水曜日はノー残業デー

くにすらのに

水曜日はノー残業デー

 水曜日はノー残業デーだ。

 その実態は残業代が出ないだけで、仕事が残っていればタイムカードの打刻をした後に仕事する。

 普段から定時に帰りたいが水曜日は尚更である。

 さて、俺はドラッグストアの片隅に併設された調剤薬局で働いている。

 住宅街の近くに店を構えるため、夕方以降に仕事帰りのサラリーマンが処方せんを持って来局してくる。

 日中は暇なわりに残業になってしまうパターンが多いのだ。

 その残業も30分未満の場合はなかったことにされる。

 閉局間際に処方せんを持ってこられたとしても、残業代が付くほどの仕事にはならない。

 それが水曜日なんて30分を超えても、1時間でも2時間でも残業代は0!

 定時に帰らなければやってらない!


 今は18時57分。閉局まであと3分だ。

 まずは受話器をはずして外線に繋いでおく。

 19時前に最も多い問い合わせは「あと10分くらいで着くのですが間に合いますか?」である。

 閉局が19時で到着が19時10分。わざわざ聞かなくても間に合ってないことを理解してほしい。

 ただ、「間に合いません」とはなかなか言えず「お待ちしております」と返して無駄に居残りする羽目になる。

 本社にクレームを入れられるのが1番困るのだ。

 受話器がはずれていればあくまでも話し中。居留守を使っているわけではない。

 これなら諦めが付くだろう。そもそも間に合ってないんだし。


 さて、定時まであと2分30秒。まだ油断はできない。

 19時閉局は19時まで処方せんを受付けているという意味だからだ。

 俺として19時に薬局を出るという意味にしたいのだが…。

 そんなことを考えていると、1枚の紙を持ったおばさんがこちらに向かってくる。

 はいはい来ました。閉局間際なら空いてると思って処方せんを持ってくる人。

 この薬局は昼間の方が空いてるし俺のヤル気も多少はあるんですよ。残念でした。いろんな意味で。

 ……しかし、おばさんは方向を変えた。

 どうやらあの紙は買い物メモらしい。おばさん改めお姉さん、お買い物をお楽しみください。


 残り1分15秒。手汗がすごい。

 ひとまず分包機や電子天秤の電源は切った。

 バックアップもあるので完全に電源が落ちるまでに少し時間を要する。

 万が一にも電源が入ったままで調剤室の中を照らし続けているとドラッグストアのスタッフから本部へ通告されてしまう。

 違う部門同士、お互いを見張り合うことでコスト削減や不正の防止をしているのだ。

 

 18時59分。ラスト1分。

 緊張で胃がキュッとする。

 明日は祝日で薬局は休みだから別にタダ働きの居残りをしても良いんだけどさ、ここまできたら定時に帰りたいじゃん?

 今夜は辛さ10倍の柿の種でビールを飲みたい。

 胃が弱いから休みの前じゃないとなかなか味わえない小さな贅沢だ。

 想像するだけで口の中によだれが溢れる。

 

 残り30秒を切った。

 四捨五入という表現が正しいかわからないがほぼ19時。打刻したってバチは当たらないと思いつつグッと堪える。

 ここで焦ってはいけない。気配を殺すんだ。

 「誰も来ないでくれ!」と念じるのではない。

 あいつらはわずかなオーラを察知してまだ受付けしていると考え寄ってくる。

 無だ。残業したくない。帰りたい。ビール飲みたい。

 そんな欲求を全て消して残りの時間を過ごす。

 おっと、受話器を元に戻しておかないと。明日まで話し中になっていればそれこそ問題になってしまう。

 これでやり残したことはない。

 より一層の無に入るために数字でも数えようか。

 10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、

 19時00分。表示が変わった瞬間に全ての意識をタイムカードを持った右手に注ぎ打刻する。

 音は立てるな。調剤室の電気を消してスッと部屋から出る。

 鍵を閉める時も隙を見せない。

 まるでオートロックかのごとく、鮮やかに施錠を済ませた。

 ここで喜びを表してはいけない。

 ドラッグストアのスタッフに「お疲れ様でした」と声を掛けつつ、相手が返事のタイミングを逃す程度の早足で外を目指す。

 定時前最後の3分の延長戦。店の外に出る30秒も制した俺は無事に定時退社を済ませたのであった。

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