Libertaris 滑空または運命の女神

「思ったより、揺れるね」

 一閃、光しかノーレの目には届かないが、響く衝突音、抉られる黒い血飛沫のにおい、風に吹き散らされるまでの一瞬でレライエの屠った魔族の断末魔が鼓膜を叩く。当人は今まさに戦闘の最中とは思えぬ軽やかな声をあげながら、輪をつかむ手を変えたようだった。ノーレが足をかけている輪が重心移動で揺れる。

「レライエ殿、場所を変わろうか。その体勢では攻撃が当たりやすいだろう」

「大丈夫だよ。刺される前に、刺せばいいのさ──君の弓矢と同じだよ」

 樅の木と同じくらいの氷柱で巨大な魔族を縫いとめ、翻る衣の裾に飛沫を浴びながら、レライエは微笑んだ。ノーレにその顔が見えないとは知っていても、表情は声に現れる。

「今のところ、ここらへんは擬態していない魔族が多いみたいだ──さっきの駐屯地くらいかな」君がいきなり射かけるから何事かと思ってしまったよ、とレライエは器用に輪に登ってきて、輪に立つノーレの足の間に腰かけた。

「魔族の気配が濃かったから──貴殿も気づいたろうに」追ってきた魔族がひとまずいなくなったので、弓を下ろしてノーレも答える。腕の周囲の空間から生成された弓は、彼が手をおろすと元からなにもなかったかのように空気に溶け込んだ。

「そりゃあね。でも、それぞれが近すぎたから、誰が何だか。あそこにはエルフ系の子もいたし──」肩をすくめる。「そもそも、僕自身がそうだ」

 人ならざるものの気配を宿す戦友を見下ろし、ノーレはあまり良くはない目を細める。輪郭だけがぼんやりとわかる彼の姿は、確かに魔族が化けた騎士となんら変わりはない。

「君はどうやって見分けたの? あそこにいた人たちのなかから」

「……………………ん」

「え? ごめん、風がうるさくて」

「………勘」

 みぞれ混じりの首都からの風が、二人の間を吹き抜けた。

「…………勘で、こいつかなと思った奴から射た」

「あのさ、気を悪くしないでほしいんだけど、本気?」

「うん、ほ、本気だ…」ノーレは歯切れ悪く言いながら、空気をごまかしたいのか、また魔法の大弓を、流れる空気から編み始める。「いや、端から見て、どうかしてるのは知ってる。というか、最近知った。普通はそんなことはしないんだろうな、人の命がかかっているときに。だけど──」

「──君はそうする、と」言葉を引き継いだレライエは、不意に眼下の異変に気づき、景色の動きを注視した。今、彼らが空中を通過しているのは森の中だが、単独行動している騎士のような姿が見えたのだった。針葉樹の影に隠れたその、人らしき形の影を、鋭い目で追う。「どうしてか訊いても?」

「……俺は、」幾重にも、虹色の帯を巻き上げてつくられた魔法の大弓を構え、ほのかに輝くそれを手にしたノーレは閉じていた瞼を開ける。

「選択を誤ったことがない」

 刹那のつめたい爆風、稲妻の勢いで大弓から氷の矢が射出される。ひどく甲高い一音、弦を弾いたような澄みきった音とは裏腹に、木の影から馬と混じった人体の肉片と鎧の破片が醜く飛び散り、花のように咲いた赤が空中で黒の靄へ変化し、放射線状に魔族の屍だった切れ端が森に撒きちらかされた。

「……言葉がなくても、うまくいくものだね」

 槍のような氷の矢を精製したレライエは口笛を吹き、拍手の代わりに指を鳴らした。双方の間で言葉にされた提案こそなかったが、レライエが生む氷の魔法を矢にした方が、破壊力は高まるのではないかと、共闘の間に二人ともが考えついていたのだった。

「それで、選択を誤ったことがないっていうのは──まあ、そのままの意味でいい?」

「そうだ。俺は、なんの判断材料もなく二者択一を迫られたら、いつも全くの勘で選ぶが──必ず望んだほうを引く」

 事も無げに言いながら、ノーレは大弓を回し、自分が生む小さな矢よりも随分な威力のあるレライエの矢が生み出した結果を見て、満足そうに頷いている。

「……君、嘘つけないんだっけ」

 形のよいおとがいに指をあてがい、興味深そうにレライエはノーレの顔を見上げた。

「ああ。嘘をついたらこの首が落ちる。そういう契約になっている」

 レライエを取り巻くようにはためくノーレの服の裾を横にのけ、三つ編みにした彼自身の髪が巻き付く首を、レライエは紅い両眼でしげしげと見つめた。「……それはそれは。じゃあ、君に運命の女神が味方してるっていうのは真実みたいだね」

「それはわからないが」再度瞼を下ろして、ノーレは首をかしげる。「──とにかく、俺はいざとなったら、自分の勘を信じる」

「それじゃあ僕も、君と、君の勘を信じた方がいいかな」

「いや、それはどうだろう。結局根拠はないわけだし」

「なぜそこで引くの、君」

「根拠がないから……」

「世の中、意外に根拠のないことばかりさ。確かなことの方が珍しいよ」

 そう呟いたレライエが、どこか遠くを──今ではないいつかを見ているように思えて、ノーレは口をつぐんだ。自分には見えないものを、人は皆抱えて、それを火種に命を燃やしている。その内部に口を出せることではない。だからノーレは、「貴殿の思う通りにするといい」とだけ言った。レライエが少し笑い、背を逸らしたことが輪の揺らぎから伝わる。彼のしなやかな腕がまっすぐ前に伸ばされた。

「さあ、あの影は首都の街並みじゃないかな。いよいよ罠の中に飛び込むようなものだ、気を引き締めないとね──運命の女神は、僕たちを見ているのだろうから」

 その言葉を合図に、さらに加速した吹雪のなかを、銀の輪は流星のように切り裂いていった。

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