昏き水底のサーペント

観月

昏き水底のサーペント

 西暦2×××年。

 人類は宇宙ステーションや月面コロニーを建設するまでに発展を遂げていた。

 一方で、未だ人類が到達することのできない場所が、地球上にも存在する。

 海底である。

 それでも何艇もの潜水艇は昏い海水の底を行き交い、各国の領有権を巡るつばぜり合いも、皆無ではない。

 



「潜水艦ホテルだとさ、何が嬉しくて、そんなところに金を出して泊まるのかね」

「いや、そういう潜水艦はさ、快適にできれるんだよ」

 日本軍潜水艦「蛟」

 哨戒任務を終えた男たちは、自分の寝床にその身をねじ込んだ。

「日本軍の潜水艦だって、昔よりはずいぶんと快適になったって言うぜ?」

「だな。昔は匂いもすごかったらしいし、ベットももっとせまくてさ、人数分もなかったんだろ? 数少ないベットを使い回すからさ、寝床に入ると前のやつのぬくもりが残ってたって」

「ああ、ホットベットってやつ」

「それ、何百年前だよ」

 小さな諍いは世界各地で勃発していたが、世界規模の大戦というものは、もう何百年と人類は回避してきている。

 潜水艦の居住性の飛躍的な改善は、平和のもたらした賜物と言ってもいい。

「ほら、くっちゃべってないで、さっさと寝ろ」

 シャワーを浴びてきたらしい女性上官が、短く刈り込まれた髪をタオルで拭きながら男たちに声をかけた。居住環境の改善は、女性乗組員の増加にもつながっている。

 それでも、ドルフィンマークを取得できるような女性となってくると、男性と並んでも引けをとらないか、それを凌駕するような身体的、精神的な強さを持つものだけである。

 狭小な艦内で共に作業をしていても、ムラムラのムの字も湧かないどころか、そんな気持ちを持ってしまったら、と考えるだけで震えが来る。

「寝るか……」

「だな」

 雑談に興じていた男たちは毛布をかぶると、またたくまに無意識の中へと落ちていった。

 


 潜水艦の片隅で、そんなやり取りが行われていた同時刻。


 十月二日。

 13:02ヒトサンマルフタ

 

 水中音波探知装置ソナーを監視していた乗組員が

「あ」

 と一声小さく発した。

「どうした」

 艦長である斎藤二佐はその声を聞き漏らさなかった。

「あの、今なにか……あ! 国籍不明の潜水艦が、岩礁の影から浮上!」

「なに? 潜水艦で間違いないのか?」

 広い海の底のことであるから、他国の潜水艦と出くわすことなど、そうあることではない。ただ、隠密行動が原則の潜水艦である。時には国籍不明と思った相手が同じ日本軍の潜水艇だったなどという笑い話もある。

 現代は、かつてないほどに各国が潜水艦を保有し、海底探査や、海底調査に乗り出しているという事実もある。観光のための潜水艦も、近年は人気があるらしい。

 軍の潜水艦と異なり、そういった潜水艦は必ず出航前に届け出義務あるはずだった。

 それに、今「蛟」が航行しているのは、水深3000メートルの深海である。観光目的の潜水艇は、この深度での航行は許されていないはずだ。

 ただ、そういうときのために通称『グリーンシグナル』と呼ばれる、敵意のないことを相手に伝える信号が、国際ルールとして取り決められていた。

「シグナルを打て」

「シグナル。打ちます」

 向こうからも、同じシグナルが返ってくれば、お互い敵意なしということで、そのまま通り過ぎていけばいいだけのことだ。


 13:03ヒトサンマルサン


「不明潜水艦、こちらに向かってきます」

「シグナルを打ちつつ、回避」

 操舵室に小さなしこりのような緊張が生まれる。

 あまり近づきすぎると、面倒である。

 潜水艦同士が予期せぬ接近をしてしまった場合、グリーンシグナルを打ちつつ、回避行動に出る。これが最もポピュラーな対処方法だ。

「蛟」は速度を保ちつつ方向転換をする。

 もし、不明艦の方でなにかトラブルが発生してるにしても、助けを求められなければこちらから迂闊に関わることはできない。

「向こうからのシグナルは?」

 副長が尋ねた。

「まだ……、まだありません」

 操舵室の空気が、さらにぎゅっと引き絞られていく。艦長である斎藤は、ほんの少し体に熱が溜まったように感じた。

 冷たい海底に、ぽつんと二隻。

 こちらに気がついていないわけはない。

「両舷、前進、全速」

「両舷、前進、全速」


13:04ヒトサンマルヨン


 艦内にスクランブル音が鳴り響いた。

 夢の中に後少しで到着するところであった乗組員たちは、ガバリと起き上がる。

今の潜水艦の材質は、改良に改良を重ねられていて、艦内で多少の音を立てようと、外に漏れることはない。

 静かなる水底にあって、音というものは、視覚よりもずっと多くの情報を敵にもたらしてしまう。

 かつては艦内で大きな音を立てたりしたものなら、艦長に呼び出しで指導をされたなんて話も聞くが、今はそのようなこともない。

 スクランブル音が、止まる様子はない。

 長く潜水艦に乗り込んでいるものも、このスクランブル音を訓練意外で聞くことは、めったにあるものではない。 

「なにが起きたんだ?」

 靴に足を突っ込みながら、誰かが不安げにつぶやいた。




「魚雷が……魚雷が発射されました!」

「ばかな!」

 もしこの魚雷が命中したら……。

「取舵一杯! なんとしても回避しろ」


――シーサーペント!


 このところ、海底で不明になる潜水艦が後をたたないという報告が上がっていたのを、斎藤は思い出していた。

 各国とも正確な情報は出していないが、お互いの腹を探り合うための小出しの情報は溢れかえっている。

 昏き水底から浮かび上がる国籍不明の潜水艦。

 近頃では誰が言い始めたのか「シーサーペント」などというおどろおどろしい名前で呼ばれはじめている。

 そいつの目的も、所在もまったくもって全てが不明。

 だが、もしこのような状態が続くなら……。

 長きに渡り平和というゆりかごの中でまどろんできた日本という国の、いや、地球という星の眠りが終わりを告げることだって、ないとは言えない。

 一度地球規模の大戦が引き起こされれば、人類は自らを破滅に導くために十分なパワーを手に入れてしまっているのだ。


 回避したとして、逃げおおせられるか?


 斎藤は自問自答した。


「回避不能。着弾します」

「隔壁閉鎖……!」

「魚雷衝突まで二十!」


 早い!


 出来ることは、ないのか!?

 

 まだだれも到達したことのない一万メートル級の海溝の底から、浮かび上がる一匹のシーサーペント。

 お前は、この惑星に何をもたらそうというのか?

 なんのために――?


13:05ヒトサンマルゴ


 



<了>

 

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昏き水底のサーペント 観月 @miduki-hotaru

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