第2話 お悩み相談
「これで4限目を終わります、礼」
教師の挨拶で授業が終わる。時雨は机に突っ伏して時計を睨んでいた。時刻はちょうど12時半、昼だ。
ピコンッという通知音。眼前に、どこからともなく半透明のスクリーンが表示される。しかし、実際にスクリーンが飛び出たわけではなく、もちろんそれは質量も持ち合わせてはいない。レンズ型コンピューター、ポレクト。コンタクトのようなそれは、今や誰もが着用しているコンピューターだ。視覚として様々なものを認知させる。他人にメールなどを見られずに済むという、プライバシー保護も完璧な携帯だ。そして、レンズ機能も付いているため、視力が低下することはない。
封筒の絵文字とメールアドレス『RenrenKirise@Fmail.com』の表記、メールをよこしてきた犯人はどうやら蓮らしい。用件については大方察しがつく。昨日の帰り道結んだ小さな口約束、呼び出しだろう。
軽く触れる。指の周りに流動的なものが
「授業は終わりましたかー?待ってるので、PC室ですよ、忘れないでくださいね先輩。それじゃさよなら!」
時代遅れな粗いノイズと共に切れた。流石に忘れてくれる訳ではなかったらしい。今日の3限は体育だった。バレーボールにも関わらず、授業の半分は走り込みをやらされたせいで体力を削られ、今から何かやれと言われてもキツそうだった。だが向こうが呼ぶ以上蓮を裏切る訳にもいかず、弁当箱片手に重い足で立ち上がる。扉を開けて廊下へと踏み出して。
「シグ、飯食おうぜ!そんでさ、コラボ周回しようぜ!やっぱさ、ダメージエフェクトスキルは確保必至だろ。ぶっ壊れだよな~!」
止められた。背後から水を注すのは、四角いメガネの鳩三郎。空気が読めないオタッキー男子だ。
「悪いな、今日は無理だ。
「そんな言い方ないだろ。酷いな~」
「だったら今俺がどうしようとしてるか、考えて引き返せ!お前はなんでいつもそうなんだ!」
「何してんだよ、委員会の集まりでもあんのか?」
「まあ、そんなところだ。それと、俺は周回なら昨日終わらせた。お前、まだ作ってないのか?甘えだな、甘え」
時雨は背を向けて走り出した。くれてやる返事は適当に、振り返ることはない。ターンを効かせたステップで、蹴り返す床は純白だ。改築をしたばかりの校舎の床は、都会のオフィスビル、もしくは病院のそれさながらだった。上履きのゴムは摩擦を引き連れる。体育館で走ったときのような音を小さく発した。
授業は終わり、どのクラスもお昼真っ最中だ。楽しげな談笑が廊下にまで溢れてきている。空腹を黙らせて時雨は先を急ぐことにした。
PC室。校舎の東端にあるそこは、情報の授業くらいでしかなかなか使用されない無駄に大きな部屋だ。調べもので生徒が使うため、常時開放されている。
ガラス張りの壁から、中の様子が
一人の少女が退屈そうに椅子に寄りかかっていた。蓮だ。 部屋に入ると、蓮が気がついたらしく、時雨を見上げて声をかけてきた。
「遅いです」
「開口一番に言うことがそれかよ」
「せめて遅れるなら連絡を入れるのが筋です、年上だからといって礼儀を守らなくて言い訳ないですよ!」
立ち尽くす可愛げのない後輩。この調子では全く、気が滅入ってしまいそうな感覚に襲われる。
「どうして連絡しなきゃ来ないんですか?もしかしてすっぽかそう、とか思ってませんでしたか?」
「しょうがないだろ、授業が5分ずれ込んだんだよ。それくらいは考慮してくれよ」
明らかに怒っている。授業中に携帯を触れないのは、校則で明記されている。メールを確認できるわけもない。先ほどまで使っていたのか、コンピューターが画面が光を放っていた。
「まあ、確かに仕方ないですね。でも、10分遅れてルので、次からはもっと急いでください。もうそんなに時間無いですからね」
そういった考えが頭を余儀らなかった訳ではないが、どうせ後で面倒なことになるので、サボタージュするなど論外だった。授業が遅くなったのは本当だし、蓮もそこは納得してくれているようなので、その
「とりあえず、飯食いながら話そうよ」
適当に空いている席(どこも使われてなどいないのだが)に腰掛け、弁当を広げる。蓮もそれに倣い隣に座る。唐揚げに煮物、色物の野菜。見た目も映えるおかず達の匂いが、食欲をそそらせる。一方の蓮は、サンドイッチを中心としたランチボックスだった。珍しいことに、耳の付いたサンドイッチのようだが、これはこれで食べ応えがあって良さそうだ。
「それで、その相談とやらは何なんだ?」
「そうでしたね、どう言えばいいのか。今日の放課後、空いてますか?」
何故か上目遣いでこちらを見上げてくる。
「へ?な、なんだよ回りくどいな……。うん、まあ暇だけど。もうちょっと具体的に説明をお願いしてくれないと、わかんないだろ」
「それじゃあ、私と付き合ってください、先輩」
時雨の鼓動が速まる。血圧は急上昇、自分の掌が汗ばんでいくのが感じられる。そんな時雨の内心を知ってか知らずか、蓮がクスリと覗き込んで言い放つ。
「買い物に」
「あ、ああ買い物ね、オーケーオーケー。倒置法か。でも服とかなら友達と行った方がいいし、わざわざ俺と行かなきゃだめなんてものでも…」
「OKなんですね、言質は取りましたから。あと、先輩が何を考えてるかは知りませんが、買うのは」
軽く息を吸い込み続ける。
「……コーヒー豆ですよ」
「……は?」
息の詰まるような沈黙。構わずに話は進められる。
「いや、だからコーヒー豆です、文化祭で使う」
「で、でも何でそんなもん、俺と?ほら、クラスの女子たちはいいのかよ。それにそんな知識なんて、更々ねえよ。アドバイスなんてできないし、もっと……」
呆れたようなため息。どこかやり場のない疲れを感じる。
「お言葉ですが、先輩。はっきりとさせたらどうです、まったく。そういうことを延々とやられてると正直キツイです。女々しいですよ。で、来てくれるんですか、来ないんですか?」
後輩に正論を言われ、時雨からしてみれば、ぐうの音もでないとこだが、間を作るとまた何か言いそうだ。込み上げる感情を抑えるように素直に答えた。
「もちろん行くよ、ごめん。でも、豆選びは自分でやれよ?」
「最初から先輩に頼るつもりはありませんよ、しっかり運んでくださいね、先輩。頼りにしてます」
「……今、頼るつもりはないって言ったよね?」
「頼らないとは、言ってませんよ?」
得意げな様子で
「ところで、場所と時間を訊いてもいいか?」
「はい。17時に千寿駅でお願いしたいです。厳しかったら変えるので言ってくださいね」
「17時か、うん。大丈夫だと思う。今日は6限だからな」
授業が全て終わるのは、おおよそ3時半。そこからホームルームだの移動時間だのを加味しても、十分に余裕がある。最寄りである千寿駅までは、歩いて10分程度、そこまで距離があるわけではない。
「でしたら、今度こそサボらないでくださいよ〜。絶対にですからね、絶対!」
「一度もサボったことはないだろ、お前こそしっかり案内しろよな。降りる駅とか間違えるなよ」
「あったり前じゃないですか、もう。この私ですよ!」
「方向音痴のお前だから言ってるんだろうが!」
自信たっぷりに手を添えて胸を張る。まあ、張れるほど胸は無いのだが。
「ほら、弁当食えよ。話してばかりじゃ時間足りなくなるぞ」
何やら誇っている様子の蓮に優しく教えてやる。慌てて二つのサンドイッチを重ねて頬張るが、むせてしまっていた。全く減っていないのは時雨も同じで、急いで口の中へと掻き込む。あと少しで予鈴が鳴ってしまう、次は教室移動があるので遅れるわけにはいかない。
「そうだ、蓮」
「はんふぇふは?」
口に残るものを飲み込み、言い直す。
「何ですか」
「何人分買うの、豆って」
「ああ、そうですね……」
鞄から企画書を取りだして、マーカーで塗りつぶされた所を指差す。
「生徒会からの支給が3万円です。うちは食べ物類はやらないので、2万円は豆にまわせるんですよ。1杯150円として、それを越えるには100人で足りるんじゃないか、ってことになって。」
「100か、文化祭としては妥当か」
「いえ、110です。予備も含めて」
「……結構、量あるのな」
「そうですね。まあ、気合いで頑張ってください。限界突破、上等です!」
「運ぶ方の気持ち考えて発言してくれ。あ、時間」
またしても微笑みで誤魔化されてしまった。
再び蓮が頬張り始める。一通り食べ終わり、部屋をあとに教室へと向かう。
「それじゃあ先輩、またあとで」
手を振って、背を向ける形で別れる。学年ごとに西、中央、東館と教室が連なっている。そのため、蓮とは普段の学校生活ではなかなか会わない。後で駆ける音が聞こえる。
振り返ると、そこに蓮の姿はもうなかった。いけないと我に帰り、また足をすすめる。授業開始5分前、その時を予鈴のチャイムが知らせた。
◆◇◆
「おい聞いてるのか、露城」
ぼんやりと見つめる電子黒板に、はっきりと輪郭を確定させていく。実のところ、話など全く聞いていなかった。情報科、文系科目よりも優先度の高い、近年急激に必要とされる学問だ。物思いに更ける時雨は、頷き右手にペンをとる。板書を忘れていた。教師が眉間にシワを寄せる。チョーク、ではなく、ポインターを投げつけて来そうな勢いだが、このご時世、そんなことができるはずもない。「はい」とだけ答え、集中することにした。教師はすっかり諦めの表情だ。
「みんなも知っている通り、5年前とある企業が完全な宇宙を作り上げた。それはネオと呼ばれているやつだ。現在でも研究が進められているな。」
「先生!」
クラスの女子が手を上げた。質問があるらしい。その子は立ち上がり続ける。
「確かに技術革新は急速に進んでいるかもしれません。ですが、本当に完全な宇宙とか世界とかなんて作れるんですかね。それと、ネオって良くわからないんですが」
「当たり前だ、発表以来、国が管理しているプロジェクトだぞ。実際、こうして更なる情報知識の周知を目的とした学習指導要領にも改編された。少なからず本当だろ。まあ、新世界とやらに関しての情報が少ないのは、機密ってこともあるだろうから、仕方ない。これからみんなには、仮想現実を体験してもらう。これはネオのような世界とは違うだろうが、是非楽しんでくれ」
適当な返しだ、と思う。教師であっても深くは知らないのか。
それにしても、仮想現実。少し前まで夢物語だった、バーチャル空間。開発から実用化までのスパンがあまりにも短かった。最近になって、教育現場にも実装配備されるようになった。未だに慣れない人が殆どだろう。時雨自身、楽しみで仕方がない。アニメで憧れたあれだ。学習用のソフトだから期待はできないが、どこまで遊べるのか。
支給されたそれに、先生の合図で電源を入れる。VRをコンパクトにしたようなハードだ。麻酔を打ったように、全身の感覚が消えてゆく。睡魔が頭を強く打つようなような衝撃と共に意識が暗転した。
しばらく経ったのか、それとも一瞬だったのか。ゆっくりと感覚が戻ってくる。眠気のようなものが全身を支配しているが、なんとか振り払い、時雨は目を開ける。
自分はどこかに座っているらしい。目の前にあるのは、机だ。なるほど、教室か。目の前には、今では珍しい黒板があって。そして、誰もいない。自分だけが独り、この部屋にいるということか。不思議だ。クラス単位の授業なのに、生徒をバラバラの空間に発生させる意図がまるでわからない。そもそも他の生徒たちはこのフィールドにいるのかすら分からない。全く以て悪趣味でしかない。文科省はいったい何をさせたいのか。
愚痴っていても
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます