飴を嘗めたら

柚城佳歩

飴を嘗めたら

誰が言ったか、人生には良い事と悪い事が半分ずつあると。

だけど、俺の人生は圧倒的に悪い事の割合が高いと思えるのは気のせいじゃないだろう。


放水確率0%の日でも、出先で必ず雨に打たれるし、お茶を買おうと自販機にお金を入れたら、急に壊れてお茶どころか入れた小銭も出てこなかった事もあるし、コンビニでヨーグルトを買ったら、袋は密閉されているのに肝心な中身スプーンが入っていなかった事もある。

幸と不幸の配分間違えてませんか、神様。


今だって、人気のない公園でどこぞのセールスマンに引き留められて、絶賛営業トーク拝聴中だ。


「先程も説明致しましたが、こちらの商品をお売りする事は滅多にないんですよ」

「はぁ…」

「きっと一度は考えた事があるでしょう。“自分ではない他の人になってみたい”と」

「まぁ…」

「そんな夢を、空想妄想想像を叶えられるんですよこの飴は!」


こっちが全然乗り気じゃない事に早く気付いてくれないだろうか。

それとも気付いている上でこうなのか。精神力強いな。羨ましい。

怪しいセールスマン曰く、飴を嘗めている三分の間だけ、誰にでも変身出来るそうだ。


胡散臭いことこの上ない。

飴を嘗めただけで他人になれるなら、この世の中もっと犯罪で溢れ返っているだろう。

それに、そんな貴重な物なんだったら、俺みたいに如何にも貧乏そうな学生じゃなくて、金持ってそうなオッサンの所に行ってくれ。


「あなた、信じていないでしょう」


男はそう言うや否や瓶から飴を一粒取り出し、自分の口へ含んだ。

瞬きした次の瞬間、目の前にいたのは。


「その顔…!」


そこにいるのはまさしく俺で。服装まで今着ている物とそっくり同じ。文字通り鏡に写したように瓜二つだった。


「これで本物だと信じていただけましたか?」


口を開けたまま呆然と頷く俺が、畳み掛けるように繰り出されるセールストークを聞かされた結果。


「―ありがとうございました。どうぞ楽しい一時を」


去りゆく背中を見送りながら、手の中の瓶がずっしりと重みを増した気がした。



* * *



結局買ってしまった…。しかも一番高いやつで。

学生には三千円だって貴重だってのに、気付いたら一万円札を渡してしまっていた。

あぁ、さよなら俺の二日分のバイト代。


家には、他にも以前断り切れずに買ってしまった“幸運の壺”や“運を呼び込む水”もある。

はぁ~…。自分の意志薄弱さに溜め息を吐いていると。


ピンポーン。

玄関のインターホンが鳴った。

そこには隣の家の腐れ縁、夏深なつみが立っていた。


「週末の事なんだけど…って、あー!また何か変なもの買わされてない?」


手に持ったままだった瓶を目敏く見付けられてしまい、つい反射的に背中に隠してしまったが

もう遅い。


「ちゃんと断れってこの前も言ったばっかじゃん。いくら幼馴染みのよしみでも、いつも面倒見られる訳じゃないんだからね」

「…いや、そもそも頼んでないし」


俺の小さな反撃は、夏深の一睨みであっさりと跳ね返された。


「でも、今度のはすごいんだ。他人に変身出来る飴。目の前で見たし間違いない」

「それ、目の錯覚じゃないの?でなければ催眠術か何かよ。ああいう人ってとにかく口が上手いし、明良あきらは騙されやすい上に押しにも弱いんだから。それに今までだって」

「ストーップ!もうわかったから。それより、週末の事話しに来たんだろ?」


夏深はまだ何か言いたそうたったが、本来の用事を思い出したらしい。


「母の日のプレゼント一緒に買いに行こうって約束してたでしょ。今度の日曜日、九時半に迎えに行くから。あとこれおかずのお裾分け」


俺の手に煮物の皿を持たせると、忘れないでね!と念を押して帰っていった。


やっぱりあれは俺の気のせいだったんだろうか…。

こうもはっきり否定されると、飴の効果と自分の目が信じられなくなってくる。

半信半疑、鏡の前で試しに一つ嘗めてみた。


「……っ!」


すると鏡に映るのは、冴えない俺の顔ではなく、今を時めく人気俳優の川崎ケイトになった。


「うわっ、すげー!本当にケイトになった!」


もしかしてこれ、海外のスターとかアイドルにもなれるのか?動物もいけたりして。

考え出したらどれも試してみたくなる。

好奇心が溢れ出して、次々と思い付くままに変身していった。


心行くまで遊び倒し、ふと気付くとあれだけあった飴が、残り僅かとなっていた。

絶対にもっと有効な使い方があったのに、無駄遣いするとか俺の馬鹿…!



* * *



そしてやってきた週末。

予告通りにやって来た夏深に連れられ、駅近くのショッピングモールへと来ていた。


「今年も無事にプレゼント選び完了だね」

「じゃあ後は飯食って帰ろうぜ」


今日の目的だったプレゼント選びも達成し、フードコートへ向かおうとした矢先。


ジリリリリリリリ…!


耳を劈く音がモール中に鳴り響いた。


「何なに、ゲリラ避難訓練?」

「んなパニックになりそうな事、やる訳ないだろ」


音が鳴り止む気配はなく、ざわめきも大きくなってくる。

その時、どこからか「火事だー!」と叫ぶ声が聞こえた。それが呼び水となって、出口に向かって一気に人が押し掛けていく。


「夏深!」


隣を歩いていた夏深が、押し寄せる人混みに呑まれてあっという間に見えなくなる。

側に行こうにも、人の波に流されて近付けない。

もどかしい気持ちのまま流されて、気付けば外の駐車場に立っていた。


何台もの消防車が駆け付け、放水の準備をしている。その間にもモールの中からはどんどん人が走り出てくる。

夏深の姿はどこにも見えず、スマホを取り出すと電話を掛けた。


『明良っ』

「今どこだ」

『まだ中にいる』

「何やってんだ早く逃げろ!」

『それが…、親と逸れた子を助けた時に足を怪我しちゃって』

「動けないのか?」

『…うん、ごめん』


どうしよう、どうすればいい。

ここで焦っていても何が出来る訳じゃない。

どうしよう、どうすれば。

…そうだ、あの飴。

急いでリュックを漁って瓶を取り出す。入れっぱなし万歳。そこにはあと一つだけ、飴が残っていた。


これを使えばもしかしたら助けられるかもしれない。

飴を口に入れ消防士の姿を思い浮かべる。

次の瞬間には、防火服を着た隊員になっていた。

覚悟を決めて先程自分が出てきた扉へと向かう。


「待ちなさい!」


急にぐいっと後ろに引っ張られた。

振り向くと本物の隊員が立っていた。


「そこは今行ったら危ないから離れなさい」

「でもまだ中に人が!」

「今、梯子車と他の入り口から救助に向かっている。さっき指示を出されたろう。君も戻りなさい」


偽物だとバレた訳ではなかったが、現状は何ら変わっていない。

その時、口の中の飴が溶け切る気配を感じ、走って車の陰に隠れた。

それと同時に、戻ってしまった。ただの俺に。

もう俺が出来る事はないのか?


“これは自分と他人の位置を、嘗めている三分の間だけ入れ替える事が出来る飴です”


不意に、あのセールスマンの言葉が蘇った。

もう一つだけ、不思議な飴がある事にはある。

立ち去り際、あの男が「試作品のオマケ」と言って渡してきた物だった。


普段なら絶対に信じない。

だけど、他の人になれるという飴は本物だった。

それなら、試作段階とは言えこの飴の力も本物なんじゃないか…。

あの飴はさっきの分で使い切ってしまった。

もうこれに頼るしかない。


俺は自販機でありったけの水を買うと、片っ端から自分に掛けていく。

その後でもう一度夏深に電話した。


「夏深、俺が今から言う事、よく聞いて」

「…うん」

「俺が合図したら目を瞑って。意味わからないだろうけど、今は俺の事信じてほしい。…頼む」

「わかった、信じる」


これが本当に最後だ。もしちゃんと入れ替われたとして、三分後にはまた元の場所に戻ってしまう。だから俺はその間に何としてでも脱出しなければならない。


「…じゃあ、いくぞ」

「うん」

「3、2、1、0」


熱い。真っ先に、身体中に燃え盛る熱を感じた。

本当に成功したんだ…。

腕に重みを感じる。夏深が助けたらしい子どもが気を失っていた。やばい、早く助けないと。


カラン。飴が舌の上で転がる。

そうだ、俺には三分しかない。

幸いにも、まだここには火の手は回っていなかったが、煙が尋常じゃない。この煙だって充分に死因になりうる。


子どもを背負うと、煙の少ない窓際を目指した。

その間にもどんどん煙が充満していく。

まだ一分そこらしか経ってないのに、意識が朦朧としてくる。


―明良!


どこからか、名前を呼ばれた気がした。

振り向くとすぐ後ろに窓があり、声はそこから聞こえたようだった。


「明良!窓開けて!飛んで!」


見ると、夏深がこちらに向かって叫んでいる。“飛んで”?

少々疑問に思いながら下を見ると、大きなマットが敷いてあった。


普通に飛べば、問題なくあのマットの上に落ちるのだろう。そして何よりもう時間がない。

飴はどんどん溶けて小さくなっているし、中から出るのはもう不可能に近いだろう。

これが最善だとわかっている。頭ではわかっているのに。

足が竦む。特別高所恐怖症という訳でもなかったが、自分の足じゃないみたいに動かない。

動け動け動け!


「明良、飛んで!お願い!」


ダンッ。

俺が飛んだのと、飴が溶けたのは同時だった。

身体が叩きつけられる衝撃があって、そのすぐ後に誰かが隣に来る気配があった。

それが誰かなんてのは明白で。


「夏深」

「もう、よかったぁ…。本気で心配したんだよ!私、逃げ遅れたはずなのに何故か外にいるし、先に出たはずの明良がどこにもいないし、まさかと思ってビル見たら窓から明良が見えるし、全然意味わかんないよ!後で絶対ちゃんと説明してね」

「はは、わかったわかった。けど嘘みたいな話だぞ」


生きてる。背負って飛んだ子どももすぐに運ばれていったから大丈夫だろう。

不思議な飴はもうなくなってしまったけど、最後に誰かを助ける事に使えてよかった。


あのセールスマンはまたどこかで営業トークでもしているんだろうか。

もしもまた会えたなら、お礼の代わりにまた何か買ってもいいかな、なんて思うのだった。















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