未来都市

第1話 帰り道

 コツコツという音が響く。白塗りの床、白塗りの壁、そして白塗りの天井。とある高校の校舎の廊下、革の靴はうるさいくらいだ。窓から差し込むのは、茜色の斜陽。夕暮れの鋭い光が目に眩しい。顔の左半分に手をかざし、鬱陶しい閃光を遮る。そうして少年は、職員室に向かい歩いていた。彼の名前は露城つゆき 時雨しぐれ。地元の高校に通う3年生で、今年は大学受験を控えている。他の人よりも背は高い方だ。

 時刻は午後5時。授業はとうに終わり、本来であれば下校をしている時間だ。補修を受けていたため、遅くなっていた。鍵の返却はそこまでの重労働ではないが、だからこそ面倒くさい。少し不満そうな顔をしているが、恐らくは眩しさ故だろう。階段を下り、廊下を右に曲がる。

 1階。校長室と事務室に挟まれてそれはある。教員が移動しやすくするための配置なのだろう。ドアの前に立ち、少しゆるんだネクタイを直す。ノックを3回、ドアを開ける。ノックは2回だけだとトイレでのものになるので気を付けよう、失礼に当たってしまう。3回以上なら問題はないが、4回以上やる人は殆どいないだろう。


「失礼します、3年B組の時雨です。教室の鍵を返却しに来ました。」


 教員たちは作業をしていて、誰1人として振り向く者はいない。特に気にする様子もない時雨は、入口右手の棚を眺める。そこにある大きな棚。細かく区分されたそれには、クラスごとのスベース+α 生徒会のものがある。しまわれているのは主に鍵と学級日誌。それに加えて大事な物があれば入れることになっている。行事がある時以外は基本ないが。生徒会の所だけ施錠するようになっている。会計などの学校運営に関する資料があったりするのだろう。3年生の列、左から2番目を開け適当に鍵を入れる。礼をして時雨は職員室をあとにする。

 かばんを背負い、時雨は再び歩み始めた。だがその足が向かうのは昇降口ではなかった。校舎の端にある西階段。廊下の窓を背に臨ませるそこは、踊り場の心もとない蛍光灯が照らす薄暗い場所だ。踊り場の窓から照らす夕暮れは、燃えんとばかりに煌々としたオレンジ色で空間を支配していた。伸びる影はとても長い。上のフロア、脇手すぐにあるのは渡り廊下だ。教室共々がある本館と、音楽室や美術室がある別館とを繋いでいる。

 間もなく別館へと到着した時雨は、角を曲がり奥を目指す。突き当たりにあるのは図書室だ。約1万冊の蔵書を管理しているだけあり、なかなかに広い。そのバラエティーは豊かで、環境についての専門書から民俗学、各国の小説などといったものが並べられている。


 照明が点いていた。中にはまだ人がいるらしい。ゆっくりと引いてみると、案の定ドアは開いていた。縦に詰められたいくつかの長机。パイプ椅子が備えられている。その一角、窓に最も近く入口から最奥の席に彼女はいた。本を片手に佇む少女。茶色がかったショートの、栗色の双眸そうぼうがこちらを見上げる。大きな瞳に整った顔立ちには、清楚な雰囲気を感じさせる小綺麗さがある。小さく膨らんだ胸元には、時雨のものと同じ校章がとめられていた。


「あら先輩、こんな所に何の用ですか?」


「まぁ、大したことじゃないんだ。届け物をしに来たんだが、ここにいてくれて助かった。取り敢えず座るぞ、ここ」


「ええ、どうぞ。私に……ですか」


 時雨が少女の向かいの席に座り、向き合う形になる。


「ああ。多目的教室の机にこれが入っててさ。これ、お前のだろ?」


 そう言って時雨が鞄から取り出したのは、使い込まれた英語の単語帳だ。裏面に書かれた名前を確認して、恥ずかしそうに少女が受けとる。


「あ、ありがとうございます!その、先輩は忙しいのに……」


「この程度どうってことないよ。それに、補修で来るの遅くなっちゃったしな。可愛い後輩を待たせちまった。ごめんな」


 からかうような時雨の口調に、少女が火照ほてったように赤面する。


「か、可愛い……。待ってません、待ってませんから!」


 時雨が笑うが、反論などできない少女が不機嫌そうな表情を見せる。


「ごめんごめん。怒るなよ、れん


「怒ってないですよ!どこかのOBさんが変なこと言うから驚いただけです!」


 少女は精一杯の抗議をするが、焦りからか早口になっていた。彼女の名前は、桐瀬きりせ れん。時雨と同じ高校に通う、1つ下の2年生だ。


「そういえば、部活の調子はどうだ?」


「変わりないですよ~。相変わらず部員は少ないですし、1年生には兼部してる子もいるので、活動してるのは主に2年生だけですね。活動って言えるほどのものでもないですが」


「そうか」


 部活。図書室を拠点として活動をしているのは文芸部だ。何かのコンクールに文章を書いて応募することで活動をしている。どこかのOBさんも今年の初めまで籍を置いていた。


「俺がいた頃はさ、活動なんて形だけだったからさ。大抵は喋って遊んで適当に帰ってたし。よくもまぁ、続いてるよな」


「それは今でも同じですよ。少しでも賑やかでいいじゃないですか。私はけっこう好きですよ、ここ」


 そっと微笑む蓮。


「そういや、他の人はいないのか」


「ええ、みんな帰りましたよ。私も今から帰ろうと思ってたところです」


「確かにもうそんな時間だな。帰ろうか」


「はい、先輩。支度するのでちょっと待っててください」


「ああ」


 窓の外は既に薄暗い。もうすぐ陽が暮れるのだろう。せかせかと蓮が本やら何やらを詰め込んでいる。ショルダーバッグのファスナーが閉められる。


「行きましょうか、先輩」


「よし、行こう。電気は俺が消すよ」


「ありがとうございます。じゃあ私は鍵を返してきます。先輩は校門で待っていてください」


「わかった。それじゃあ、よろしくな」


 一気にスイッチを押す。蛍光灯が切れ、部屋がさらに暗くなる。蓮に手を振り、昇降口へと歩きだした。



◆◇◆



「先輩、遅くなりました~」


 小走りに駆けてくる蓮。制服の上には、紺色をした薄手のコートを着ている。正門に立つ時雨は振り向いて「おう」と一言。合流したところで、ゆっくりと歩き始めた。

 目的地は最寄りの駅だ。それぞれが電車を使って登下校をしているため、そこまでのルートは同じなのだ。路線は異なるため、改札でお別れだが。


 会話をすることなく歩く。坂道を登り、歩道橋を渡って。流石に雰囲気に疲れたのか、横を向く。当の蓮は、寒そうな吐息を連れて明後日の方向に視線を投げている。細く漏れ出す白のそれは美しく、無意識に唇へと意識が流されてしまう。艶やかな唇は凍った息の水蒸気で湿り、光沢がある。


「あ」


「あ」


 見つめ合う。硬直もだが刹那、明らかに目線は泳いでしまった。気まずい沈黙は再びに、お互いに苦笑いにまかせ顔を背ける。

しばらくすると、駅のシルエットが近づく。デパートを越えた大通りだ。もうすぐ駅に到着する。


 咳払いをして、蓮が軽く睨み付けてくる。弁明を求めているようだ。それまで肩を並べていただけの蓮が話しかける。


「なんですか先輩、あんまりジロジロ見ないでくださいよ」


「ごめん……その……」


 誤魔化しの文句が浮かばずに口籠る。すると、面白がっているのか、悪戯な目で睥睨へいげいしてくる蓮。納得したように頷いて、前方向に向き直した。


「先輩は、最近どうなんですか?いいことでもあったんですか?」


「どうって言われてもな」


「私にも訊いたじゃないですか。教えてくださいよ、近況」


「訊いてねぇしな!?」


 時雨も自信のある弁明は、静観さをもって無視されてしまった。


「こちらも、変わりなく平和だよ。呆れるくらいにな。まあ、中間テストが終わって、最近はクラスの仲がよくなってきてるけどな。文化祭の準備をしてる今だから、かな。やることが多くて大変だけど。」


「いいこと、あるじゃないですか。私のクラスなんてひどいですよ。あ、私たちカフェやるんですよ。それで男子が、やる気ないんですよ」


「絶対そうなるよな……。ずっと喋ってたりしてさ、けっこう女子に任せるし」


「先輩もやってないんですね……」


「いや、違う違う!!俺は普通にやってるぞ、うん。頼むから、『ないわ、コイツ』って目でこっち見ないでッ!」


「善処します」


 善処。それは悪魔の言葉である。全てはベストを尽くした、と言えば片付いてしまう。やる気がない時に柔らかく拒否するための魔法だ。


「そのくせ、女子がメイド服着ればいいとか言い出すし。わけわかんない。なんなんですか、あの変態種族!」


「それ、色々誤解を生むから、他では言うなよ」


「え、そうですか?一応気をつけますね!」


 取って付けたような言葉。おそらく本心ではないのだろう。


「とにかく、俺は至って真面目だからな」


「はいはい。もういいですよー。ところで」


 肩にかけた鞄を抑え、軽やかに振り返る。短い髪の毛がわずかに揺れた。

 それにしても、話題の転換スピードが速すぎる。


「明日の昼休み、暇ですか?」


「特に用事はないな、どうかしたのか?」


「いや~、大事な相談がありまして。PC室にお願いしたいんですよ」


「わかった。授業終わったら行くけど、それでいいよな」


「ありがとうございます!」


 軽い会釈ほどのお礼をついでに足を止める。ロータリーへと繋がる横断歩道だ。

行き交う人々は様々に息を吐く。ある者は疲れた愚痴を。またある者は、笑い合う呼吸を整えながら、感情の色を映して。


 東口、白いLEDの光が灯る。駅名のライトの白を緑色の社名標識が反射している。


 間の抜けた高いdBデシベルで機械の音が響いている。改札などに設置されている盲導鈴もうどうりん特有のそれだ。ICカードをスキャンする音は絶え間ない。定時帰りのサラリーマンに、待ち合わせをしているカップル。数多の影が重なるのは、街に活気がある証拠だ。


 改札を抜ける。広々とした空間、ホームに繋がる階段が路線ごとに別れている。蓮は2番線、時雨は5番線を使っている。


「駅、着きましたね」


「6時か、遅くなったな。それじゃ、また明日」


「忘れないでくださいよー!さよなら!」


 階段を走って登る蓮の背中を眺め、時雨もまた、ホームを目指す。いつもより外が暗いのは、遅い時間と季節のせいだろう。アナウンスが流れ、電車が到着した。




 電車に揺られ、バスに乗り。やがて降りたそこは、時雨の家のすぐ傍だ。道の脇には、等間隔で低木が植えられている。


「うぅ……寒!」


 手をブレザーのポケットへおもむろに突っ込み、凍える息1つ、インターホンを鳴らす。母親の返事が聞こえた。玄関に明かりがつき、ドアが開く。

 玄関と言えど、家の中はやはり暖かい。オートロックで施錠がなされ、寒気が遮断される。青い光がドアを伝う。母親がスリッパを履いて立っていた。


「おかえり、ご飯にするわよ」


 既に肉を焼いた匂いが立ち込めている。おそらくは牛か。期待を膨らませ呼吸をし、靴を脱ぎながら返す。


「ただいま」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る