田舎の列車は停車時間が3分しかない

チクチクネズミ

第1話田舎の列車は停車時間が3分もある

 タカキと別れたのは、まだ携帯がそこまで普及しないときだ。電話はもっぱら固定電話で、俺が住んでいる田舎で持っている人なんて皆無だった。だから今みたいに、お見送りするのは俺の田舎では恒例行事であった。

 俺もそれに倣って、一人タカキを見送りに行った。

 

 夕暮れに刺さる桜は赤に染まっていた。咲いたばかりで一枚も花びらが落ちていない砂と土だらけのあざ道を、手の中にタカキと行きつけの駄菓子屋で買ったお菓子を抱えて走っている。今、タカキは駅で列車を待っているはず、ウチの田舎は一日に五本しか来ない。しかも夕方の列車を乗り過ごしたら、都会へ一本で行ける列車は明日にならないとこないのだ。

 遅れないように、俺は温かな春の匂いが運ばれる道を行っていた。


 木造の駅舎が見えた。無人駅である駅舎には人の声すらない、タカキがこの田舎から出立するその時間であっても、全く人の声すら聞こえない。

 すると、俺の来ていた道に沿って一両の列車がゴゴゴと荒げる音をかき鳴らしてホームに入っていくと俺は脚を速めた。

 駅舎に入ると、改札の前に置かれていた『駆け込み乗車禁止』と書かれていた伝言板が壁のように立ちふさがっていた。駆けこむような人が少ないのに無意味な標語を無視してそれを飛び越えて、ホームに駆け上がった。

 ウナギの寝床のようなホームに上がると、列車のドアは閉まっていた。後方のドアは下車用なので開かないことは知っていたので真っ先にホームの先端に駆け寄る。

 靴の底がすり減るほど走った俺の脚はホームの先端にまで何とか持った。列車の先頭の入り口には両肩にパンパンに荷物を詰めたタカキの姿が見えた。


「タカキ!」

「おう、お前見送りに来てくれたのか」


 俺の声に反応して振り返ったタカキは、春の温かさを思わせるように朗らかに笑った。俺は、それにもどかしい感情を抱きつつも手に持っていた駄菓子をタカキの胸の中に押しやった。


「ほら、出立祝いだ。いつもの駄菓子屋から買ったぜ。あと、おばちゃんがおまけしてくれた」

「まじか。本当お前は最高の親友だ」


 タカキは嬉しそうに茶色の袋に入った駄菓子に手を入れて、さっそく飴を一つ口の中に入れた。ゴゴゴと地響きのような音を立てている列車の駆動音の中でコロコロとタカキがニコニコと笑うように口の中で飴を舐める音が聞こえる。ほかの奴が声をかければいいのだが、俺のほかにのだ。

 列車が出発するまで三分も猶予があるのに、俺は声をかける言葉が出ない。


「なあ知っているか。東京の列車はこんな風に待たなくてもすぐに次の列車がくるんだぜ」

「何分ごとに?」

「たしか三分ごとに来るって」


 短い。

 この列車の停車時間している間に、東京では次の列車が来るのか。見送りにしか満杯にならない駅舎が人でいっぱいになるほどの乗客が列車に乗る。そしてそれが当たり前のように、人を詰め込んでは吐き出すのか。

 全く想像もつかないほど、途方のなさだ。


「すげーだろ。そんだけ、人がいっぱい運ばなきゃならないのさ。こんなところで御山の大将決め込んでも外に出りゃ何でもないのに。偉くなるには、もっと人が多くて競争が激しいとこに行かなきゃ、なんにもなんないんだよな。なにが親の後を継げば安泰だ」


 最後の文句を垂れると初めて俺から視線を外し、遠くを見ていた。見つめる先は、ウチの田舎で一番大きいタカキの実家がある方向だ。

 もう二分経った。


「他の奴らは……まだ来ないみたいだ。まったく、三分もあれば花束も渡せるのにさ」

「まあ、睨まれたくないのさ。でもお前ぐらいだよ」


 俺はタカキの気を引こうと声をかけたが、分も


「あのさ……俺――」


 タカキが何かを言いかけた時、運転手は無情にも扉を閉めた。扉の窓からタカキが口を大きく開いて何かを伝えようとするが、列車が大きなうねりを上げてタカキの声をかき消すと、ゆっくりと走り始めた。くすんだ黄色の車体が、黒い噴煙をまき散らしながらホームから引き払っていく。温かな春の匂いも、タカキの顔も上書きされそうな酷い匂いだ。

 俺はホームの先端で遠くに行ってしまった列車の四角い顔を見送り、さっきまでタカキがいた場所をもう一度見る。線路とその隙間から伸びる新緑の雑草だった。


 もうタカキはここにいないのだと、目の奥がじわじわと痛み出してくる。そしてタカキが列車に乗り込む時に見えた悼むような表情が思い出されると、その痛みはより激しくなった。



 あれからタカキはどうなったのだろうか。

 彼がこの故郷を捨て、何を目指したのだろうか。

 タカキは最後に俺に何を伝えたかったのだろうか。



 それを俺はタカキが乗っていった同じ時刻の列車に乗り込んでいる。ようやくタカキが言いたかった言葉をその届かなかった声で聞けるのだ。

 見送りに来る人は誰もいない。タカキの時と同じだ。

 しかし、まだ出発しない。


 田舎の列車は停車時間が三分もあるのだ。

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