神々の讃美歌

練り生姜

Intro

プロローグ

少年がテレビを見ていた。スマホを片手に眠そうな表情を浮かべ、薄手のカーペットに寝そべりながら。

 彼の名前は露城つゆき 時雨しぐれ。今年中学に入学したばかりの13歳で、黒髪の茶色い瞳。平均的な身長は、およそ日本人のそれだ。鼻が高い訳でもなく、運動ができる訳でもない。成績は、まあ良いのだが。

 彼が見つめるテレビにはニュース番組が映されている。毎日繰り返される有象無象の犯罪も然りなのだが、ここ最近はだいたい同じことが連日放送されていた。キャスターが続ける。

「今年で終戦100周年です。戦争経験者がいなくなってしまった今、私達に何ができるのか。それを考えていくことが、責任を果たしていく、義務ということになるのではないでしょうか。………」

キャスター曰く、昔戦争があった。その悲劇は多くのしかばねをもって完結し、多くの爆弾により大地は荒廃した、らしい。惨憺さんたんとした結果だったとか、史上最悪の殺人行為だったとか。

 だがこれらは、すべて過去の伝聞によるものに他ならない。それも1世紀前の。現実味など皆無である。して知らないことには考察のしようもない、と時雨は思う。勿論、時雨であっても全く知識が無い訳ではない。資料映像は毎年見ている。そしてだからこそ思う。退屈だ、と。

 例えば、20年ほど前、東京オリンピックが開催された。当時の人達はどうだろうか。およそ1世紀前に起きた、韓国併合という侵略行為に対して考えたとして?「非道だ」その通りだ。「考えられん」全くもって。

だが結論は1つだろう。「でも今ならそんな手段とらないよ」である。昔の常識は、結局今の非常識でしかないのだ。技術革新が必至であるスパンである以上、それは仕方の無いことだ。

 時雨は記憶を辿る。

 現在2045年。2000年代に入りどこかの学者が著していたか。科学技術は2045年に技術的特異点シンギュラリティーに到達する。以降5年間以内にコンピューター技術は当時の数万倍になり、完全な仮想空間で生きるようになる__。そして今がその2045年なのだ。最近、著しく新しいゲームハードやコンピューターが出た。コンピューターに至っては、最早定まった形を持たず、それ自体がハードではない。着実に技術的特異点シンギュラリティーへ到達し、コンピューター技術のグラフは急勾配な反比例を描きつつあるのだろう。その足音は身をもって聞こえてくる。様々なデバイスが生まれた今、人海作戦など論外。ボタン1つで終わりだ。あんな戦争にはならない。

 当時の戦争動機は貿易だ。資源という限りあるものを巡り対立し云々うんぬん。そもそも作り出す無限のデータで取引をするから、前提が成り立たない。国家間のイザコザこそ絶えないが、戦争というのは、ほぼ起きない。

 詰まるところ、時雨にとってそんな過去に拘るより、陰に埋もれる犯罪を報道した方が退屈しないのだ。

 ふと、時雨は窓を見やる。透明のガラスが写すのは、もう長いこと眺めた景色だ。それこそ時雨が産まれた時から。アスファルトの道路に自動運転の車が走る。金属でできた家々は、この時期の灼熱の外気を遮断し、快適な内部環境を作っている。真夏に外で遊ぶ子供などいない。外気およそ35℃、とても遊べる環境ではないだろう。部活動も全て室内でやっている。テニスコートなども全国で屋内に設置されたため、可能となったのだ。活気の死んだ風景だ、と思う。しかし、それを寂しいなどとは微塵も思わない。違う楽しみ方があり、皆それぞれが楽しいと感じることができるのだから。

 なんとなく同じ思考を脳内ループさせた時雨は携帯に視線を戻す。この世界があと5年、それだけの短い期間で技術革新する?それも今までの1世紀分などでは到底足りない、恐ろしいスピードで?自分はどうするのだろう。変わりゆく世界で、人間たちは変われるのか。しなければならない。適応するべくして、そうするしかないのだ。ならば備えることこそが義務なのだ。きっとこのスマホというデバイスですら、時代遅れになるのだろう。教科書に書いてあった。携帯が生まれたばかりの頃、それはショルダーホンという物だったとか。肩に掛け、重そうな箱を持ち運ぶ人の写真。ネタかと思った。それが今では薄っぺらい液晶の板だ。どんな物が造られるのか、想像もできない。


「シグ、ご飯できたわよ」


母親が呼ぶ声で、意識を現実へと戻した時雨は立ち上がる。冷房の効いた部屋、踏みしめるカーペットは心地よく冷たい。漂う空気は少し肌寒く、夏にはちょうど良いくらいの温度だ。欠伸あくびついで伸びをしてみて息を吐き、適当に返事をしてからキッチンへと行く。


「今日のお昼何?」


「冷やし中華よ、いいでしょ」


「うん、いいよ。お腹空いたし早く食いたい」


 足早にお皿を運ぼうとする時雨に、呆れたように言う母親がため息をつく。


「少し待ちなさい。雪葉を呼んできて、タレは選んでいいから」


 お皿の脇に置かれたタレは2種類。いつも時雨家の冷やし中華はコレだ。よくある味と塩レモン味。どちらも酸っぱいが、レモンの方がしょっぱい。


「あー……、俺は普通のでいいや。かけといてよ母さん」


「わかったから、いってきて」


 返事を待たずにリビングから出た時雨は、階段を上り雪葉の部屋へと急ぐ。

 露城つゆき 雪葉ゆきは。時雨の姉で17歳。高校3年生だ。背が高くロングが似合うクールな雰囲気で、控えめに言って美人。容姿端麗というやつだ。


「姉ちゃん、昼めしだってさ。冷やし中華だよ。母さんが呼んでた」


 いきなりドアを開けた時雨に少し不機嫌そうな表情を浮かべ、雪葉が振り向く。机に向かい座っている。どうやら勉強をしていたらしい。机に広がるのは、英語の文法書だ。


「はいはい、今行くからシグは下行ってなさい。あ、私レモンは嫌よ?」


「ダメだよ、普通のやつは俺がもらうから。姉ちゃんは今回はレモンね!」


「わかったわかった。あとドア開ける時はノックくらいしてよ?」


 階段を下りる。時雨がリビングに着く頃にはテーブルにお皿がセッティングされていた。

お酢なのか何なのか。独特の冷やし中華の匂いがうっすらと漂っている。


「雪葉は?」


「もう来るよ」


「そう、箸並べてくれる?」


「わかった」


 机に箸が置かれていく。時雨と雪葉と母の3人分。父親は普通に仕事があるので、今は家にいない。前に、社会人に夏休みは無いとか愚痴っていた。夏休みとは、賞味3日ほどの休みにしかならない。結局は課題に追われるだけの長期間。そんなものを押し付けられず、週5日の社畜で済み、安定して2日間の休みを得られるのだから羨ましい。全くもって大人は高慢なものだ。箸を配り終え、席に着くと一同で手を合わせた。


「「「いただきます!!!」」」


 各々が麺をすする。これといって美味くもないが、不味くはない。何度食べても抵抗などないが、わざわざ食べたいとも思わない。そんな味。やっぱり最初に酸味がダイレクトに伝わってくる。その奥には、人工甘味料のような甘さがあり、卵が絶妙なハーモニーを奏でている。トッピングは卵にキュウリ、ハム、そしてトマト。トマトだけはタレに邪魔されない味をもっていて、口直しにいい。さっぱりとした風味は、夏の弱った体に良さそうだ。母が沈黙を貫く。


「そういえばシグ、塾はどこにしよっか?もう中学生なんだし、勉強しない日があったらダメよ」


「どこだっていいよ、まだ中1だよ?受験を意識するには早いし、遊びたいよ。それに、世の中はそんなに鬼畜じゃないよ、人生楽しみたいじゃん」


 するとなにやら、別方向から野次が飛んできた。


「あんたね、そんな考えじゃ落ちぶれるわよ。私を少しは見習って勉強したらどうなの」


 半眼になり口を挟む雪葉。生ゴミを見るような目をしている。確かに雪葉は勉強が得意だ。高校も進学校へ進んだし、将来は情報系の仕事をしたいらしく、理系教科は相当頑張っている。だが時雨とて成績は優秀な方だ。雪葉に及ばずとも、ある程度勉強はしているつもりだ。文句を付けられる筋合いはない、はずだ。


「なんだよ皆して、俺は別にやらないって言った訳じゃないんだし。食事中くらい楽しい話しようよ」


 拗ねた態度で時雨が横を向く。リビングダイニングのテーブルは、縦長の部屋の奥にある。テーブルの向こう側、時雨の視線の先に広がるリビング空間には、ソファーとテレビが設置されている。

 テレビにはマヨネーズのCMが映されていた。時間的にも、そろそろお昼のバラエティーが始まるのだろう。タイトル詐欺な料理番組を飽きずに放送できるものだ。マヨネーズ企業のお偉いさん達は、何を考えているのだろう。CMが終わり、短いニュース番組に切り替わる。5分間くらいで内容が要約されていて、分かりやすい。その前の3分が嘘臭く感じられる。カップラーメンの麺も伸びるんじゃないか、と思う程に長い3分間が、よくも平日には存在したものだ。だが、うるう年があるのだから、なるほどそうか。


 アナウンサーの後ろに映るのはどんなスペースなのだろうか。恐らくは、そこで原稿を練ったり、映像をまとめたりしているのだろう。

 爽やかなアナウンサーだ。新入社員なのか、若手なのか。こういうのがイケメンと言われる類いなんだなと再確認し、髪を整えてみるが、時雨には無理なようだ。「ブフォwww」みたいな視線が2つあるので、もうやらないでおくことにした。

 アナウンサーが続ける。


「報道フロアからニュースをお伝えします。

アメリカで開発されていた、『新次元空間ネオ』が日本の企業である、ナーク社によって完成しました。」


 新次元空間ネオ__。数年前から研究されていた。完全に人間の掌の上にある世界を作るとか、そんなやつだ。開発が始まった当初、倫理的な問題でけっこう批判されていた。小学生だった時雨にはよく分からなかったが、かなりの大バッシングのせいで、良い印象はなかった。その後アメリカで隠れて研究をしていたらしい。ビッグバン理論の検証という大義を掲げている。流れてきたテロップと同時に、会見の映像に差し変わった。アナウンサーが補足する。


「これは、昨日の日本時間深夜1時に行われた、アメリカのワシントンD.C.でのナーク社の会見の様子です。少しご覧いただきます」


 やがて、映像の記者の質問に移り、字幕が表示される。点滅するフラッシュが担当者の顔を照らす。


「ネオの中で既に文明や自我の存在が確認されていると、先ほど仰っていましたが、完成は今まで隠していたということでしょうか。えー……また、開発当初から倫理的な問題が指摘されていましたが、その点どうお考えでしょうか」


「ネオの完成時期についてはですね、昨年の8月ということになります。今回ですね、やはりこれだけの大掛かりなシステムですから、慎重に検討を重ねた上で公表の踏み切ったと、いうことです。」

 

中年の担当者が咳払い1つ、手元の原稿を読み進める。


「そして、倫理的なことに関するご指摘ですが、システム内部には不干渉と、えー……いう形で管理をしています。またですね、アメリカの ESI と提携してデータは保管していますので、問題はないと判断を弊社ではしている、ということでございます」


 画面下に注釈が書かれている。

『※ESIはアメリカの大手IT企業電脳科学研究所の略』

 確かこの企業はVR技術などにも手を出していたはずだ。2036年、完全な仮想空間が実現した際にも、リーダーシップをとって研究に携わっていた。確かに仮想世界の構想に関するビッグデータならば、ESIにはどこよりも膨大な量があるはずだ。息がかかるのも納得できる。ちなみにその技術がゲームで実用化された時、ログアウトボタンはあったそうだ。

 会見の映像は途切れ、アナウンサーが締めくくる。ニュースは終わり、『ヒルナンダヨ』が始まった。


「嘘でしょ……?」


 意外にも、雪葉が困惑した声を上げている。普段は割りと気が強いが、戸惑うこともあるのか。

刹那、時雨の脳裏によぎるパワーワード。


戸惑ったっていいじゃない、人間だもの。


「どしたの」


 一応訊いてみる。別に時雨にしてみれば、どうしててもいいのだが。


「ESIって……」


「ん?」


「私が入りたい所……」


「あ、そう。意識高ッいデスネー。早すぎない、まずは受験でしょ?」


「シグ……」


「はい?」


「テンションおかしいけど、どうしたの?疲れてる?」


「ま、まぁね。ごめん姉ちゃん」


 貫徹キメてゲームをしてたとは言えず。朝から引きずる眠気と倦怠感は、そろそろピークに達している。それにしても、雪葉の言っていることは深刻だ。


「話、戻すよ?」


「……ごめん」


「私が理系志望なのは知ってるでしょ。お父さんがSEって影響も多分あるんだけど。お父さんの会社はね、海外からの人材をたくさん受け入れているらしいの。反対に海外へも多くの人材を派遣してる。」


「つまり、世界中の技術が学べるパイプがある」


「そう。で、アメリカで協定を結んで人材のやり取りをしてる相手がESIってわけ。そこに入ればいずれ日本で研究できるようになる。つまり、最先端技術を吸収して、日本の研究を支えられる。だから、選択肢として考えてたの」


「なるほど。で、なんでそんなこと知ってんの?」


「私が理系にするって言ったら、お父さんが教えてくれた。いや、無理矢理話を聞かされた、のかな?」


「うわ、だいたい想像つくわ。父さんが話始めたら止まんないからな……」


「じゃあどうするのよ」


 雪葉を心配そうに見つめる母の声。


「うん、でも諦めようとかはないかな。自分がやるべきことをやるだけ。今はまだ、わかんないけどね」


 微かに笑って雪葉は箸を持ち直す。聞こえてくるのはバラエティーの効果音。『熱さを辛さで吹き飛ばせ!真夏の激辛ツアー第4章!』なる企画が絶賛進行中だ。芸人たちがなにやら騒いでいる。


 時雨も止めていた箸を進める。相変わらずの酸味が、なんだか染みるようだった。


 しばらくして、全員が食べ終わると食器を戻し、時雨はソファーの上で横になる。寝そべって見るテレビは心地が良い。少し寒いとさする腕には、鳥肌が立っていた。ほどよく反発のあるマットには温もりがあり、ベットのようだ。強烈な睡魔が時雨を襲う。

 母親は先程の食器類を洗っている。時折、カチリと鳴る音は皿の触れ合うそれだ。

 雪葉は、自分の部屋へ戻ってしまった。再び勉強をするのだろう。受験生はなんとも忙しい。

 リビングに音を立てる者はもはやなく。一定のリズムを刻む時計の、秒針が打ち鳴らす音が唯一の存在だ。滑らかなシンドロームのように響く“モノ”は、止まることを知らない。そう、ひたすらに。


 ただひたすらに。

 

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