Exorcism 3

「明日はサウィン・フェシュだ」

 教会の庭園で、シャベルを地面に突き立てたまま、ウィレムは振り返った。中庭を取り囲む回廊には、ひとりきりで、赤みがかった金髪の若い男──リオーダンが立っていた。

「失礼。なんだって?」

 自分同様、異国からここへやってきた男の発した聞きなれない言葉に、ウィレムにしては丁寧に聞き返した。

「ソウェン──フェイシュだ」先程よりも強い訛りで、秋風に吹き散らされないようにリオーダンは繰り返した。

「冬迎えの祭だよ」

「……ああ」顔にかかる赤毛をかきあげて、ウィレムは頷いた。「故郷の話か?」

 リオーダンは俯き、「カトリックでは、万霊の日オール・ハロウと云う」

 曖昧な相槌をうって、ウィレムは足元の掘り起こしかけた土に目を落とした。ここは何かが植わっていたはずだが、さて何だったか。

「だから、今夜は前の晩イヴだ」

 続く、どこか妙に平坦なリオーダンの言葉に、「オール・ハロウのイヴ、か」と鸚鵡のように返す。握ったシャベルは動かない。ぽっかりと隙間が空いている菜園の黒い土に、なにを埋めたのだったか。思い出せずに、逡巡する。これ以上深くシャベルを突き立てると、植わっているなにかを傷つけてしまうかもしれない。

「故郷の島では、恐ろしい夜だった。冬の前に、妖精も、魔物も一際暴れるだろう」

「──よかったな。ここは大陸だ」

「そうだ」

 ふっとリオーダンの声が柔らかくなり、土を踏む堅い靴の音がした。

「それは?」

「──踏むな」制止する。「そこは道じゃない。水仙の球根が植わってる」

「これは失礼した」注意深く足をどけなから、リオーダンは迂回して、ウィレムの近くまでやってくる。丈が高い花越しに対面して、その隙間からウィレムの作業するところを眺めている。

「宿根草を植えてるんだ。──もうすぐ芽吹く」

「そうなのか。……食べるために?」

「違う。──」シャベルを土から抜いて、そこに屈み込む。「──売るためだ」

 植物の壁ごしに、リオーダンが息を吐いたのがわかった。他の聖職者たちがはたらく菜園や薬草園とは別に設けたこの庭で、祭壇装飾と、売買のための花を育てているのは、ウィレムを含めた少数の奇特な者だけだ。お前は本当にカトリックなのか、新教徒ではないのか、と訊かれることは多い。生まれが新教国なのもあるだろうし、何よりこういった点だ。

「教会は───」他の園芸植物をかき分け、ウィレムは、ふっくらとした土の表面を指で掘り返し始める。

「慈悲だけで運営されているわけじゃない」

「確かに、食料以外はどうやって賄っているのかときどき考えていた……じゃあ、この花を売ったものなのか」

「──花だけじゃない。が、」指先になにか当たったのを感じて、その表面をたどる。「この庭で生えた変種があるから、好事家によく売れる」

「ウィレム、俺は話しかけない方がいいか?」

「──いいや、別に。なんで」

「……集中したいようだから」ウィレムの手元に視線をやりながら、リオーダンは続ける。「返事が途切れ途切れだ」

 意識していなかったウィレムは、片方の眉をあげた。痘痕のある方の眉を動かすと皮膚が少しつれるのだが、癖でそちらが動いてしまう。

「……べ、つ、に」土からやっと顔をだした球根の、小さい芽が吹いている表面を指先で味わいながら返す。水仙だった。変種らしき大きな株を、一週間ほど前、ひとまずここに植えたことを今になって思い出した。

「これは元々の会話の癖だ。俺は作業中に話しかけられたくらいで効率が落ちるほど無能ではないのでね」

「いや、急に饒舌になったな…」

 腕を組んで感心した風に呟いたリオーダンに反論しようとしたウィレムの声を、ちゅうという鳴き声が遮る。見ると、リオーダンのフードの内側から、なんともいえない輪郭をした小動物が、ちいさな頭を出して主張していた。そういえばこいつはこの妙な生き物を連れていた、と思い出すと同時に、その謎の小動物は、リオーダンのケープを這い上がり、肩口から腕を滑り降りてきた。白い毛があとに残って皺が道を作るのを見ていると、それはリオーダンの手の甲まで来て、ウィレムを見上げて、ふんっと鼻を鳴らした。

「こら、ねずみ」

「いや、それはねずみではないだろ」

 前々から思っていたことを言ってみたが、リオーダンは聞いていないようだった。

 ともあれ、ウィレムは球根をまた埋め戻し始めた。奇形ではあるが、育つととても歪に美しい花が咲く。故郷で学んだやり方だ。深まる秋を吸って黒々と湿った土が、爪の間に入ってくる。その手元に、覗き込んでいるのか、リオーダンの頭の影が菫色をして差してくる。

「今晩は魔除けをして寝たほうがいい、と子供の頃はよく言われた。妖精はよく子どもを狙う。──そうだな、たとえば、取りかえっ子チェンジリングという言い伝えがある」

 唱えるような声が降ってくる。問わず語りは異邦人の癖だ。こんなしらじらと孤独な日は、過去の白昼夢がその口からこぼれて落ちてくる。

「妖精たちが、子供や、女や、花嫁を、異界へ連れ去ってしまうんだ。そして後には、自分たちの子どもを残していく。目を爛々と輝かせた、牙を持つ、邪悪な存在を」

 ウィレムは、魔物のようだな、と思ったが、分別らしく口には出さなかった。ましてや、その連れ去られたと思われている人間が、魔物になってしまっただけではないのか、などとは。

「しかし、祈りを絶やさず、信仰深くおれば、なんら怖れることはない。無事夜は明ける──主のおかげでヴィアハス・レ・ディア

 彼が最後になんと言ったかはウィレムにはわからなかったが、リオーダンの影が十字を切る仕草をした。ちゅう、とちょうどよくねずみも鳴く。特に気にとめず、水仙の球根をもとあった位置に埋め戻して、風が出てきたな、とウィレムは思う。

 恋しい天使の髪のように、秋の陽光は真白い。切り取られたような四角の中庭に差す太陽が、やがて短い午後の半ばに達そうとしていた。

「リオー、ウィレムギヨーム。ここに」

 そのとき、儚いようでいて、その実脆くはないそれこそ水仙の花に似た呼び声がして、ふたりの男が顔をあげれば、いつのまにか回廊に、羊皮紙を抱えた流れ落ちる銀の髪の若者が立っていた。回廊の石の床は、よほど気を付けないと足音が響いてしまうが、彼はいつも静かに現れる。

シャルルカレル」彼の方を向き、母国語風に呼び返すと、訛りの抜けないことを羞ずかしがる彼は少し耳を赤くして微笑んだ。ウィレムはちらりと隣のリオーダンを見て、それから首を傾げたくなった。何と云うこともなくどことなく奇妙な印象が、陽が明るすぎるせいなのか、その横顔に射し込んでいた。シャルルの甘やかな声が続く。

「クルトが無事戻ってきましたよ、傷もなく。あの子はどんどん強くなりますね」

 ─そうか。出迎えてやらなければな。

 リオーダンはそう返すと思っていた、いつも通り。しかし、傍らにはいつまでも沈黙がたたずむ。ちらりともう一度視線をやって、ウィレムはすぐに前を向いた。

 ──目を爛々と輝かせた──邪悪な存在──

 おのれが目を向けた確かにその一瞬、彼の緑の瞳は、見なければよかった、とすら思うある種の色を湛えていた。その瞳が見ていたものは、ひとり。

 緑の目をした怪物。その響きが脳裏をよぎる。自分の瞳も、心の奥底に沈めたものをこうして浮かびあがらせ、透かしてしまうような色を映したりしているのか、ウィレムは沈黙し考える。

 しかし、暗いところから光に満ちた庭を見ているシャルルには、きっとそれは見えない。世界に拡がった光のヴェールと、丈の高い植物の色に紛れて、その瞳はわからない。

「…そうか。出迎えてやらねばな」

 まるで、ふたりの間だけ時が止まっていたように、不意にリオーダンがシャルルにそう返事をした。ええ、とゆっくり頷くシャルルの銀髪が、さらさらと肩をすべって無垢に輝く。

 ちゅう、と鳴き声が、意外なほど近くからした。目線を、けしてリオーダンの顔を見ないように斜め下に向けると、彼の肩口をねずみのような謎の小動物が、鼻先を向けてつついていた。

 そのふわふわした体を、白い手が掴む。そのまま小動物をフードに連れ戻し、シャルルに手を振ったリオーダンは、その動作を目で追いかけてしまったウィレムの両の瞳を、まっすぐに見た。

「どうしたんだ、ウィレム。──悪魔でも見たような顔をして」

 燃えるような翡翠の真ん中には、夜の闇よりも真っ暗い、孔が開いていた。

 人間が、一晩で魔物に転じる夜。

 傾き始めた太陽は、未だしらじらと明るく、なにも知らないような光を、誰にも平等に投げかけていた。

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