最後に竹刀を握った日

ユラカモマ

最後に竹刀を握った日

 花房中学剣道部中堅千歳ちとせは姿勢を正し次鋒の試合を固唾を飲んで見守っていた。2つ下の次鋒は小柄で細身の少女だったが既に先鋒が負け、かなり苦しい状況にあっても優勝候補の選手を相手にまだ一本も取られずに粘っていた。

(さくっと二本負けしてくれればいいのに。)

 良い試合をする後輩相手に思うことではないだろうが千歳はこの試合にも剣道にも嫌気がさしていた。そもそも千歳たちの花房中学が県大会まで勝ち上がれたのは市大会の抽選くじの引きがよかったのと部員が5人に足りていたからである。それは市大会が終われば引退できると思っていた千歳にとっては非常にありがた迷惑な話であった。

(そもそも私、市大会で一度も勝ってないし。)

 千歳は三年になってからひどいスランプに陥っていた。その上今年から新しくなった顧問とそりがあわず部活の時間には日々ストレスによる腹痛に悩まされていた。そんな千歳の唯一の救いは県大会の一試合目の相手が県優勝候補だったということだ。

(一試合目の相手校いうと絶対かわいそうに、みたいな反応されたなあ。)

 それでも熱血な顧問と私以外の部員はモチベーションを下げずによく練習していたと思う。負けるに決まっているのに。

 つらつら考えていると鋭い踏み込みの音が聞こえて赤い旗が3本上がった。次鋒が相手に一本取られたのだ。二人は開始線にもどって再び向かい合う。残りは1分弱といったところか。

 千歳は息をなるべく深く吸い込みながら竹刀を構える後輩をみた。彼女の勝敗と本数で私へのプレッシャーが変わるのだ。剣道の団体戦は5人で先鋒から一人ずつ試合を行い勝ち星の多いほうが勝ちになる。もし勝ち星が同数なら取った本数が多い方が勝ちだ。だからもし前二人が負けても私が勝って後ろ二人に繋げれば勝つ可能性がある。それかせめて引き分けでもどうにかしてくれるかもしれない。隣に座る副将は次鋒と同じく2つ下でややしっかりした優しい子だった。私たちは3年が3人、1年が2人のチームだった。

 笛がなって次鋒の試合が終わった。面の一本負け。つまり私が引き分け以上ならまだ勝ち筋は残る。絶対勝って、そういった大将の言葉を思い出しながら次鋒と入れ違いに私は白いテープの内側へむかった。


 剣道の試合は3分間だ。三年間、正確には二年半ぐらいだがそれだけの間柄積み重ねてきたことをたった3分でだしきらなければいけない。あまりにも短く、でも体力的には長く感じる時間。

 相手校の中堅と構えあって剣先で中心を取りに行く。でも全然とれやしない。中心をとられてまっすぐに面がとんでくる。こてであわせたが当然のように赤い旗に囲まれる。

(どうすればいいのだろう?)

 市大会、いやスランプに陥ったころからずっと分からなくなっていた。どうやって勝っていたのかどうやって動いていたのかどうやって打っていたのか。今さら遅いというのは嫌というほど分かる。でも負けるしかないというのを土壇場で悔しく思った。

 構え直して、次は一瞬。相手にとっては早く終わらせたいぐらいつまらない試合だっただろう。私にとっても早く終わってほしい試合だった。負けて悔しいし情けない。これまで腹痛に耐えても練習に出続けた意味も分かりはしなかった。でも、もう終わったんだと思えば顧問の先生のお小言やチームメイトの悔しそうな涙も流すことができた。私は泣かなかった。泣ける立場ではないと思った。

 私はあの日から竹刀を握ったことはない。

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