魔女の決め事

@hinorisa

第1話

 旅人である彼がその森に足を踏み入れたのは、お人好しであるからとしか言いようがない。

 滞在していた町で、彼は些細なことで相棒と喧嘩をして、街を歩いていると張り紙が視界の隅に映った。内容は少女が一か月ほど前から行方不明で、最後に目撃されたのが町のすぐ側の森だとかいてある。

 宿屋の人に森はたまに遭難者の遺体が見つかるから近づくなと注意されたが、見たところ迷うような広さではないし、運が良ければ少女はまだ生きているかもしれないと思い、彼はその足で森に向かった。


 気づけば彼自身が森の中で迷っていたのだから笑えない。

「いや、あいつならきっと笑う……」

 宿屋でふてくされているであろう相棒の無駄に綺麗な顔を思い浮かべて、さらに気分が沈む。

 喧嘩の理由など些細なことだ。いつもの事で、慣れているはずだった。けれど、その時はなぜか許せなかった。

 彼はため息をついて肩を落とし、暗くなる前に森をぬけだそうと歩き始めると、僅かに人の声が聞こえ、腰ほどの高さの草をかき分けながら進む。

 薄暗い森をぬけた途端に広がった村の光景に、彼は唖然とした。

 木で作られた家が何件も並び、畑や井戸、鶏小屋迄あるのが見えた。

 彼が見た地図にはこんな所に村は載っていなかったし、そもそも縮尺された地図と比べても、森の広さが合わないと首を傾げていたところだったのだ。

 唖然としてその場に立ち尽くす彼の前に、一人の女性が姿を現した。

「こんにちは。道に迷われたのですか?」

 朗らかな笑顔を浮かべる女性に、彼は何とか止まっていた思考を動かして尋ねてみた。

「……ここは、どこでしょうか?」

 その問いかけに、女性は丁寧な口調で答える。

「ここは『村』ですよ」


 女性に招かれた自宅は、質素だが、最低限の家具に、暖炉や煙突もあった。

 勧められるままに椅子に座り、出されてたお茶を飲んで一息ついて、彼はようやく口を開いた。

「こんな所に村があるなんて知りませんでした。失礼ですけれど、この『村』は一体……?」

 戸惑いを隠せない彼の様子に、女性は優しく諭すような口調で言う。

「ここはここにあるけれど、普通の人は入ることのできない所、です」

 視線を感じて彼が窓の方を見ると、外からのぞき込んでいた村人たちが顔を引っ込めるのが見えた。

「すみません。大人の人がここに入ってくるのはとても珍しいので、少し警戒しているんです」

「……大人が珍しいと言う事は、子供は珍しくない、と言う事ですか?」

 その問いに女性は静かに頷いた。

「――というよりは、ほぼ子供です。それにそれも一年に数回あるかないかです。ない年もあるぐらいです」

 そう言いながら女性は立ち上がると、戸棚を開いて小袋が入った籠を取り出すと、一旦彼に断りを入れて家の外に出て行った。

 彼が耳を澄ませていると、子供達がはしゃぐ声と、女性がそれをたしなめる声が聞こえてきた。

 再び女性が家に入ってくると、子供たちの声が遠ざかるのが聞こえた。

「あなたも同ですか?クルミのクッキーです」

 勧められたクッキーを彼は礼を言って受け取り、口に入れて噛むとほろりと崩れて甘みが広がる。疲れた体には嬉しい。

「話の続きですが、ここにたどり着くのは子供がほとんどで、あなたのように大人の場合は、……何かが足りない人の場合がほとんどです」

「……足りない」

 その言葉が頭の中に響き渡り、暗い表情を浮かべる彼に、女性は焦った様子で頭を下げる。

「すみません。不躾なことを言ってしまって……。気を悪くされましたか?」

「……いえ、そうではないのです。この森に入る前に、旅の相棒と喧嘩した時に、同じことを言われました」

 相棒は彼が良く面倒ごとに巻き込まれることを心配していた。いつもは放任主義なのだが、たまに過保護になる時がある。その時もそうだった。

「お前は、人として色々と足りない。欠落しているんだと」

 彼はそう言いながら、自分はどうして初対面の人に、こんなことを口にしているのだろうと疑問に思った。

「子供というものは、たくさんの可能性を持っている分、とても脆くて、人として不完全です。だからこそ、そういったものに付け込まれやすい。大人になれば安定して、そんな事も無くなるのですけど」

 優しく微笑む女性の顔は、慈しみに満ちていて母性を感じさせた。

「けど、あなたは違う。本来は人が大人になった時には持っている物を得ることができなかった。……とても純粋。それ故に、脆い」

 その言葉に彼は押し黙った。

「……話が長くなってしまいましたね。きっと、あなたには考える時間が必要なのでしょう。もうすぐ日が暮れます。良ければ一晩泊まっていかれては?」

 その申し出に、彼は迷子が途方に暮れたように頷いた。


 せっかくだからと女性は彼に村の中を案内してくれた。といっても、村は見渡せるほどの広さしかないのだが、生きていくのに必要最低限の物はそろっているようで、生きていくうえでの不自由は無いようだった。

 何より、村にいる人たちは穏やかな表情で、みな笑顔で女性に話しかけてきた。

 彼が見ただけだったが、いたとしても約二十数人という程度で、そう多くはないだろう。迷い込むのは子供といってはいたが、老若男女が存在しているようだった。

「お話終わったの?」

 先程中を覗いていた子供たちが、女性の姿を見つけて駆け寄ってくると、話しかけたり、手をつないだりと楽しそうだ。

「お兄さんも、ここに住むの?」

「いや。森に迷っただけだし、外に相棒を待たせているんだ」

 彼は子供の相手は慣れているので、身をかがめて視線を低くして微笑みかける。人見知りとは無縁らしい子供たちの相手をしていると、畑仕事をしていた別の女性に呼ばれて走っていく。

 それを目で追っていると、子供の一人が、木陰で一人で本を読んでいた子供に駆け寄るのが見えた。遠目にだったが、その子供の手に包帯が巻かれているのが見えた。

「先程、子供が多いと言いましたが、ただ迷い込んだだけの子供は数日以内には家に帰します」

 怪我をした子を見る女性の横顔は悲しみに染まっている。

「ここにいる人たちは、みんな何かから逃げて来た者たちなんです。ある時は飢えから。ある時は戦火から。ある時は暴力から」

 彼は行方不明の子供の特徴が、怪我をした子供と一致することに気が付いた。

「あの子は、最近ここに来た子です。大半は服に隠れて見えない所ばかりでしたけどあざだらけで。あの子は親から逃げて来たんです」

 怪我をした少女が小さく笑って、呼びにきた子と手をつないで歩くのが見えた。

「そうして出来たのがこの村なんです。逃げてきた子供がそのまま住んで、夫婦になって、子供ができる。……出ていく人もいますけれど」

 夕日が森の奥に沈むのを眺めながら、彼は町に残してきた相棒の事を思い出していた。

「――私は、おいていかれるばかり」

 その呟きは、薄明とともに消えて行った。


 彼が物音で目が覚めると、女性が小走で明りの灯った別の家に駆け込むのが見え、同じ様な人が何人かいたので、通りがかりの人に尋ねてみると、あの家の老人が無くなったのことだった。けれど、子や孫に囲まれて大往生で穏やかなものだったと言われた。

「……けど、魔女様は悲しいだろうな。一番長い付き合いだったし」

 そういうと村人は色々と準備があるからと、その場を後にした。


 朝になると、女性が朝食を用意していてくれたので、彼は昨晩の事を尋ねてみた。

「……とても失礼なことを尋ねますが、魔女さんはおいくつなのですか?」

 そのぶしつけな質問に、魔女は怒るでもなく、寂しそうな微笑みを浮かべる。

「さあ。わかりません。……誰かから聞いたのですか?」

「はい。昨日、この『村』から出ていく人もいると言いましたが、その人たちはどうなったんですか?」

 迷うはずの無い森で遭難者が多いという話。

「この『村』には一つの決まり事があるんです。出ていくのは自由だけれど、ここを出た大人は二度と『村』に入ることは出来ない」

 若者の中には、村を窮屈に思うものもいる。そうして出て言った若者たちの中には、この村に戻ろうとしたものもいるだろう。

「この村は、とても優しくて暖かい。なぜならば、傷つけられた者たちが集まってできた村だから。みんなが痛みを知っている。だから、他者にも優しくできる。けれど、この村で生まれ育った人たちは、そういった痛みを知らずに外に出て行ってしまう」

 痛みを知らない者が、痛みばかりの世界に出ていけば、どうなるだろう?子供のように純粋さだけで、外の世界を生きて行けるだろうか?

「外の世界で苦しんだ人たちが、優しさに満ちたこの村に戻ろうとしても、決して戻れない。優しい夢から覚めれば、そこにあるのは現実」

 迷うほどの森でもないのに時折出る遭難者。戻ろうとしても戻れず、嘆きのまま歩き続けて、そのまま朽ちた人たち。

「残酷だと思いますか?」

 感情を押し殺した魔女の質問に、彼は首を横に振った。

「村を守るためには必要なことなのでしょう。大人という外のルールを入れない。だからこそ、この村は優しいままで終われる。――とても、優しくて、残酷なルール」

 不意に女性は何かに気が付き、母性に満ちた微笑みを浮かべる。

 それを見た彼は思わず呟いた。

「……あなたは、とても優しい。だからこそ悲しい」

「あなたが、此処に入れた理由がわかりました。あなたは欠落者であり、彼とともにあるから」

 その言葉で何かに気が付いたのか、彼は女性にお礼を言って家を後にするとすぐに見つけた。

 村と森の境界で待っていた相棒は、気まずそうに謝罪を口にした。

「言い過ぎて、悪かったよ。もしかして、帰る気が無いんじゃないかと……」

 迎えに来てくれた相棒に彼も素直に謝罪する。相棒に促されて振り返ると、そこには魔女と子供達が微笑みで見送ってくれていた。

 彼は同じように微笑み返して手を振り、相棒と共に村を後にした。

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