01 アップデート予定書
「何だよ。緊急事態って?」
『遅い。どれだけ待たされたと思う』
電話先の
「ワリィ。帰宅途中の携帯操作は嫌いだからさ」
予備校の帰り、自転車を漕いでいるとスマホが何度も鳴ったが、無視をしたのだった。最初の着信からすでに1時間は経過していた。
『だからって遅い』
「お前は俺の彼女か⁉」
『俺は結構タイミングを見て発信したんだぞ。お前が予備校を終える丁度その頃合いを見て連絡を入れたんだ』
罫太に言われてみれば確かにそうだった。授業の終了後、二分後ぐらいに電話が鳴った。それも帰り支度を済ませてスマホの電源を入れ直した直後だった。そしてメッセージに表示された『緊急事態』の文字。緊急性のどうこうではなく、タイミングの良さに思いがけない恐怖を感じたのだ。
『俺からの連絡だってわかっていたはずだろう』
「だから、悪かったって。こうして家についてから真っ先に……」
『これがもし彩原さんからの連絡だったら、こうも遅かっただろうか』
「何言っている⁉別に同じだよ⁉こういうものは家についてから……」
龍一は妙に浮ついた声で反論してしまっていた。否定ではない反論を重ねて誤魔化していても、不思議と彼女の笑顔が頭をよぎる。
『おい、聞いているか?』
一瞬のうちに遠退いた意識を呼び覚まし、携帯電話を耳に当て直す。
「何だっけ?」
『だから、家で着信に出るなら携帯電話の意味は半減すると思うって話……じゃなくて。緊急事態だってことだよ。お前が連絡に出ないからすでに情報の鮮度は落ちているけどさ』
「何か障害でも発生したのか?システム的なことを俺に聞かれても、わかっていると思うがお前以上のスキルはない」
『今更わかっている。式澤が俺よりコンピュータを扱えるようになったら俺は逆立ちして校内を歩いてやるよ』
「お前、喧嘩売っているのか?」
龍一は罫太が本気ではないことは十分わかっている。これも一つのコミュニケーションと言うものだ。
『まさか!そんなことより、何よりもだ』と罫太は間を開けた。だが、もったいぶるようにして間を置いたのではないらしく、電話口の向こうからキーボードを叩く音やマウスのクリックが漏れ聞こえてきた。
『ついに俺たちのアプリが17時49分に千件までダウンロードを突破したんだぞ』
「千、行った!マジか!」
龍一は思わず喜びをかみしめて叫んだ。窓が大きく空いていることも忘れて、部屋の真ん中で両手を挙げて喜びを体いっぱいに表現させた。さらに腕を上げた勢いで体が浮かび上がる。
「兄ちゃん!うるさい!跳んだら家が壊れるでしょう!」
ドアから首を覗かせた母が怒りをあらわにさせていた。どうやらすでに眠ろうとしていたところらしく顔の怒りの半分は睡魔を含ませていた。
「だって、『四神霊獣棋』が千行ったんだ」
言い訳にもならない言い訳を龍一は口走った。何のことかさっぱりわからない母は言葉の意味を寝ぼけながらも反芻させた。
「千」と龍一は何度も口にしながら、母を見た。
「センだか何だか知らないけど、それは跳ねて喜ぶほどのことかね」
龍一は頭を傾げて再び携帯電話を耳に当てた。一切の返答がないと思いきや既に通話は切れていた。罫太は用件だけを伝えるとすぐに切ったらしい。
「千も行ったんだすごいことだよ。あの罫太が報告したぐらいだ」と眠そうに目を細めた母を相手に説明した。
「試作でアップしたアプリが千件もダウンロードされたんだ。ビジネス的に考えてそこそこのヒットを狙えるだよ」
「あんたもビジネスを語れる歳になったんだね~」と母は感心するわけでも、見下した態度をするわけでもなく、無関心に感想を述べた。
「当然だろう。この世の中はビジネスで成り立っているんだから。俺だって勉強しているんだよ。日本は資本主義だってことも」
「ビジネスがわかっているなら、他人に迷惑をかけないことも再確認することね。真夜中に大声で騒ぐことがどれほど迷惑なことか理解できている?」
「わかったよ」
「いい、いくら成功を成し遂げて、財を築き上げた人でも他人に嫌われる生き方だけはするんじゃないよ。万人に嫌われる富豪と万人に好かれる平民を選ぶなら絶対に誰からも好かれる生き方を選ぶことよ。それなら私はいいと思っている」
出たよ、と内心思いながら龍一は机に向かった。母のその手のお説教は散々聞いている。だから龍一は「お父さんのような人間にはならないよ」と返すのだ。
「ここでお父さんの話は関係ない。私が言いたいのは、セン行こうが、マン行こうが周りの人の気持ちを酌めない大人にはなるなってことよ。そうじゃなければ私だって嬉しいことは共有したいのよ」
「ごめんって。十分わかった。本当だよ」
龍一の謝罪に母は疑いの目をやめない。それはいつものことだから今更ショックを受けたりはしない。母の性格は職業柄いつだって相手の言葉を鵜呑みにしない。それがたとえ息子であろうともだ。
「二人ともうるさいんだけど」と隣の部屋から妹の
当事者らにとっては目だけの冷戦状態だったと解釈していたが、それが妹にとっては不毛な争いにしか思えなかったのだ。
「寝てたか?」
兄の能天気な問いに冴紀は大きなため息をついた。そして自分の胸元に手を当てて、主張を強調させた。
「受験生。勉強していたに決まっているでしょう」
冴紀は生まれつきの長いまつげで大きく強調された瞳でにらみつけた。こうして睨まれると普段の母以上に強烈だった。
「それにママ。ブーメランよ」
母は娘が何のことを言っているのかイマイチ理解できず、呆気に取られていた。
「言ったことは返ってくる。だからブーメラン」と感づいた龍一は母の顔を覗いて告げた。
「な!わかっているわよ。それぐらい」
確実に今気が付いた様子で母は反論した。
「そもそも、兄ちゃんが飛び跳ねたせいでしょう。悪いけどお見通しなんだから」と妹は腰に手を当てて指摘した。
「だから何度も謝っているじゃないか。それを母さんが……」と龍一は自分でも情けないと思いつつ妹に気を使って弁論を続けていた。
「何言っているの。理解していないのは龍一の方じゃない。龍一がちゃんと理解してくれれば話は済んだことじゃない」と母はやけに子供っぽく突っかかってきた。
「はいはい。わかりました。ママは寝る。兄ちゃんも寝る。それでおしまい。反論の余地はありません。以上」
妹はそれだけ言うと部屋に戻り扉をバシッと音を立てて閉めた。
全くもって彼女は彼女らしく、争いを簡単に解決させた。そんな冴紀に龍一も母もいつもの如く呆気にとられてしまう。思わぬ笑みさえこぼれるほどだった。
これ以上うるさくしていればまた怒鳴り込んでくるに違いない。母はスコスコと部屋を出て行った。
龍一は静かに椅子に座って机に向かった。いったい何に対して興奮していたのか冷静に考えてみてスマホを手にした。
龍一はスマホを操作し着信履歴を確かめた。そして直前の疑問を思い出した。
(果たして千件ダウンロードはどれぐらいすごいことなのだろうか?)と改めて自問してみた。
SNSのフォロワー数で比較してみれば一個人がはじく数値に換算しては、確かに四桁目の突破は大台に乗ったと思えるだろうが、一般的には千はそれほど大きな数値ではない気がした。罫太のテンションに釣られたとしか思えない興奮だったかもしれない。
龍一は両手で頭を支えて椅子にもたれた。ついでに机に両足をかけて壁に貼られたポスターを眺め見た。ポスターには昔からのファンだった児玉選手がシュートを決める直前の姿である。彼を被写体にしているが、その背景にはたくさんのサポーターで埋め尽くされた会場が映し出されていた。
(あれで三百くらいかな?)
少なくともクラブチームのサポーターは千人を超えているのは明白だ。龍一は机から脚を下ろし、本棚に向かった。壁にかかるスパイク付きのスニーカーを横に、漫画本を引っ張り出した。
だが、目的は漫画を読むためではない。揃えられた巻数をそのままに横からがっちりと挟み込みすべてを抜き取った。そして奥に隠された本を数冊手に取ると机の上に投げ置いた。なんだかやましいことをしているような気分がしていた。
漫画本の束をもう一度棚に戻して、今度はそれらを奥に押し付けた。
千という数字は後ろめたさを少しばかり緩和させたようだった。机に並べたいくつかの本を一積にまとめると一番上の一冊を取り上げた。
それは『トランプのルールブック』だった。他にある書籍は将棋、囲碁、ボードゲームなどの『ルールブック』そしては野球、アメフト、カーリングと言った『スポーツガイド』さらに競馬の『必勝攻略本』まであった。すべてのゲームにはそれぞれ決められたルールがあり、さらにはルール違反とならないギリギリの抜け道と言うものが存在しているらしい。
龍一はそれらの本を読み漁り何が面白いのか、自分なりに根本を探った。最近では空いた時間はもっぱらルールブックに時間を費やした。
トランプの本を読みながら、無地のルーズリーフにメモを書く。小さな文字で箇条書きしていきながら、要点をまとめてみた。今回は『ページワン』というゲームに改めて興味を持った。聞いたことはあるが実際にやったことはない。そもそもトランプと言えば『大富豪』がメインゲームというイメージがなぜか浸透している。修学旅行や合宿には決まって大富豪だし、場合によっては『UNO』といったまた違ったゲームが盛り上がる。
ページワンのルールを読み返すとそれはUNOに似たゲームだということが龍一の印象だった。
知っているが、改めてゲームのルールを箇条書きにしてみた。
ルールを書き終えた龍一は腕を組んだ。これらのルールをどうにかアプリに活かせないだろうかと頭をひねらせてみた。
そして龍一は実際にトランプを手に持つと軽くシャッフルした。これで一枚カードを引くのが占いのようでついやってしまう。シャッフルを終え、上から一枚を抜き取った。
『JOKER』
よりによってババとは持っているのだか、持たざるのか。解釈は紙一重。
プラスチック製のそのトランプを机の上に叩きつけ、もう一度山札に手をかけた。もしかしたらもう一度ババが出るかもしれない。大富豪やポーカーなら何とも心強い手札になる。
龍一は小さな不毛の期待を抱きながら一枚カードに触れた。取って見てしまえば結果はすぐにわかる。
だが、龍一はあえてカードを引かずに手元のババを中に含めて箱へと戻した。そしてその期待値の上がり方に身をもって実感した。
「スマホゲームならガチャと言うんだろうな」
次のカードもいいものかもしれない、次のカードを引けば驚きのサプライズが待っているのではないか、はたまたもし最初のカードを取らないで次のカードを取っていたらどうなっていただろう、などといった想像力が魅惑のように頭に浮かぶのだ。
龍一はそんなことを考えながらシャーペンを取った。
思い浮かんだ新たな可能性に気が付いたのだ。
そして書き上げた表裏一枚の紙にこうタイトルを付けた。
『次期大型アップデート企画書』
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