Exorcism 5

「幸福におなりなさい」 ナイチンゲールは叫びました、「幸福におなりなさい。お望みの赤いばらをさしあげましょう。それを月明りのなかで音楽から作りだし、あたしのこの胸の血で染めてあげましょう。それのかわりにあなたにお願いしたいのは、ほんとうの恋人になってくださることだけです」

──オスカー・ワイルド「ナイチンゲールとばらの花」より


 人間は薔薇を好む。有史以来、という言い回しは天使の目からみればとても不確かなのだが、とにかく人間が花に意味を見いだし始めてからずっと、薔薇は愛されていた。

 そして、天使も薔薇を好む。

 紡錘つむを真上からみたように、白い花びらがたっぷりと重なった花束を胸に抱き、天使ラズリエルは愛しい相手の野苺のように輝く瞳をみつめた。

「花言葉、ですか?」

 彼のあどけない疑問の表情を見た相手─ルスランはゆるく眼を伏せる。その憂いを帯びた睫毛は滴る蜜であり、ラズリエルが乙女のように頬を染めると、ルスランはかぶりを振った。

「巷では云うのですよ、真っ赤な薔薇は愛の象徴、あるいは現世のうつろいやすさ──白百合は聖母の花、純潔のあかし」

 しかし、と、ラズリエルの花の茎に似つかわしい細く優しげな指に、そのしなやかな指を添わせて、ルスランは囁いた。「──天が定めたのでないのなら、そんなものは無意味でしょうね」

 曖昧な返事をしてラズリエルは俯き、翼のような睫毛を震わせた。甘く開き、なにかを云おうとして無音にとどめた吐息が、ふるりと柔らかく湿った花びらを揺らした。

 真珠貝の内側のような爪をなぞるだけの愛撫をして、ルスランの指が離れていこうとしたとき、不意にラズリエルはなにかを振り払うようにぱっと顔をあげた。その瞬間に瞳に射し込んだ光が、青い彗星のように閃いた。

「私は、人の考えるものを美しいと感じます。人が花に与える名を、意味を、想いを、私は、何よりもいとおしいと……」

 頬を薄紅にそめて、すぐに伏せられた白金の睫毛を、天使はこんなところにも翼を持つのだとルスランは思う。眼にも心にも。

「人は──美しいもののために、その身を与えることができますね。心を捧げていとおしむことを、現実の行為にしたのがきっと、そうして言葉を花に与えること。楽園の記憶に、新たな名前をつけること。愛するものへおもいを伝えるため、その人の心の一片をそこに残しているようで──

 ──だから、私は、花に言葉を与える人を──愛します」

 ルスランは、ラズリエルの手から薔薇を受け取り、胸に抱く。微笑は常の憂いを帯びたものでなく、はにかむ白いつぼみのように綻んでいた。

「ならば編みましょう、その花にふさわしいたった一行の詩篇を」

 花──と言いながら、のべたルスランの瞳は、今やラズリエルの白薔薇のようなかんばせと、青き衣の輝きをまとう白百合の翼を見つめていた。



(底本:『幸福な王子 ワイルド童話全集』オスカー・ワイルド著、西村孝次訳「ナイチンゲールとばらの花」)

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