わたしたちはいつからこんなふうになってしまったのだろう

DDT

第1話

角を曲がると見慣れた景色が変わっていた。

屋根の色が違っている。

昨日正人が言ったのは、このことだったのかと気がついた。

「ほかに供出できるものはないか」

と正美に聞いてきたのだ。

屋根には10年前新築した際につけた太陽光パネルが載っていた。

政府広報により寄付を呼び掛けていたのは知っていたが、確か耐用年数の基準があったはず。こんな古いパネルでも持っていくのかと驚いた。


双子の兄の正人は、急に無口になってからは話かけてくることもなく、最近は正美が一方通行で話していることが多かった。

やはりあの事件が原因だと思う。

5年前のあの日、国内の主要な空港で同時多発テロが起こった。

正美たちの両親は本家の法事にでた帰りに、福岡空港で事件に巻き込まれた。薬物によるテロは見境なく均質に汚染して、あまりにも多くの犠牲者をだし、ふたりは親を一度に失ったのだ。


今日は学校で『端末狩り』もあったし。

手を洗いながら正美は思い返す。

予告はされていたものの、授業中に突然大きな袋を持った人たちが入ってきて、後ろから携帯端末を回収するように指示した。

迷う猶予も拒否する権利もなく、口を開くことさえできないようだった。

担任の先生は凍り付いた顔をして、部屋の隅に立っているだけ。

正美は自分のスマホを袋の中に放り込んだ。

国策にレアメタルが必要、というくらいにしか正美はわからない。

おそらくあの場にいた誰もがわかっていないだろう、と思った。


インターホンが鳴った。

玄関先にはいつも笑顔であれこれ面倒を見てくれる隣人、吉田のおばさんが立っていた。

「回覧板です。何か変わったことはない?」

両親を亡くしてから親戚に身をよせていた正美たちは、中学を卒業してやっとこの家に戻り、二人暮らしを始めた。

すべての事情を知っている吉田さんは折を見て声をかけてくれるのだ。

「はい、ありがとうございます」

回覧板の表には、派手な色合いで『絆でブロック! 2025』と書いてある。

「不要不急線の撤去工事が始まったんですって」

ああ、と正美は頷く。

全国の老朽化した赤字路線は廃止となり、続々と線路が取り払われていた。

「鉄が集まるし一石二鳥、エコでいいわよね」

吉田さんはうれしそうに言った。

「今日学校でわたしのスマホも持っていかれちゃって……」

正美が少し不満げなニュアンスを混ぜると、たしなめるように吉田さんは首をふった。

「それが“ルール”でしょう」

右手を正美の肩にのせて、さらに吉田さんは言った。

「これからは若い人がひっぱっていかなきゃ、ね。正人くんもがんばらなきゃねって伝えといて。応援してるから」


吉田さんが帰ったあと、正美は黒い雲が胸の中に広がって、自分を、そして家までも覆いつくすような不安を覚えた。

怖い。

わたしたちはいつからこんなふうになってしまったのだろう。

政府が『オールジャパン法案』を国会に提出したときから?

経済の合理的体制化、という言葉が叫ばれるようになってから?


両親を失ったあの日からずっと国は非常時下にあって、いつどこでテロがあるかもわからない。

夜中の外出は禁止されている。安全に出歩いていた頃があったなんて今では嘘みたいだ。

お兄ちゃん早く帰ってきて、と正美は心の中で叫んだ。

ふたりでいつものようにご飯を食べて、他愛のない話がしたい。わたしが一方的に話しているようでも、お兄ちゃんはいつもちゃんと聞いてくれている。

しかし、その夜正人は帰ってこなかった。

友達に聞いても誰も行方を知らなかった。まさにかき消すように消えてしまったのだ。


3か月後。

学校から帰ると、正美は兄の部屋のパソコンに新しいメールが届いていることに気がついた。

いなくなって以来立ち上げていなかったので、慌てて日付を確認すると、偶然にも今日だった。

メールの冒頭には輪を作った指が描かれた、検閲済のマークがあった。


「先日のメールは届いただろうか、驚かせてごめん」

と始まっていて、おそらく正人はわたしのスマホに連絡していたのだ、あの供出の日にと正美は気がついた。

「志願して筑波山の麓にある研究機関にしばらくいました。今はアジア方面のとある場所にいます」

変な文章、と正美は思った。

「緊張とともにわくわくしています。信頼できる仲間たちと訓練を積んできました。やっと役目を果たせる、お父さんお母さんを追悼してその気持ちに報いたい」

どこまでが正人の書いた文章なのだろう。どこが正人の本当の気持ちなのだろう。

正美は涙が止まらなかった。

メールはこう締めくくられていた。

「人骨が人造のダイヤモンドになるのを知っていますか。誓約書にサインしました。もし骨が戻ったなら供出してほしい、金属の精密加工に役立つから」

さようなら、の文字はなかった。


終わり

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