たった一つの恋人ルール

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たった一つの恋人ルール


 一日一回、お互い視線を合わせること。

 それが彼女と私の、たった一つの恋人ルール。



       ∞



「あー、やっとテスト終わった。アキー、帰り遊びに行かない?」

「ごめん、ちょっと部活に顔出そうと思ってて。後で合流するから先行ってて」

「えー、部活はもう引退したじゃん」

「後輩たちにせがまれちゃってね。十分くらい顔出したらすぐ引き上げるから」

「はいはい、『お姉様』は人気者ですねー」

 

 茶化す友達をあしらって、音楽室へ足を運ぶ。

 明治から続くこのお嬢様学校は、教師から職員まで全員が女性という徹底された女の園。年頃の少女たちをそんな抑圧された空間に押し込めたら女性同士で疑似恋愛を始めるのは世の常で、短髪長身の私は入学当初から学年問わず人気があった。胸が平坦だったのも理由の一つかもしれない。

 ともかく私は女性の園の男役として煩わしくもありがたい役どころを三年間続けていた。


 廊下を歩けば両手どころか左右前後に華が咲き、二月十四日バレンタインともなると人気公演千秋楽の差し入れかと見紛うほどのお菓子の山が机の上を埋め尽くす。


 学年には私と似たタイプのお姉様役エルダーが何人か存在していて、それぞれがちょっとしたハーレムを形成している。

 全生徒から信頼と陶酔を集める生徒会長や、気の弱い少女たちから絶大な支持を得ている風紀委員。私の場合は、所属していた合唱部を中心に文化系の少女たちから人気があるようだ。


 教師たちもそんな風潮を意図的に黙認しているようなので、きっとこれが伝統的な暗黙のルールなのだろうと私は勝手に納得していた。

 閉ざされた小さな世界には分かりやすくシンプルなルールがあればいい。あとはそのルール通りに自分の役割を演じていれば、これほど楽なことはない。


 そう思っていたのだ。

 そう思っていたのに。

 私は彼女と出会ってしまった。



       ∞



 防音の整った重い扉を手前に引くと、部屋の中から澄んだ歌声が聞こえてくる。独唱ソロパートを堂々と歌い、続くパートでもまだ未熟な一年生たちをリードして見事な調和ハーモニーに昇華したのは、一五○センチにも満たない金髪の小柄な少女。

 昨年の文化祭で『不思議の国のアリス』のコスプレをした時は本からそのまま飛び出てきたんじゃないか、とまで噂されたハーフの美少女は、胸元に二学年を示す赤いリボンを携えて、伴奏の終わりとともに瞳を閉じた。

 一瞬だけシンと静寂音が響いたあと、控えめに拍手をしてあげる。すると、私の存在に気付いた下級生たちが頬を緩ませ色めきだって、私の周りに駆け寄ってきた。

 

「先輩、来てくれたんですね!」

「どうでした、いまの合唱。一学年の娘たちも上手になってきたでしょう!」

「一緒に歌っていきませんか!」

 

 はいはい、と困った笑顔を浮かべながら少女たちをあしらっていく。もう引退した身だが、お姉様役エルダーとして役割を全うするため、数日に一回はこうして後輩たちの様子を見にちょっとだけ顔を出す。それだけで合唱部の面々は私と触れ合えるというメリットを享受できるし、私は卒業までお姉様役エルダーとして不自由のない学園生活を謳歌できるので、いわゆるウィンウィンの関係だ。

 

 

 そんな建前・・があるから、私は安心して金髪の後輩彼女に会うことができるのだ。

 

 

 音楽室の中、たった一人の少女以外は全員私に注目している。当たり前だ。立ち居振る舞いから注目の惹き方まで、この三年間で鍛えられた。だから、教室の隅で一学年の後輩と密かに口づけを交わす二人の少女を私以外は見ていない。

 悪戯好きの子猫みたいな笑みを浮かべて初心な少女下級生の唇を奪う彼女は、面白そうに私の瞳を見つめてくる。下級生の顔は見えないが、後ろ姿を見ただけで彼女に全てを委ねているのがよく分かった。


 彼女はいつだってそうして私を挑発してくる。

 だから、私は湧き上がるほどの嫉妬と情愛をお姉様役エルダーの仮面で抑えつけて、平然と彼女を赦すのだ。聖母のように、余裕を持って。

 すると、彼女はもっと過激に私のことを煽ってくる。きっとこの関係は卒業するまで続くだろう。

 

 馴れ初めも切っ掛けも全て秘密。それは私と彼女だけのもの。

 私と彼女は表面上ただの先輩と後輩で、ろくに会話すらしたことがない。

 それでも私と彼女は恋人同士。それを確かめるためだけに、私は今日も彼女の姿を探してしまう。

 


 一日一回、お互い視線を合わせること。

 それが私と彼女の、たった一つの恋人ルール。


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