小さな万引き犯

千羽稲穂

小さな万引き犯

 公園の前にある駄菓子屋に、いつも通っていた。夏休みはずっと。することもなく暇だったからっていうのもあるけれど、駄菓子屋はクーラーがきいていて、涼しいから、家に扇風機すらない僕はよくそこにいた。夏休みの間は平日よりもうんと人が少なかったし、駄菓子屋のおばあちゃんもレジに立つ機会がなかったように思う。そもそもあの駄菓子屋は信頼でなりたっているから、おばあちゃんもレジに普段からいなかった。だからあそこは温床だった。

 なんの? 犯罪ルール違反の。

 僕は知らないけれど、後の話であそこは相当の被害を強いられていたと聞いた。しかしそれも人伝のことだからよくは分からない。僕の話も真実半分、嘘半分で、噂を聞くように聞いてくれたらいい。

 駄菓子屋の温床の中に、僕の友達もいた。今でもたまに会う友達だ。暫くあっていないけれど、この年まで元気でいてくれていて僕を友と呼んでくれている。僕も彼のことは今でも友だと思っている。

 これはそんな彼との出会いの話だ。

 駄菓子屋で僕は涼んでいた。中には小さな椅子や机が備わっていて、居場所のない人がそこにたむろうには、最高の場所だった。その時は僕一人で机に臥せっていた。

 そこへ彼がやってきた。その頃の彼は僕よりも背が高く、体はひょろっとしていて、目に見えるほどの貧弱だった。そいつはやってくるやいなや、周囲を窺い、僕を見て、ため息をもらした。そうして僕に近づき、体をゆすった。でも僕は居場所を奪われたくないがために寝たふりを続けた。次第に彼は諦めて、もしくは僕が本当に寝ていると思い込んで、僕から離れていった。

 それをちらっと細めに見ていた。

 すると彼はレジからも僕からも死角になった場所に移った。

 そこですることなんて、当時の僕には知らなかった。そもそも、僕は『ルール』に厳しいやつだった。学級会で先生が「寄り道せずに帰りましょう」と言われると、頭の隅にその言葉を置き、寄り道しているやつを見かけるとすかさず「先生が寄り道したらいけないって言ってたぞー」とうるさく喚き散らしていた。それほどまでにはルールに対しては口うるさかった気がする。

 彼はその後、レジにも向かわず、そっと駄菓子屋から出た。静寂が駄菓子屋に降り立ったとこで、僕は立ち上がり、死角になった場所へ向かった。

 駄菓子はなかった。さすがに僕だって気づいた。小学生だって、あの惨状は目に余るものがあったよ。棚にあった色とりどりの駄菓子は姿は消し、空っぽの駄菓子箱が放ってあった。灰色の底がむき出しになっている。しかも死角にあったものだけ。

 ああ、と頷き、胸がうずいた。心地悪さで吐くかとも思われたが、必死にこらえた。

 僕と彼は同級生だと僕は最初から分かっていたからだ。そいつと教室で同じ空気を吸っていることに嫌気がさした。染みついたルールに逆らうことは嫌悪感があった。胸の奥でうごめくものが、うつぼのように顔を出した。僕はうつぼが顔を出す時を見計らい掴んで、握りしめた。ぐっと奥歯を噛みしめた。

 僕は彼のことを追った。行きついたのは近くに会った公園。蝉の音が辺りにさんざめく中、あろうことか彼は駄菓子屋で攫った駄菓子をむさぼり食べていた。人の気配がない日中だからこそ、誰も彼を目撃せず、注意もしなかった。

「おい、お前」

 僕が言い寄ってきたのを彼は冷めた目で見ていた。よく見ると、その服は泥で汚れていた。手や腕、顔、端々に痣や擦り傷が見られた。肌が焼けていて、目立ちはしなかったが、ひっそりとその事実が僕の瞳に焼け付く。

「なんだ、お前か。やっぱり起きてたんだな」

「万引きだよな、それ」

 そう指摘するさ中、彼は駄菓子を食べ続けた。食べ物を頬張るリスのようにポケットは膨れていた。そこから次々にチョコやカルパスが出てくる。そのパッケージを剥き、口に放り込む。玩具を取り上げられないために、腹に隠しているよう。

「お前も食べる?」

 その時差し出されたのはパイナップルの飴だった。万引きした代物とは様変わりしていたから、さして疑問に思わず手に取ってしまう。

「それは万引きしたもんじゃないから。ほら食べろよ」

 ふわふわと笑う彼にどうしたものか。僕はまず手始めに彼の信頼を得ようと飴を口に放り込む。飴は舌の上に置かれて、歯とあたる。カランコロン、と回る。甘ったるい匂いと夏の汗が混じった味がにじむ。

「お前、共犯者な」

 は?

「さっきの嘘だから。それも盗ったもの」

「待てよ」

「これでさっきの万引きも黙っててくれ」

 彼のひよっちぃ肩に手をやり振り向かせた。でもどう言っていいか分からない。だって、彼の体には無数の痛みが蔓延っていたから。僕は幼く、その現状を知らないし、対処の方法も思いついていない。ただそこにある景色にルールから乖離した何かを感じてしまう。

「いってぇな」

 と、いう具合に彼とは最悪な出会いだったわけだが、この後、むしゃくしゃした僕は彼と喧嘩をしてしまう。言葉も何も覚えていないし、拙い感情表現をどう表せばいいか判断できなかったのだ。一方で彼はその年にして表現も上手い躱し方もしっていたみたいだった。主に暴力にどう対処するか。彼は最初こそ抵抗していたが、僕の攻撃が何度か当たるうちに戦意喪失していった。ついに戦う気さえ見せず受けていた。早く終わってくれと、その瞳の光がくゆる。おぼろげな視界に僕は再び分からなくなる。

 だから吐き捨てた。

「わけわかんねぇ」

 早く万引きしたことを言いに行こうともしたが、彼はかたくなにその場から動かなかった。お腹もすかしているみたいで、喧嘩する体力もなくなっている。

 そこから一旦、時間は飛ぶ。

 僕がその頃大切にしていたのはルールの遵守だった。主に子ども同士の。ルールとは暗黙の規範だろう。この国の法はその規範の具現化されたものだ。子どもにとってそんなこと知る由もない。大人に言われたルールが絶対だ。僕は彼に会ったら、絶対言うようにした。お前はルール違反者だ、と。

 でも、僕のルールと彼のルールは異なっていた。

 彼の周辺環境を生々しく知ることとなったのは、万引きを見た夏休みが終わる、そんな夏終盤ごろ。僕の家はエアコンも扇風機もない熱気が立ち込めた家だったから、駄菓子屋で涼んでいた時、彼は再び駄菓子屋に訪れた。またポケットに駄菓子を一つ突っ込んだ。さすがに僕はもう見逃さなかった。おばあちゃんはレジにいて、僕は起きていた。そしてすぐに彼の手を掴んだ。

「謝れ」と僕は叫んだ。

 何に? と今なら思う。僕は何に躍起になっていたのだろうか。

 予想外にも彼はすぐに謝った。悲しいぐらい、すぐに。でも見逃した方がよかったかもしれない。彼はやつれていた。震えていたし、お腹の虫の力がないのか空腹を訴える眼差しをしていても、虫は腹から何も言わない。きっと死滅してしまったのだ。

「ごめんな、さ、い」

 消え入りそうな声に罪を感じざる得なかった。ルールを犯した以上の、妙な痛みを伴う感覚。ぐるぐると回る脳内。脳みそがかき混ぜられるよう。

 彼はその後、「空腹で頭が動かずやってしまっていたことだから、あの時、俺を止めてくれて有難かったよ」とさらっと言ってきた。その言葉にまた一段とあの時止めたことに胸を痛める。

 ふらふらな彼を僕はそこから送っていった。

 体形は今こそ彼の方が大きく力もあるが、当時は本当に彼はどうしようもなく小さく細かったものだから、普通に担ぐことが出来た。あんまり帰りたくなさそうにしていて、聞きだすのも苦労したが、家になんとか送った記憶がある。

 彼にとっての地獄はそれからだ。僕は帰ろうとしたが、歩みを止めざる得なかった。彼は家に入っていったが、すぐにその家から大きな物音がした。声はしなかった。ただ痛い音。耳をつんざく絶望的な力の差。

 子どもがどうすればいい。どうして彼を助ける術を思いつく。無力だ。そこで彼を助けるために行ったところで子どもの戯言にされるのがオチだ。

 だから逃げた。

 全速力で走ったさ。どこまで行くんだっていうぐらい道をまっすぐに走って走って、息が切れてしんどくなった時、倒れてしまった。肺が破れるんじゃないかって程痛かった。空気を吸うけれど体に馴染まなかった。

 翌日、学校にいつも通りの顔をぶら下げて登校した彼にさりげなく告げてみた。

「あの後大きな物音がしたんだけど」

 ばれてたんだ、と彼は初めて驚いた表情を見せてくれた。

「どうして先生に黙ってるんだ。ご飯とかどうしてるんだ」

「そんなの言ったってどうにもできないよ」

 彼は、ふわふわと笑い、僕の肩に腕を回した。どれほど彼が僕のような人を望んだか、あの時彼がどれほど絶望していたか僕には分からないが、それでも彼は嬉しそうにしていた。笑っていたし、僕のことを認めてくれた。

「俺さ」と素直な顔を見せて、「ルール違反者の自覚はあるよ。でも、お腹すいたらどうしようもなくなる。お金も力も知恵もない俺は、ルールを違反する以外生きる術が思いつかないんだ」


 そうだそうだ。あれからあっけなく駄菓子屋の万引きはばれたんだった。彼の境遇を悟ったお婆ちゃんはいくつか駄菓子を施したけれど、彼は悲しそうに見つめていたのを覚えている。僕だって彼に何かあげたかった。彼は長い休みになると給食がないから食事にありつけなくなる。だから彼のいろいろを知ってからファーストフード店でポテトやハンバーガーを見繕って、彼に持って行った。彼は一度たりとも受け取ってはくれなかったよ。


「同情はいらない。見下されるのは、友達としてきついよ」


 なんて、言って。

 あれから何年たっただろうか。思い出すたびに、ルールを諭していたあの時の僕を、何度も馬鹿だなと、蔑んでしまうんだ。

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