Blood Worker 1

 奇妙な食卓である。

 長方形の、きわめて実用型のテーブル。対角線が引かれ、白と黒に塗り分けられたその天板の対する二辺にそれぞれ、男と女が腰かけている。

 酸味の強そうなブラック・コーヒーに、炒った松の実が幾つかのった台湾風の灰皿。涼しい目元をした男が、その実を二、三まとめて摘まみ、口に放り込んだ。

 ショッキング・ピンクのスープに、とろりとしたベリーの果汁のかかった小さなパンケーキ。不機嫌そうな顔つきでラジオのチャンネルをひっきりなしに変えている女は、乳白色の歯でまるいパンケーキを三日月に齧りとった。

「機嫌が悪そうだな、ナージャ」

 テーブルの向かいで、コーヒーを啜りながらネットニュースをチェックしていた男が、澄ました表情で言った瞬間、女は犬歯で、パンケーキの残りと真っ赤な果実の粒を勢いよく噛み潰した。

「ちゃんと味わって食べなさい。スィルニキが泣くぞ」

「スィルニキじゃなくてブリヌイだよ」

「そうか。ロシア語は苦手なんだ」

「私も中国語は苦手だよ」

「まあ、俺も母語は英語だからな。…で、どうした。また女に捨てられたのか」

 テーブルを殴打する音が響き、地震のように食器が振動する。潰れたベリーが皿の上でふるふると揺れた。

「捨、て、ら、れ、て、な、い」

「そうか、もとからお前のものじゃなかったんだな」

 女は前時代的なラジオのスイッチを、破壊するようにして切る。黒に金のラインを描いたネイルが稲妻のように見えた。頬杖をつき、苛立たしげにその電気的なネイルで天板を叩いていたが、やがてふて腐れきった表情でそっぽを向いた。

「………そうだよ、その通りさ。ふん、私は愚かだからね、都合のいい女になってあげたんだよ」

「都合のいい金づるじゃないだろうな。まあ俺に関わりはないが」

「まだそんなに貢いでないよ」

「まだそんなにときたか」

 男はため息をついて、酸味の強いコーヒーの残りをあおった。透けた白いカップの底は、奇妙な食卓を照らす朝日に濡れて光っている。切れ長の目を細めてそれを見ていた男に、ナージャと呼ばれた女─ナジェージダは地を這うような声で返す。

「そういう君は大層機嫌が良さそうだねぇ、ハンフォン。前のBFとは別れたんじゃなかったっけ?」

「俺は常に何人かキープがいる」

「最低だね。これは真剣な話だけど、頼むから体液から感染するタイプの病気にはかかってくれるなよ」

「それは俺の台詞だよ。お前の血を飲むときには多少の勇気を振り絞る必要があるんでね」

 肩をすくめた男─ハンフォンは、テーブルに置いてあったダイバーズウォッチをつけると、カップをキッチンに置きに立ち上がった。洗っていきなよ、と背にかけられた声に片手をあげ、言われた通りにする。スーツのジャケットを羽織ると、ナジェージダは呆れたように眉を──と言っても、彼女はほとんど眉を抜いてしまっているが──動かした。

「またチャイナタウン寄るのかい。ブリヌイ食えよ」

「朝はしっかり食べる主義なんでね」

「担々麺の唐辛子で胃に穴あけちまえ」

 言葉とは裏腹ににやりと笑いながら、ナジェージダはハンフォンの後頭部に向けて投げキッスをした。その左の薬指には、白々しく磨かれた華奢なリングが嵌まっている。

「おいナージャ、今なにかしたか。寒気が」

「呪いをかけたよ。今付き合ってる男全員と別れろ」

「やめろ、洒落にならない」

 こうして、とても夫婦・・とは思えない会話を交わしながら、朝の奇妙な食卓は終わりを告げた。

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