママが言っていた愛と紙一重──いいえ。母親と胎児みたいに、一体になっているものだ。

 大切なものを守るために、ときに恐ろしいものにも変身する、魂の光。

 ……第二大隊の人たちが何人も残ったのを、通信越しに聞いた。彼らを駆り立てたのはその光なんだと思う。ヴァイオレットのなかに、ブルーの破片が混ざり、その光はいっしょにきらめいている。

 あたしは自分のアトランティスを見下ろしながら、ずっと、その椿の花そっくりの血の赤が脳に染み込んでいくのを感じてた。

 ママ、あたしやっとママの言ってたことがわかったよ。

 あたしは子供を産めない。きっともう結婚もできない。でも、あたしの魂はこの光を知った。

 真珠ヲトメはもう、誰かのうさちゃんじゃない。地獄の炎のなかで、ただ微笑むだけの無力な女でもない。

 あたしの愛は剣に変わる。

「ヲトメ」

 振り返ると、ドロちゃんがこちらへ来るところだった。まっすぐにこちらを見る目が雄弁で、あたしは体をそちらへ向けた。

 あたしより小さな背と、骨ばった体つき。黒髪は流れるまま自由に輝いて、その輪郭のなかで、いつも彼はあたしの目を見てくれる。だから、ドロちゃんと一対一で話すとき、あたしの肉と皮を透過して、あたしの心が──あたしの魂が返事をする。

 断花オドロ。ドロちゃん。

 母にも姉にもなれないけれど、あたしは他のものになれる。

 もう一度戦場へ出ることがあれば、今度こそあたしは役割を果たす、この世に生まれた役割を。

 あたしの騎士。

 何があってもあなたを守りたい。


「ドロちゃん、許してくれる?」

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