3話 馬鹿の我儘
大分、時間が掛かっているな。
でも、突然来たのだから仕方ないか。櫻にだって心の準備があるだろうし。
そんな事を思っている時、玄関のドアが開き、残像すら見た、本物の櫻が俺の目に映った。
「……わざわざ、着替えたのかよ」
「だって……」
少し不貞腐れた様な顔で視線を逸らす櫻。
櫻は、ゆるめの白い襟付きのシャツに、モスグリーンのミニボトムを履いていた。
明らかに部屋着じゃないその格好に俺は、別に着替えなくてもいいのに、そう思ってしまう。
「ついてきて」
そう言われて、俺は言われるまま櫻の後に続いた。この辺りの地理には詳しくないし、話せる場所にいこうと言う事なんだろう。
その場所に着くまで、櫻は黙ったままだった。
それは俺も同じで、声を掛ける言葉がまだ見つからなかったし、櫻と久し振りに会えて一緒に居る事だけで、妙な満足感があったからかも知れない。
着いたその場所は、公園。と言うには余りに小規模で、遊具なんかも申し訳なさ程度にしかない。当然人もそんなに来ないのだろう。
一つしかない二人掛けのベンチに櫻は座った。俺もその隣に座る。
――暫く、お互い沈黙が続いた。
櫻本人と会えて、元気な姿とは言えなくても、やはり俺にはそれなりに安堵感がある。
とは言え掛ける言葉は依然手元に無い。
隣の櫻を横目で見ると。俯き、両手を握っているのが見えた。……来ておいて悪いが、策は無し。
俺が何も言わないのに痺れを切らしたのか、沈黙に耐えかねたのか、櫻が口を開いた。
「どうして………来たの?」
囁く様な声だったが、しっかりと俺には聴こえた。ここ数日、思い出す事しか出来なかったその声だ。聞き逃す訳がない。
「……何か言ってよ」
思いに耽り過ぎたのか、櫻から返事の催促を受けた。
「ああ、どうしてだと思う?」
「……何それ、私の真似?」
何も思い付かなかったから出た言葉は、櫻の返して来た不満そうな声で思い出した。
そうだ。別れたあの日に俺が櫻に投げつけたオウム返しを、自分でしてしまったからだ。
取り敢えず、櫻の解釈に乗ってみた。
「そうだよ」
「…………ムカつく」
『ムカつく』。思い出す限り櫻から聞いた事がない台詞に感じた。でも、そんな不確かな事はどうでもいい。明らかに不満げに、その感情を俺に伝えてくれた事が嬉しかった。
「そんな風にしてくれれば良かった。……だけなんだ」
俯いたままの櫻に顔を向けて、その横顔を見つめながら俺は、きっと嬉しそうに言ったんだと思う。最後の台詞は窄んでしまったけれど。
櫻は、一瞬身体を硬直させた様に見えた。そして、今も見つめる俺に向き直り、声を上げずに、震えながらその綺麗な瞳に涙を浮かべ……溢れ出したそれは櫻の頬を伝い零れる。
俺を見るのが辛くなったのか、また櫻は俯き……今度は声を抑えきれずに、泣いた。
肩を震わせて泣いている櫻に、俺は何も言わず、震える櫻に触れる事もしなかった。
今は、泣かせてあげるのがいい。自然とそう思ったから……。
少しずつ肩の震えが収まり、それでも少し嗚咽混じりになりながら、櫻は言葉を搾り出した。
「……ごめ……んね………。こう……き……ごめん……」
――――櫻の謝っている理由は、俺が思っている事なのか。それとも、他にも俺の知らない理由があるのか。……それは、櫻がもう少し落ち着いてから聞けるんだと思う。
肩の震えも止まり、落ち着いてきたのか櫻は深呼吸をしながら上を向き、それから紅くなった瞳で俺に顔を向けて、
「もう……謝ったからね!」
「……ああ」
その瞳にはまだ弱々しさが伺えたが、表情は、『もう大丈夫』。そう言っている様に見えた。
それから櫻は、前を向きながら話し始めた。
「前に、付き合ってた人が居たんだ。相手は一つ年上の先輩」
遠くを見る様に話す櫻は物憂げな表情で、内容は……少し俺には聞き辛そうだったが、櫻と俺が別れた原因と関係があるのは直ぐに分かった。
「私は初めての恋人に夢中で、今になって思えば……自分の事しか考えてなかった。同じ中学校だったけど学年は違うし、いつも一緒に居れる訳じゃないから。私と居ない時には当然同級生の女の子と一緒。それで些細なことにも嫉妬したり、我儘言って……振られちゃいました。……あはは、自業自得です」
……乾いた笑いを漏らす櫻。
正直、信じられない。……俺と付き合っている時の櫻からは考えられない話だ。
我儘なんて言われた覚えが無い。
何だか少し、悔しい様な……。
「……そうか」
「あ、でも、勘違いしないでね!孝輝に我儘言わなかったのは同じ失敗したくなかったからで、好きじゃなかったからとかじゃないから……」
何だか、気を遣われている様に感じてしまうが……。
「別に、いいよ」
「ほ、ホントだよ!?」
……いいって。余計惨めになる。
と言うか、俺が少し不機嫌そうにしたのが良くないな。とは言っても、気分は良くなかったけど。
相変わらず小さい男だと、自分に落胆する。
「そ、そりゃ告白された時はちょっと気になってたぐらいだったから、付き合うか迷ったけど……」
「……あ、そう」
ハッキリ言うよな……。確かに櫻が迷っているのは俺も気付いていたけれど。
「で、でも!付き合ってからはどんどん好きになったし、だから別れるのも辛かったよ!?」
……何だろう。そう、櫻は……下手くそだ。
今まで櫻は本当の自分を隠していたから気付かなかったが、素の櫻は、ちょっと呆け気味だな。
「櫻。お前、面白いな」
「――なっ!?……だ、だから嫌なの!馬鹿にして……!」
真っ赤な顔でプイと顔を背けるこの女の子は、本当に櫻なのか?俺はそんな疑問すら浮かんで来た。
……いや、違うな。俺が付き合っていたのが、櫻じゃなかったんだ。
そんな事を思いながら、ふと櫻を見ると、恥ずかしげにしていたその顔は、今度はまた昏く沈んでいた。
「孝輝に振られた日から、いっぱい考えたよ。でも、中々上手く整理出来なくて……。前みたいに付き合ったらまた振られる。それが怖いから考輝のして欲しいって思う事してたのに、なんで!……って。だって、振られるのが本当に怖いくらい、好きになってたから……」
――そうか、そうだよな。
俺は苦しんでいた。自分の意思の無い、人形の様な恋人に。でも、櫻も理由があってそうしていて、苦しんでいたんだ。
何も考えない人間なんかいない。……当たり前だ。
そんな事も気づいてやれなかった。
「今日会いに来てくれて、孝輝と話して分かった。別人になって付き合うなんて失礼だよね。変わる事はきっと必要だけど、自分じゃなくなって好かれたって長続きしない。今は、思うんだよ? あの時……キスしなくて良かった。別人のまま、考輝とそんな事しなくて、本当に良かった」
……おい孝輝(ばか)。櫻(この子)が人形に見えるかよ?
俺は……本当に馬鹿だ。
「振られて当たり前だって思ったよ。……ゴメンね、もう大丈夫。ちゃんと明日から学校も行くよ!……だから、心配しないで……」
櫻は、前向きに……寂しい顔をしていた。
何だよ……俺は今更。
終わらせたのはお前だろ。
自分勝手な事を考えるな。
このまま消えてやれよ。散々傷つけたんだ……。
何だよお前は……終わらせたのに、どうしても……終わらせたくない。
なんて、我儘なんだろう。
「別人、だったんだろ?……じゃあ、俺と櫻に関係ないよな」
「……解んないよ。私、馬鹿なんだから」
不思議そうに首を傾げる櫻。俺は、言うのか……よ。
こんな事言う資格あるのかよ。
「始まってもなかったんだ、始めてもいいだろ?」
「どういう、こと?」
「俺達は同じ学校のクラスメイトだ。俺はやっと喜多川櫻と出会えた」
俺が何を言いたいのか不安げに見つめる櫻に、女々しく我儘な俺は吐き出した。
「最初からやり直そう。クラスメイトから」
唖然とした様に俺を見る櫻。
好きなだけ見てやってくれ、この俺(ばか)を。
……でも、ちょっと見過ぎ……だぞ。
そろそろ、馬鹿を言った自分が恥ずかしくなる。
それに気付いたのかは分からないが、櫻は悪戯な顔をして、それから微笑み、
「後悔するよ?……本当の私は、ヤキモチ焼きなんだからね」
―――そう言った喜多川櫻は、胸を掴まれる程可愛かった。
ヤキモチ焼きでも、我儘でもいい。
櫻本人となら……。
また初めからだ。
今度は俺が振られるかもな。
それはお前…………自業自得だろ?
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