秘密の夏 一
少しずつだが雪葉の目に正気がもどってきていることに美波は安心した。ボディソープで背中も洗ってやり、充分にお湯で流してやった。
「はい、これで終わり。ごめん美波、そこのバスタオル取って」
「これね」
浴場に備えてあるグレーのバスタオルは使いふるされて手触りが悪いが、清潔なもので、それでごしごしと雪葉の髪や身体を拭く。
このときには雪葉もしっかりしてきており、後は自分でちゃんと着替えた。
脱衣場の壁際には長方形のテーブルと三つ椅子があり、テーブルにはヘアドライヤーが三つ並んでいる。ひどく古いものだが、スイッチを押すとちゃんと使えたので、それで雪葉の髪を乾かしてやる。
おや……、と美波が気になったことに、こういう場所には必ずある鏡がない。
思えば、寮の脱衣場にもトイレにもない。私物としてかろうじて所持をゆるされているのはそれぞれの自前の小さな鏡だけだ。奇妙な顔になっていたのだろう、夕子が説明した。
「鏡ばかり見るのは虚栄心を強めるからよくないんだって」
「嘘!」
そこまでするものだろうか。やはりこの学院はどこまでも変わっている。いや、異常だ。美波はそれについてはもう言う気もなく、べつのことを口にしていた。
「……にしても、晃子って面倒見いいね」
晃子一人でやった方がうまくすすむので、あとは彼女にまかせた。晃子は実に手際よくドライヤーを当て、髪を梳いてやっている。
「去年もね、こんなふうになっちゃった生徒がいたの。で、夏中、彼女の面倒を私が見ることになったの」
怪訝な顔になったのは美波だけでなく雪葉もだ。完全に正気をとりもどした雪葉は、疑問の目を晃子にむける。
「そうなの?」
美波の言葉に、あっけらかんと晃子はこたえる。
「もう、大変だったわよ、食事も一人じゃ取れないし、お風呂も自分からは入ろうとしない。着替えるのもいちいち全部私が手伝ってあげなきゃならないの」
「……その子はどうして、そうなったの?」
雪葉が訊くと、晃子は記憶をさぐるような目になった。
「うーん、多分、環境の変化についていけなくて、ストレスがたまったんじゃないかってシスター・グレイスは言っていたけれど」
そこまでいったら親元に連絡すべきではないだろうか。謎に思うことを美波が口にしてみると、また晃子は薇苦笑を浮かべた。
「親がここへ入れたんだもの。仕方ないわよ。近所の目だってあるし、妊娠している娘を家に置いとくわけにはいかないじゃない?」
「その子も妊娠していたの?」
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