11 学校訪問

「すみませんが、こちらの生徒さんについて気になることがございまして、窺ったのですが了承いただけますか?」

 いつかと同様、正門担当の時にこの手の訪問か、と制帽を脱ぎ、頭を掻いて男の顔をじっと見た。パトカーではなく乗用車に乗った男が運転席から降りてそう要求したのだった。窓から車内の様子を見てみると他に二つの影が見える。

 小池歳三は前回の経験に従い身分証の提示を求めた。

「県警捜査一課銀河京朔です」と丁寧に警察手帳を小池に手渡した。前回来た抑揚のない警察官とは大きく違う。それだけで小池は京朔に好感を持った。

「生徒さんと言うと亡くなったという子のことかな?」

 数日前に授業時間の一部を使って全校生徒で黙とうを行ったことは聞いている。それに家族の車両を誘導したのもそのあたりだ。具体的にこの刑事がどんな事件で捜査しているか一言も言っていないが、直感的にその生徒を思ったのだ。

「申し訳ありませんが捜査のことは言えないのです」

 そう返されると想像ができていたから、小池は空返事の後すぐ無線機で受付に事情を伝えた。今日の担当も竹内だった。

『土門さんの了承が降りました』と数分もしないうちに返答があった。

 土門とは教頭のことである。これほどの迅速性と言うことは先に連絡が行っていたのだ。現場にも伝えてほしいものだと思いながら、いつものように来客用玄関前に車両を誘導した。

「どうも」と京朔は小池に軽く会釈し車を降りた。他の二人も続いて会釈し受付を通った。一人は女性でもう一人は大学生と思えるほどに若い子だった。

「隊長、このまま通すべきですか?」と中から竹内が聞いてきた。

「一応記名願いますか?何かと物騒ですからね。すみませんね~」

 小池は物腰を低くしても受付に回る。

 中には記名だけでもムッとする客人もいるのだが、彼らはそんな態度は全く見せなかった。それどころか「そうですね、すみません」と謝った。こういう方々は非常にありがたいし、相手をしていて気持ちがいい。

『銀河京朔 式澤結華 三田珪馬』

 ふと名簿を見た小池は直感的に尋ねた。

「式澤さんって、ご家族の方、弟さんがこちらに通っていたりしませんか?」

 珍しい苗字と言うのもあるがどことなくあの少年と似た雰囲気を感じたのだ。

 聞かれた彼女は当然のことながら驚いた様子を浮かべた。

「勘違いならすみません。お気を悪くなさらず」

 失言だと思い小池は焦った。大きなミスに心臓の鼓動が高まっている。気さくに記名に応じてくれたからと失礼が過ぎた。

「いえ、いえ。弟はいませんが、息子ならこちらに通っていますよ」

「え?お母様ですか?」

 小池は思わず相手の女性の顔をじっと見た。目を細めてみても狐につままれたような気がした。聞き違いかもしれないと耳を疑ってしまう。

「本当にお母様?お姉さんじゃないのですか?」

「お上手ね。龍一の母です」と言って彼女は頭を下げた。

 小池も恐縮して制帽を脱ぐと頭を下げた。

「息子を知っているのですか?」

「毎朝元気な子です。この老いぼれに声をかける良い子です」

「まあ、これはこれは。いつもお世話になっております」と再び彼女は頭を下げた。

「いえいえ。嬉しい限りです。ささ、教頭が待たれておるでしょう、どうぞ中へ」

「ええ、それでは」と再び会釈をして一同は校舎へと消えて行った。

「隊長、驚きですね」と竹内は身を乗り出し、窓口から頭を出して呟いた。

 そんな竹内をよそに小池は少年のことを思った。

 十カ月ほど前の事件は彼が関わっていたとは聞いたが、また何かしらの騒ぎを起こしたのだろうかと。それは前回の成功体験を引きずって正義のために手段を間違えて事件を起こしてしまったのかもしれない。そうであるならあの日、ここの守衛室でコーヒーカップを前に事の真相を語ってくれた時に、その行いは間違っているとしっかり叱れる大人でいればよかったのではないかとさえ思えてくる。

 すべてが邪推だが、今もこうしてあの否定しないことを選んだ自分が正しいのかわからずに、自分と向き合うことになるとは、老いてなおもこれではなんとも情けない。

 小池は守衛室の鏡の前で自分を見つめた。そして制帽を被るとまっすぐに整えた。


「結華さんの息子さんが通っているなんてすごい偶然ですね」と三田珪馬が階段を上る二人の後を追いながら言った。

「まあ、長年同じ仕事をしているとこんなこともあるさ」

「私も驚いています。と言っても私が気付いたのは正門前に来た時なんですけどね。普段から意識しているわけじゃないから、来てみるまでわからないものよ」

「身内ほど割と知らないことの方が多いものだ。珪馬もいずれ家庭を持ったらわかるだろう」と京朔は昔を思い出しながら話した。

「そういうものですか~」と三田は年長者二人を見上げて言った。

 そして教えてもらった通りに職員室に着いた。待ち惚けていたように男が一同に気が付くと会釈をした。先にアポに応じた土門だった。教頭という肩書らしいが若く見えた。

「お話というのは速水佐敏君の事でしたよね。我々も悲劇には慣れておりませんゆえ、気持ちの整理が付いていない状態です。生徒の死亡案件は教員の経歴の中で何度かあることではありますが、殺人となるとどのように受けるべきか複雑なものです」

 通された校長室の応接間で土門が切り出した。八坂という校長は土門に話を丸投げしているのか腕を組んで沈黙し続けた。

「それに警察官に殺されたって一時マスコミが殺到し、あの日は対応に明け暮れました。それなのにまだ何かあるのでしょうか?日常業務に支障をきたしますし、こちらとしてはもう警察の訪問を受けるいわれはないと思います」

 土門は薄ら笑いを浮かべながらお茶をすすいだ。

 香川省三が少年を殺したという結論がマスコミに流れ、センセーショナルに報道されたことは周知の事実である。マスコミ陣は少年がいかに無垢で将来が有望視されていたかを、反対に香川がいかに悪者かをこじつけて報じていた。その香川という男の人物像が歪められて報じられていることに京朔は憤りを感じていた。

「彼がどんな人間か知りたいのです。加害者とは面識のないはずの彼がなぜ殺されることになったか今もわかっておりません」

「ニュースでは無差別によるものだと窺っておりますが」

「あり得ません。香川という男が人生を棒に振るような無差別殺人を犯すとは思えません。彼には奥さんとまだ小さな息子がいます。仮に香川が少年を殺害したとしても家族を捨てるほどの動機がなければおかしい。それがただの無差別殺人と総称されることに納得がいかないのです」

「やはりそちらは加害者擁護派でしたか。こちらとしては生徒の名誉を守る必要がありますので、これ以上の関りは遠慮させていただきます」

 そう言うと土門は立ち上がった。隣の校長は依然として腕を組んだまま沈黙を貫いていた。

「生徒の名誉というのは、保護者も含まれますか?」

 尋ねた結華に対し土門は「もちろんです」と見下ろすようにして答えた。

「うちの子がこちらの学校に通っているのですが、春先頃に学校ぐるみで隠ぺいを行ったことは記憶にありますか?」

 土門は目を丸くした。生唾さへ飲み込む音が聞こえる。

「お子さんと言うと龍一君ですな」と沈黙を破って校長が言った。

「はい。よくわかりましたね」と結華は思わず驚いた。

「その説は大変申し訳なく思っております。学校ぐるみの隠ぺいと申されても仕方ないことであると思っております。こちらからの説明が遅れたことは大変申し訳なく思っております」と校長は座っていたソファーから腰を移し、さっと床に膝をつけ頭を下げた。

 校長の土下座に誰もが驚いた。

「校長。あなたが謝る必要はないはずです」と土門が肩に手を回した。

 校長は頭をすっと上げるとまっすぐに結華の目を見て言った。

「十分責任はあると思っています。あのような男を雇ってしまったことは組織の代表者である私にも責任があります。それに暴力事件の聞き取り調査を任せたのも私です。責任がないなどとは天地がひっくり返っても言えません。ですので、この捜査に関しても協力させていただきたいです」

「校長……」

「教頭、君も組織の一人なら誠意をもって謝ってはどうだ。聞き取り調査の舵を担ったのは君だと聞いている。それに加害生徒への最終的な処分を下したのは君だそうじゃないか」

「ですが……その件と今回の件は話が違います。我々が協力するとご家族を裏切ることになりかねません」と土門は頭を下げる気はないようで、話をすり替えた。

「裏切るとはどういうことですか?」と京朔は尋ねた。

「ご家族は訴訟を起こそうと検討していると聞いています。余計なことは言わないようにと弁護士を通して釘を刺されております」

「弁護士が?」と京朔は腕を組んだ。というのはその話をどう受けるべきか考えあぐねていた。学校の訪問の後、遺族に会うべく先にアポイントメントを取っていたのだが、その際何も忠告めいたことは受けていない。もしかしたら伺った先で弁護士が待ち構えている可能性もあるだろうが、そのような魂胆は電話越しには伺うことはできなかった。

「速水佐敏君もサッカー部でしたよね」

「ええ、そうです。優秀な選手だと窺っております」と結華の問いに校長が答えた。

「うちの子もサッカー部に所属しています。ですが、数カ月前まで部活を辞めたと言っていました。勉強についていけなくなって辞めたのかとも思ったのです。現にその期間以降、成績が良くなってました。普通の親なら喜ばしいことかもしれませんけど、突然辞めたなんて聞いて私は疑問に思いました。本人は口にしませんでしたが、例の淫行事件のコーチがサッカー部の顧問だと人づてに聞き、納得したのです」

「彼にそのようなことがあったのですか……」と校長は相槌を打った。

「ですが、息子はすぐに部活に復帰しませんでした。まるでサッカーのことを忘れてしまったかのように勉強に没頭する日々だったと思います。そんな息子は今もきっと部活に励んでいるでしょう。毎日、水を得た魚のように生き生きとしてます。私も親ながらに嬉しいのですが、疑問が湧きました。どうして期間が必要だったのでしょうか?未練があったなら暴行事件解決の後でもよかったはず。節目となる二学期からでもよかったはずなのに十月でした」

「何が言いたいのですか?」と土門は首をひねって尋ねた。

「恥ずかしながら私は息子のことをあまり知りません。あの子が話さないからだというのもあるでしょうが、ここがあの子が通っている学校であることも先ほど気が付いたぐらいです。そして先ほど思い出しました。亡くなった速水佐敏君もサッカー部員、息子の一つ上の三年生です。そして部活動で言えばすでに引退している時期ですよね。こちらの学校では三年生はほとんどが引退していると聞いております。強豪校ではない限り三年生は受験のため引退し冬の選手権大会には参加されないとも。今年の成績は優れなかったとも聞いております」

「おっしゃる通りです。コーチの逮捕にエース選手の傷害事件。学校としても活動自粛を検討したのですが、生徒らや保護者らの反発もあり活動は継続して承認してきました。結果は予選二回戦目で敗退。三年生の引退も十月頃でした」と校長が苦い顔をして言った。

「部活内でいじめがあったとは思いませんか?」

「いじめですか……」

「いじめとは言わずとも何かトラブルがあったとは思いませんか?三年生が居なくなった辺りから息子は部活に復帰してます。コーチの件は一端にすぎない。だからこそすぐに復帰しなかった」

「いじめなどあるはずがない。そのような話があれば正直にお伝えします。ですが我々は感知しておりません。単なる憶測にすぎない話ですね」と冷淡に土門は言った。

 校長は頭を抱えて考え込んでいた。

 京朔の目配せで三田がすっと懐に手を入れ、数枚の写真を校長らに向けて並べ始めた。その中の一枚は当該の速水佐敏の写真だった。

「これは?」

 不審そうに尋ねる土門に三田が説明を始めた。

「こちらの方が亡くなった今川瑛梨子という方です。お話は報道等でお聞きになったことがあるかもしれません。ムツバ製菓女史殺人事件と名付けられた事件の被害者女性です」

 校長は老眼鏡を外して食い入るように女性の姿を見つめた。

「知っておりますが、これといったいどんな関係があるのですか?」と土門が再び首をひねらせた。その角度は最初の仕草と全く同じ角度だった。

「そして、こちらの人物が先日亡くなった少年であり、ムツバ事件の捜査線上に現れた容疑者の一人の息子さんでした」

 三田は自殺した須藤欣悟の写真を指で押した。学生手帳に貼られていたものであり、生前の派手な装いに比べて大人しそうな姿が映し出されていた。

「そしてこちらが亡くなった速水佐敏。彼らは何の結びつきはありません。ですが須藤欣悟のスマホからこの速水佐敏の携帯番号が見つかりました。消去された履歴にはムツバ事件の当夜に一回、数日前に一回、そして速水が亡くなる直前に一回と記録されており、こちらが通信会社の記録書です」

 書類を写した写真を手で示した。

 学校側の二人はじっくり並べられた写真を眺めた。

「さらにこちらが速水佐敏の亡くなったとされる事件直後の映像を切り取った写真です。現場となったスーパーの防犯カメラに須藤欣悟の姿が写っておりました。彼と一緒に映っているのが速水であり、もう一人第三者の姿がありました。拡大した写真がこちらです」

 三田が示した拡大写真にはフードを被った姿の男がポケットに手を入れて歩いている姿だった。他人とは言い難い距離感に他二人の姿があり、その一人の速水と思われる男は帽子を目深にかぶっており、彼らとは対して須藤は無防備で姿を気にしておらず、顔がありありとわかる。

 全て京朔の執念の捜査によるものだった。須藤欣悟の自殺の際に気が付いた些細な口にするまでもない共通点を頼りに独自に捜査を再開させたのだった。

 須藤欣悟と速水佐敏の共通点、それは二人が同世代、さらに狭めると高校生と言うことだった。誰でも思う共通項を京朔はあえて突き詰めた。関係のないと思われた高校生の死、それは立て続けに起きており、さらには年頃の少年だからこそ起きた事件ではないかと思ったとき、彼らの携帯電話(この場合はスマートフォン)が無くなっていることに気が付いたのだった。さらにその事象は今川瑛梨子についても言える。彼女の場合はバッグごと紛失しているのだが、大きい括りで言えば同様の事象だともいえるだろう。

 そのあとの流れは迅速的だった。通信会社から例の履歴を確認し、スーパーマーケットの防犯カメラから彼らを見つけ出した。そして第三者の存在。

「この男がなんらかの背景を知っていると思っております」

「こちらは何をしたら良いでしょうか?」

 それは意外にも土門の口から投げかけられた問い掛けだった。

「こちらとしましては速水佐敏君の交友関係を調べたいのです」と京朔が相手を代わった。


 担任への聞き取りを京朔と三田が行っている間に結華は校内を散策していた。授業参観の類はしてこなかったので学校を歩くのは新鮮な気持ちでいっぱいだった。息子がどんな様子で授業を受け、学校生活を送っているのか全くもって知らない。だからこそ、いじめの被害にあっているのではないかと思ったとき小さな動悸を覚えたのだ。

 結華の足取りはいつしか教室のある本館から部室棟に向いていた。迷い込んだようなものだが、それは必然的だった。放課後ともあり生徒の姿は部室棟の方が多かったからだ。自然と生徒の声のする部室棟へと足を向けていたのだった。

「ゲッ」という声に結華は笑顔になった。

 振り返ると愛しい息子が引きつった顔をしてこちらを見ていたのだった。

「なんでいるんだよ」

 年頃の息子とはこんなものだな、と思いながら別のあることに思いを巡らせた。

「本当に部活に戻ったんだね」

 汗でびしょびしょになったシャツ一枚で平然としていた。もう暮れの十二月だというのに龍一だけ真夏のような感じだった。

「何しに来たんだよ」と龍一は改めて尋ねた。

「何って仕事よ。捜査で来たの」

「おい、龍一。どうかしたか」と息子の背後から同じ部員と思われる生徒が遠くから声をかけてきた。

「母ちゃんが居たんだよ」ともじもじしていた。やはり年頃ということもあり、母を紹介するのは恥ずかしいようだ。

「母ちゃん?マジかよ」と少年はあからさまに結華の胸と顔を見て驚いていた。

「龍一がお世話になっています」

「え?いや……まあ、こちらこそ。俺は安村です」と彼は頭の後ろを掻いて頭を下げた。

 普段大人たちを相手にしているからか少年のぎこちない挨拶が可愛らしくて新鮮に思えてきた。

「ちょうどいいわ。お聞きしたいんだけど、こちらの方を知っているよね」と結華はポケットから速水の写真を取り出して確かめた。

「ああ。もちろん」と安村は素直だった。

「何だよ、母ちゃん。速水先輩の事を調べているのかよ」と龍一は悪態でもつくかのように面倒くさそうに言った。

「あんた、彼の事嫌いだったでしょう?」

 結華の問いに息子は明らかに図星というみたいな反応を示した。自分の推理に違いはなさそうだと確信した。彼は昔から嘘はつけない子だった。

「彼の交友関係について調べているんだけど、親しい人って誰だったかわかる?」

「速水先輩と一番仲が良かったのはやっぱり田中先輩だと思います」と安村が口にした。

「え、ちょっと待って」と結華は急いで手帳を取り出した。そして「田中何君?」と続けるように催促した。

「田中英寿だったかと思います」

「何組とかわかるかな?」とダメもとで聞いた。

「そこまでは……」とやはり先輩のクラスまでは把握していないようだった。

「それってこの人かな?」と今度はスマホの画像を見せた。それは先ほど校長室で披露したスーパーマーケットの映像の一コマである。フードの男を拡大させて見せた。

「これは田中先輩じゃないや。田中先輩はもうちょっと大きいから」と龍一が言うと安村も頷いた。

 やはりダメかと思い、結華はスマホを引っ込めようとすると龍一は手首をつかんでスマホを奪い取り、画面を覗き込んだ。

「何かわかったの?」

「こいつじゃなくてこの男。こいつ」

 画面をかざして示したのは隣の須藤欣悟だった。

「彼がどうかしたの?」

「こいつどうなった?こいつだけこんなにはっきり写っているんだ。こいつがどんな男か警察は知っているんだろ」

 息子の異様な問いかけに結華は困惑した。彼の中で何か解決の糸口を見出したように見えたのだが、その様子は以前の龍一が被害者となった傷害事件について問い質した時の様子と同じ空気を醸し出しているのが分かった。


 黙ったままの息子を差し置いて結華は改めて速水佐敏の交友関係を中心に写真に該当する人物の捜査を続けた。

 龍一の母というだけで部活の子らは興味を持ってくれ、刑事だという告白でさらに協力的になってくれた。コーチの逮捕後、改めて顧問となったのは一年の時息子の担任を勤めていた恩田だった。恩田とは傷害事件の際にひと悶着有ったので結華の申し出を断れない。恩田の許可の元、彼らを集めてもらい聴取を取った。

 担任からの聴取を終えた二人も合流し、サッカー部員の聴取を手分けして行った。簡素なものだが、興味深い話がいろいろと聞け、フードの人物を絞り出すまでできた。

 一人五分程度の聞き取りであっても結局二時間を要した。外はすでに真っ暗で街灯や信号機の明かりが煌々と地面を照らしていた。その中をいくつもの影が舞い落ちてきていた。

「部員内では上下関係がひどかったらしいですね」と帰りの車の中で三田が感想を述べた。それは現二年生が一様に抱いていたものだった。かといって現一年生が二年生に不満を持っているかと言えば違うらしい。部活ごとに引き継ぐ伝統はいろいろあるだろうが、今の代は悪習を引き継いでいないことに結華はホッとした。

「速水がくじ引きを考案したなんて話もあったようですし、どうやら報道されていた人物像とは大きく違うみたいですね」

「そうだな。報道では被害者を貶めるようなことは極力避ける。それがたとえ事実だとしても報道しない自由もあるからな。一度切り取ってしまえば、解釈は固定されその裏にある微々たるニュアンスもメディアによって決定づけられるなんてこともよくあることだよ」

 運転席の京朔はしみじみとした口調をした。

「ところでこれからどうするのですか?さらに容疑者が増えてしまいましたが……」と助手席の結華が手帳をめくりながら尋ねた。

「増えたといっても二人で済んでよかったではないか。速水という少年は交友関係が広い男だったみたいだし、下手すれば対象者が十人を超えていたかもしれない。息子さんだって考えようによっては対象者になり得たかもしれなかったんだから」

「それならいいのですけど……」

 きっぱりと否定できないでいる自分が情けなかった。あの画像を見せた後の龍一はずっと様子がおかしかった。龍一には何か心当たりがある気がしてならない。

「どうする?これから行ってみようか?」

 京朔は隣の結華に訊いたのだが、だんまりしていて返答がない。思い悩んでいるようだった。

「一人だけでも行ってみてはいかがでしょうか?この内田聖杜という男はこのあたりのようですし」と代わりに三田が提案し、具体的な住所を読み上げた。

 そこから五分ほどで内田聖杜の自宅にたどり着いた。

 担任の話によると内田は例の暴行事件を理由にして退学処分を受け、以来九カ月、現在何をしているかわかっていないそうだ。

 インターホンを押すと母親と思われる女性の声があった。見ればインターホンにカメラが付いているので京朔は警察手帳をかざして説明した。

「息子さんにお聞きしたいことがございましてお伺いしました」

『少しお待ちください』という応答の後、玄関が開かれた。

 五十手前ほどと思われるふくよかな女性が姿を現せた。どこにでもいそうな優しそうな母親と言うのが印象的だった。

「聖杜君にお聞きしたいことがあるのです」

「聖杜なら出かけておりますけど」

「いつお戻りになる予定でしょうか?」

「今日は帰ってこないと思います。いつもそうなんです。いつの間にかどこかへ行ったと思ったらいつの間にか帰ってきているというような生活でして、お恥ずかしながら私どもにもわからないのです」

「踏み入ったことをお聞きしますが、いつからそのような生活をお過ごしでしょうか?」

「学校に責任があると思っております。学校で暴力事件を起こして不当な処分を受けたのはご存知ですか?」

「不当ではないと思います」と母親の問いかけに結華が口を挟んだ。

 誰ですか、と言いたそうな表情を浮かべて彼女は結華を睨んだ。

「申し遅れました」と結華は自らの警察手帳をかざして「お子さんから被害を受けた式澤龍一の母です」と付け加えた。

 玄関ドアのノブをつかんだ手が一瞬だけ震わせ、顔からは困惑の色を浮かべていた。

「退学処分の後から息子さんの生活は荒れたということでしょうか?」と自らが直前に述べたことなど気にせずに結華は尋ねた。

「違います。生活が荒れたわけではありません。聖杜はすぐに立ち直って仕事を見つけてきて、自分なりに人生をやり直そうとしています」

 母親の反論に結華は「それは失礼しました」と素直に謝った。

 結華はあくまでもプロフェッショナルを貫くつもりだった。たとえ相手が息子を暴行した加害者の母親であり、今に至るまで謝罪をしない相手であっても本件のこととは切り離して接するべきだと自分に言い聞かせていた。

「つまり、この時間にお仕事があるということですか」と京朔が申し訳なさそうに尋ねた。

「だからそうですって」と彼女はもはや苛立つ感情を隠そうとはしなかった。それは関係性において自らが優位であると錯覚している現れだった。

「朝には戻られるかもわからないわけでしょうか?」

「わかりません。もういいでしょうか」

「待ってください。最後に一つだけです」と京朔は懐から写真を取り出した。それは例の三人組を捕えたものと、フードを被った第三者の姿をとらえた拡大写真である。拡大写真は応じて画像が粗い。

「こちらの人は息子さんではないでしょうか?」

 尋ねると母親は自然と写真を手に取りじっくりと眺めた。そして勝ち誇ったような笑顔で言った。

「うちの子はこんなパーカーなんて持っていません。体形ももっとスリムなんで写真の人物とは似つかないと思います」

「そうですか……」と京朔は写真を返してもらおうと手をかざした。母親のあの笑顔から嘘はついていないことは想像がつく。

 気が付けばいくら手をかざしても彼女は写真を返そうとはしなかった。それどころか写真をさらに食い入るようにして見ているのだった。

「何かわかったのでしょうか?」と後ろで三田が尋ねた。

「この子、先日亡くなった佐敏君ですよね?」

「ええ。これは彼が亡くなる二十分前に現場となったスーパーで撮られたものです。面識がございましたか?」

「何度か遊びに来たことがありましたから……」

「やはりお二人は仲が良かったようですね」と京朔はそれとなく手を差し伸べた。この母親の興味は速水の事だけでしかなく、そこで完結したと思ったからなのだが、差し出す手は宙に浮いたまま当てを無くしていた。

「ちょっと待って下さい」と彼女は手を突っぱねて食い入るようにして写真を見つめていた。

「まだ何か?」

「いえ、この子を見た気がしまして」と彼女は指を差しながら写真を手渡した。

 結華にとってその様子が息子と被った。龍一もまた同じく写真から須藤欣悟について何かを感じ取ったようだが、その反応は目の前の女と同じのような気がしたのだ。

「それはいつのことでしょうか?」と京朔はすかさず尋ねた。

「そうですね……一カ月前ぐらいだったかしら……」と頭を叩いて、何とか思い起こそうと必死になっていた。

 内田聖杜と須藤欣悟が繋がる有力な情報には違いない。場合によってはこの写真の外、それか同じ駐車場内に内田がいた可能性も浮かび上がるのだ。

「母さん、鍋に火をかけたまま何やってんだ」とドアの向こうから男の声が聞こえてきた。その声に彼女は青ざめドアを大きく開いて家の中に戻ろうとした。その隙間から内田家の旦那さんと思われる男性の姿が垣間見えた。

「もう消したよ」と即座に冷たい声が返ってきた。

「すみません。お邪魔しております」と京朔は覗かせた旦那に声をかけた。

 彼は訝しそうしてドアの前にやってきた。風呂上りのようで薄着で髪の毛はまだ濡れている。おまけに呼吸が酒臭い。ひょっとしたら風呂上がりの一杯でもやっていたのかもしれない。

「先ほど奥様がこちらの少年を見たことがあるそうでお話を伺っていたのです」と京朔は写真をかざして簡単な説明を付け加えた。

「そうよ、あんた。ほら、いつだったか家の前に車が止まった日、あの日よ」と旦那の後ろで苦しそうな表情を浮かべて、記憶を巡らせていた。

 その言葉に旦那は「あ~」と思い出してもう一度写真を見た。

「そうだ。あれは十一月の下旬、祝日だ」

 三田の答えに旦那は、そうそうとと頷いて話を続けた。

「あの夕方、うちの前に車が停まっていたのです。ほら、そこの窓から見えたわけです」と玄関に面するベランダの窓に指を差した。今はカーテンで隠れているが、確かにあの位置なら入り口の様子を伺い見ることはできるだろう。

「普段からそこに停まるのはあんたらのような、うちの訪問者に限ることだから誰か来たと思っていたのです。ですが暗くなっても一向に人が降りてこないものだから、気になって覗き見ようと思ったのです」

「見知らぬ車両を危険だとは思いませんでしたか?」と京朔は尋ねた。

「ガキの頃からそういうヤンチャには慣れておりますから」と彼は誇らしそうに返した。そしていい気になったのかさらに証言が口を継いで出てきた。

「運転手を確かめると、驚いたことに息子らと年端の変わらぬ少年が眠っていました」

「それが彼だと?」

「ええ。そうです。間違いない。それで私はドアをノックして問い質しました。うちに何の用かって。すると彼は慌てて携帯電話を取り出して電話を掛け始めました。その間私には一切の事情の説明はありませんでした。そして電話の相手にたどたどしく一言二言告げるとすぐに電話を切りました。あの時、急げとか親父とかいうことだけは聞き取れましたが、何を焦っているのか全く分からなかったので、警察を呼ぶって脅したのです」

「賢明です。トラブルを引き起こす前に我々に相談するべきです」と三田が口を挟んだ。

 彼の声を無視し、旦那はひたすらに話を続けていた。

「ですが、そんな脅しには従わず彼は黙ったまま顔を背けていました。そのうちに妻もやってきて騒ぎになるところだったわけですが、驚いたことに聖杜がやってきて車に乗り込みました。私どもは訳が分からず問い質したのですが、彼はこれから仕事に向かうだけだと言い、車は立ち去って行きました。それでようやく彼の電話の相手が聖杜だと気が付いたのです」

「仕事だと言ったのですね?」

 聞き返す京朔に夫婦は「なあ」「ええ」と言葉短く返したのだった。

「車と言うのはこちらでしょうか?」と結華がスマホの画面を二人にかざした。

 すると「そうだ。この黒い車」と旦那は即答した。

 結華は確信的に京朔と三田の顔を見た。それは須藤欣悟がムツバ事件への関与を裏付ける供述だった。


 自宅に連絡してみると長女の冴紀が出た。いつもはあまり連絡を入れないから何があったかと焦っているようだった。

 結華は改めて遅くなるということを伝えると冴紀は安堵のため息とともに『起きているかもしれないから構わないよ』と言葉を返した。高校受験は二か月後ぐらいだろうが、気合いの入り方が違う。今夜も夜更かしをするつもりなのだ。

「お兄ちゃんはいる?」とさりげなく尋ねてみた。実のところ心配は龍一のことだった。

『ついさっき帰ってきてから、部屋に籠ったきりよ。こんな時間にいったいどこ行ってたのだか?何か用事?』

「ん~う。いいの。ちゃんと帰ってきたかって気になっただけだから」

 揺られる車内で娘の声色を気にした。龍一に抱いている心配を悟られまいとしたのだ。

『まあいいや。ところで明日休みだよね?』

「明日?」

『祝日だよ。カレンダーも観てないの?』

「もうそんな時期か。捜査の進展に寄るかな。休めるように掛け合ってみるね。ちょうどそばに超格好いい、イケメンで優しい上司がいるから聞いてみるわ」と隣をちらちらと垣間見ながら言った。

『銀河さんいるの?』

「いるよ。あんたの好きな銀河京朔さんが」と結華はニヤニヤして上司の顔を覗き込んだ。

 冴紀が言うには京朔は福○雅治さんと真○広之さんを足し合わせたイメージだそうだ。言われてみればどことなく、そんな雰囲気がするので娘の観察力には大きく感心したのは楽しい思い出だ。

 それにこんな手段を使われると京朔は否定できないのを知っていた。

 思った通り京朔は「わかったよ。明日は休み。みんなにもそう伝える」とあっさりと決めたのだった。

「冴紀がサンキューだって」と結華は携帯電話をバッグに詰めながら京朔に告げた。

「それはどうも」と話す京朔が小さな笑みを浮かべているのが横から見えた。


 県警本部に着いた頃にはすでに八時半すぎだった。これから自宅を訪問するにも時間的に遅く迷惑がかかること考えられる。以後の捜査は翌日、もとい翌々日以降に回される方針で固まった。

「このフードをかぶった男は井上撤郎という線で収まりそうですね」と三田が手帳を確認しながら述べた。そしてホワイトボードに張り付けた写真の下のカッコ内のハテナマークを消して名前を書き込んだ。

「あるいは別人かもしれませんけど」と水を差すように海松歩が呟いた。

「確かにそうね。一見すると繋がっているようでいて、彼らにそもそもの共通点はありませんでした。この三人目が速水又は須藤の友人であるということも間違っているのかもしれません」と結華は海松の推理を自分なりに受け入れて解釈した。それは脳の片隅、推理の全体の五パーセント未満の小さな可能性に大きくフォーカスを当てたものだった。

 この考えに至ったのにはどうしても切り離して考えることができない思いがあったからだった。それは息子が見せたあの様子だった。何度もそのことが頭の片隅によぎるのだ。息子が内田の母親と同じような反応をしたあと、確かこう言った。

『こいつがどんな男か警察は知っているのか?』

 もしかしたら考え過ぎかもしれない。だが可能性は大いにある。フードを被った男があくまでの目的なのに、正体のわかっている少年に関して龍一は反応していたはずだ。そこには相関関係はないはずなのだ。

 息子の反応を要因にして捜査方針を疑うのはどうかと思うが、海松の問いかけはなぜか結華の頭にスッと入ってきたのだった。

「実は俺もそう思っていた」と京朔は井上の名前の横にハテナマークを付け加えた。

 京朔は腕を組んで全体を確認した。

 始めは今川瑛梨子。ムツバ製菓産業の会社員。そして彼女と二人の被疑者。

 一見無関係なはずの須藤朝輝は車両が一致、そして息子の須藤欣悟は自殺。

 部下の香川省三は面識のないはずの速水佐敏に襲われたが、返り討ちに会う。本人は殺害を否定。亡くなった速水は須藤と何度か連絡を取る関係。だが、以前からの面識は確認されていない。

「この事件、複雑にしているのはあるはずのものがないからだ。どうしてこうも面識がないはずの者たちが次々と捜査線上に現れるのだということだ。しっかりと構成されているはずの蜘蛛の巣上の網の中でかかった蝶のように突然異質なものが現れる。それも同じ蝶かと思えば種類が若干違うときたものだ。奴らはどうしてこの網に引っかかるのだ」

 京朔は独特の表現でホワイトボードを見回していた。


 自宅に着いたのは九時半過ぎだった。覚悟していたほどではないが世間一般にしては遅い方だろう。

「おかえりなさい」と娘が部屋から現れた。頭に鉢巻きを巻いて、完璧な受験生モードを表現していた。

「夜食に何か食べる?」

「いらない。太っちゃうじゃない」

「受験生と言えば夜食が似合う。お母さんの頃は夜食が楽しみで頑張っていたけど」

「お母さんはいいよ。スリムだし。わたしなんて気を抜いたらすぐ太るんだから」と娘は口を膨らませた。

 これに母である自分がそんなことないよ、十分痩せているじゃない、なんて言ってしまえば反感を持つのが娘だった。だからあえて何も口出しはしない。

「あー疲れちゃった」と言いながら結華は風呂場へと向かった。

 もうすぐ不惑の四十か、などと思いながら鏡に向かって自ら肌を確かめた。クタクタになった体に老いを感じざるを得ない。張りがあった肌も気持ちばかりか衰えているような気がしては、自ら否定した。胸だってまだしっかりとした張りがある。

 だが、湯船に浸かるときは年寄り臭い声を上げてしまっていた。至福のひとときには勝てない。

 ドアの向こう、すりガラスに影が現れたと思うや否や「母ちゃん」と龍一の声が聞こえた。入浴中の風呂場まで来て話す用事など一度もなかったはずだ。

「実は警察に言わないとならない話があるんだ」

 結華は思わず湯船から飛び出した。お湯の弾く音を響かせてドアを大きく開いた。

「ゲッ、なんで出てくるの」

 湯船から上がったばかりの母親の身体を見て龍一は顔を赤らめて顔をそむけた。

 結華は気にせず龍一に覆いかぶさった。

「せめて体を隠せ、それにまだ濡れてるじゃないか」と息子は逃げようと必死に抵抗した。

 色々な思いが込み上げてきて、常識や羞恥の概念など吹き飛んでいたから仕方ない。

 結華は息子を抱きしめたい、ただそれだけが今すぐになせる愛情表現であり、心の底から欲した本能的表現だった。

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