Libertaris 鹿

「ヴュルガー殿はこちらにいらしたのか」

 声をかけられたヴュルガーが振り返ると、そこには、奇妙な形にまとめられた新緑の髪と、いつも閉じた瞼が特徴的な男が立っていた。しかし、今は両の目がきちんと開かれている。たしか第三騎士団の、とヴュルガーが考えている間に、男は靴音を響かせて近づいてくる。ヴュルガーは咄嗟に、相手には悟らせないように身構えた。

「俺は前線からこちらに来たのだが─…」

 話しかけてくる知人も信用しきれない。戦場と化した城内では、死骸や血痕から立ち上る妖気、さらに人ならざる者の血を引く騎士や霊司が数多くいることもあり、区別がつかない状態になっていた。

「……ここへ来る間に、鹿を殺してきたんだ」

「──ああ、鹿。でも、たしか鹿は妹さんを思い出す、と」

 不意に、明確に場の雰囲気がひりついた。空気中への放電現象のように警戒心がみなぎる。ヴュルガーの腕に力がこもり、剣の柄を握っている。男──ノーレはそれを知ってか知らずか、なにか納得がいったように頷いて、実は、と話し出した。

「以前、貴殿に妹の話はさせてもらったことがあったと思って」

「ああ、炙り出しかい。…なるほど、いい考えだね」

「ここへ来る前、砦で友人の姿を盗んだ魔族を殺してきたのだが」ノーレはその内容を事も無げに言ったようだったが、睫毛が少し震えていた。「そいつは最後まで俺の名前を呼ばなかった。──恐らく、記憶までは模倣できないのだろう」

「しかし、よく覚えていたね。君と話したのはかなり前の遠征のときくらいだったように思うけれど」

 そうだな、と肯定するノーレの、紅の縁取りがある水色の瞳は、会話しているときでも不安定に宙を揺れ動いている。彼が極度の弱視であることは他から伝え聞いていたため、ヴュルガーは冷静に判断する。──十中八九、本物だ。見えていない演技は難しい。

「君が目を開けているのも珍しいね」

「もしかして、貴殿ならわかってると思うのだが」

「………目が見えていると、姿を盗もうとする魔族に錯覚させるためかな」

 ノーレは大きく頷き、少し興奮したように手まで叩いた。「……その通りだ!」

「正解か。あと、君が意外と感情豊かなのを知っていてよかった」そんな風にするのを他のみんながみたら、多少驚くだろうね、とヴュルガーはノーレの手を指差した。そのとき、背後から後輩の騎士の呼ぶ声が聞こえ、ヴュルガーはノーレに一礼した。

「では、健闘を祈る」

「ああ、そちらこそ──そうだ、偽の貴殿を見破る方法は?」

 ヴュルガーは一瞬立ち止まり、垂れ落ちる豊かな灰色の髪の隙間から、小さく微笑んだまま言った。

「………感情表現の巧拙、かな」

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