猫獣人のプライド

ちかえ

猫獣人のプライド

 にゃーにゃにゃー。


 にゃにゃにゃにゃにゃ。


 がるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる。


 みぃみぃ……みみぃ……?

 にゃにゃ!? フーー! シャーーーーーッ!

 み、みみぃ!?

 にゃ、にゃーにゃー。

 ゴロゴロゴロゴロ。



 どういう事だろうと俺は頭を抱えた。目の前には俺を遠巻きに見ている獣人達、俺に興味を持ってこっちにくる二歳くらいの子供、そしてそれを止めようとしている母親がいる。


 獣人と交流をするために彼らのの共通語はマスターした。でもそれは『にゃーにゃー』でも『みーみー』でも、ましてや『がるるるるるるるる』でもなかったはずだ。


「シャーーッ! シャーーッ!」


 とりあえず子供を抱いている女性に威嚇されているのでその場を離れる事にする。


「す、すごいですね」


 先輩に話しかけると彼女は苦笑した。


「そーでしょー。最初に見た人はみんなびっくりするのよー」


 うふふ、と楽しそうに笑う。その後、急に真顔になった。俺はついびくっとしてしまう。


「でも、みんな動物扱いには怒るから気をつけるようにしてねー」


 それは我がままだ、と思う。この獣人という生き物は耳と尻尾、そして手はその動物のものだ。ついもふもふしたくなってしまう。


 ついでに言うなら俺は彼らと遊びたい。そのためにおもちゃまで持ってきているのだ。


「そうそう。そのカバンに入ってる猫じゃらしだけど、出しちゃダメよー」

「はい……」


 僕たち研究者には相手の嫌がる事はしないという当然のルールがある。それを最低限守らないとひどい目にあうという。


 どうせ脅しだろうが、一応先輩のいう事は守っておいた方がいい。こう言うということは、昔の先輩に何かあったのだろう。


 俺は大人しくうなずいた。



 ネコ科の獣人の村はいくつかある。だが、そこに住んでいるのは猫獣人だけではない。俺たちを迎えてくれた村長はライオンの獣人だった。


「ガウー! 人間の研究者さんを迎えるのは久しぶりですね。ようこそいらっしゃいました」


 彼が話しているのは俺の知っている獣人の共通語だった。ただ、最初に必ず『ガウー』と言うようだ。この部屋まで案内してくれた秘書か使用人らしき猫獣人のお嬢さんも『こちらですニャ』と言ってたので彼らの癖なのだろう。


 それでも『ニャ』だの『ガウー』だの言われると調子が狂う。彼らもいわゆる人間の一種族なのだという事を忘れそうになってしまう。


 落ち着け俺、ここにいるのはネコ科の獣人であって、ライオンや猫じゃないんだぞ。


「初めまして。こうして快く迎えて下さった事を感謝いたします」


 先輩は、いつもののんびりとした口調が嘘のようにハキハキと挨拶をしている。俺も頭を下げた。


 これからしばらく俺たちはこの村のお偉いさんの家に泊まるらしい。先輩は村長の家に、俺は村長が一番信用している部下の家に行くように言われた。



****


「お初にお目にかかるザマスニャ。わたくしはここの夫人のタマザマスニャ」

「は、初めまして。ジョンです。これから数日間よろしくお願いします」


 俺を迎えてくれたのは、先ほど子供を守ろうと俺に威嚇してきた女性だった。


「挨拶はていねいザマスねニャ。くれぐれもわたくし達の生活の邪魔はしないで欲しいザマスニャ」

「は、はい。わかりましたニャ」

「あ、あなたはわたくしを馬鹿にしているザマスねニャ!」


 つい、『ニャ』がうつってしまった俺に、タマさんはヒステリックに怒鳴りつける。


「いいザマスニャ? わたくしたちは確かに獣人ザマスニャ! こうやって口調も変わっ ているのは分かっているザマスニャ! でも真似をするのは許さないザマスニャ!」

「は、はい。ごめんなさい!」

「分かればいいザマスニャ。夕食は六時ですニャ。遅れないようにして欲しいザマスニャ」


 そう言ってタマさんは颯爽と部屋を出て行く。


 前途多難だ。こんな風に警戒されて研究なんか出来るのだろうか。心配になってくる。



****


「みみぃ、みぃ?」


 可愛い。つい顔がほころんでしまう。


 今、俺にじゃれついているのはタマさんのお嬢さんのモモちゃんだ。モモちゃんはまだ小さいので獣人の共通語を喋れない。


 村長さんに聞いた話では、獣人というのは鳴き声だけで意思の疎通が出来るようだ。他の種類の獣人や俺たち人間とは意思の疎通が出来ないのでこういった共通語を作ったらしい。先輩はそれが人工言語である事を初めて知ったらしく、楽しそうにメモしていた。普通はそんな事をさらっと教えてくれないらしい。


 彼女が興奮する様子に村長さんも秘書さんもびっくりしていたので、彼らには普通の事なのだろう。


「みみみぃ、みぃ!」


 ねぇねぇ遊ぼう、とでも言っているのだろうか。俺には猫語は分からない。


 どう答えたらいいのか分からず戸惑っていると、モモちゃんはぷいっと横を向く。そうして別のところによちよち歩いていった。どうやら俺が遊んでくれないと判断したらしい。


「みみぃ!」


 そうしてモモちゃんが向かったのは俺のカバンの所だった。器用にカバンを開け、中身を楽しそうに取り出して行く。虫眼鏡、ノート、筆記用具。


 次に彼女が取り出したのは携帯用のインク壷だった。慌てて取り上げる。


「だ、ダメだよ! それで遊んだらモモちゃんは真っ黒になっちゃうよ」

「みぃ? みぃ……」


 そんな寂しそうにしないで欲しい。まるで俺が悪いみたいじゃないか。


「みにゃぁーーーーー!」


 俺がインク壷を死守していると、モモちゃんのひときわ高い歓声があがる。

 それを見て、俺の顔がひきつる。別にモモちゃんに実害があるものじゃない。それが猫じゃらしだったからだ。


「み! み! みみぃ! みぃ!」


 思い切り楽しそうに猫じゃらしで遊んでいる。確か、ネコ科の獣人は猫じゃらしにプライドを傷つけられると先輩に聞いた。だから出さないというルールがあったはずなのだが、違ったのだろうか。


「みみにゃん! みぃみぃ!」


 それとも、これはこの子が仔猫、ごほん、子供の獣人だからなのだろうか。

 でも、とても微笑ましい光景だ。彼女は何も嫌がってないし、俺が持ってきたおもちゃでこのかわいい仔猫獣人が喜んでくれるなら俺も嬉しい。


 俺は大人しくモモちゃんの観察をする事にした。一緒に遊んで欲しいとモモちゃんがお願いしてきたので猫じゃらしを振ってみる。


「にゃにゃん。……にゃあああああああーーーーーーーーー! にゃにゃぁーーーーー!?」


 怒り心頭のタマさんに見つかるまで。



****


「いいザマスニャ? わたくし達を馬鹿にするのはやめて欲しいザマスニャ!」


 そうして俺はリビングでお説教を受けている。タマさんと先輩から。


 あれからモモちゃんはお世話係だという猫獣人に預けられていた。もちろん猫じゃらしは没収。お世話係の女性はそれを見て苦笑していた。


 俺の顔にはタマさんの爪で引っ掻かれた跡がついている。地味に痛い。


「どうして猫じゃらしを出しちゃったのー?」


 先輩がため息混じりに言う。理不尽だ。これでルール違反なのか。出したのは俺じゃないのに。


「俺は出してない! モモちゃんが俺のカバンを開けたんです、先輩」

「ちゃんと隠しておきなさいって言ったでしょー!」

「奥深くに隠したんですけど……」

「何を喋っているザマスニャ?」


 タマさんの怒りボルテージが上がった。無意識に俺たちの故郷の言葉で喋っていたからだ。タマさんには通じない。


「ごめんなさい。このおもちゃは出さないようにと言ったはず、と言ってたんです」

「にゃにゃんにゃん! ああ、いらっしゃいニャン……ってお前、何してるニャン?」


 先輩がタマさんに説明をしていると、この家の主人であるトラ猫の獣人が帰ってきた。確か名前はトラさんだったはずだ。


「おかえりなさいニャ、あなた」


 タマさんはさっきの態度が嘘のようにゴロゴロと喉を鳴らした。トラさんにべた惚れらしい。

 そうして二人はすりすりと頬をすり合う。ご馳走様、という感じだ。


「それで何してるニャン? にゃあああああーーーーーー!」


 突然トラさんが興奮しだした。俺と先輩とタマさんは驚いて彼を見る。


「これは猫じゃらしじゃないですかニャン! こ、これ借りていいですかニャン?」


 それはタマさんが事情徴収のために俺から没収した猫じゃらしだった。


「え? ど、どうぞ」

「ジョン!」


 先輩が怒る。でもこんな状態のトラさんを見てうなずけないのは結構辛いものがある。


「……え、えっと……嫌ではないんですか?」

「これを嫌がるのは、自分は猫ではないと粋がっている他の村出身の獣人だけですニャン。というわけで夕食までモモと遊んでるから。にゃにゃーん!」


 そう言ってトラさんは猫じゃらしを持ってモモちゃんの部屋に突進していってしまった。向こうからモモちゃんの嬉しそうな声が聞こえる。


 部屋には夫の言葉に唖然としているタマさんと、思わぬ展開にぽかんとしている俺たちが残された。


「えーっと……ルールって?」


 俺がつぶやくと先輩は頭を抱えてしまった。

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