おもいで
穏やかで頼りがいがあるディレクターの父。
優しくて強かなモデルの母。
人気若手俳優の兄。
血統書付きのイヌとネコ。
立派な一軒家。
母譲りの綺麗な容姿。
父譲りの器用さ。
尽きることがない仕事。
両親の影響によるある程度の約束された人気。
気にかけてくれる学校の同級生や先輩。
ずっと一緒に居てくれた幼馴染。
あの頃の私はすべて自分のものだと思っていた。
世界が自分を中心に回っていると信じていた。
「カット!レイラちゃん、もう少し感情を入れてもう一度やってみようか」
「手に集中して足の動きが疎かですよ、杠葉さん」
徐々に私だけダメ出しをされることが多くなっていった。
どうして?この世界は私のためにあるのに?
「杠葉?ああ、あの二世タレント《親の七光り》?」
「あんなにぶりっ子してウケる。良いように利用されてるのわかってないの?」
「マジむかつく。あの我儘お姫様」
「八雲、高校卒業したら引っ越すって」
雪になれなかった雫が地面に叩きつけられる音が耳に残っている。
「え……?」
お兄ちゃんから聞いた幼馴染の
幼稚園の頃からずっと一緒にいた幼馴染兄弟のお兄ちゃん。
弟の銀くんが小学校の頃に引っ越した時は、会おうと思えはすぐ会えると思っていた。
ちょっと会う頻度が減るだけ。それだけだと思っていた。
実際は違っていて滅多に会うことはなくなった。連絡も互いに用事がある時にしかしないタイプなのでしていない。
引っ越しはとても寂しいものだと私は学習した。
「日にち決まったら教えるから一緒に見送りに行こうな」
既に成人して車の免許も持っている8こ上のお兄ちゃんにとってみれば"すぐに会える"距離に引っ越すのかもしれない。
特に気にするわけでもなく仕事に出ていく。
残された私は初めて仕事を仮病で休んだ。
私は幸せ。私は恵まれている。私の周りは大好きな人がいっぱいいる。
だから、私だけ演技をやり直しさせられても、陰口を言われても、物を隠されたりハブられたりしても平気だった。
だって私は周りから愛されているから。
そう思い込みたかった。
現実を見る勇気がなかった。
世間の評価が全てなこの職種。
ずっと周りから下駄を履かされて私は滑稽に演じてきた。
自分の実力も分からずに嘘と皮肉がめり込まれた賛辞を全て信じて、自分は凄いんだって勘違いしていた。
本当は小学校半ばからなんとなく感じていたのに、感じないふりをして、見ないふりをして。
だって、私は子役だから。プロの演じる人だから。
演じていれば自然とその役に入り込んで、あたかも自分がその役と同一人物になったように錯覚するように。
私は、私が『すべてに恵まれたこの世界で一番幸せな少女』を演じてきたことに気が付いた。
「それじゃ、俺は行くね。またな、兄貴、レイラ」
春の陽気、というにはまだ肌寒く薄い雲が空に浮かぶ某日。
荷物は既に引っ越し先に送った八兄をお兄ちゃんと見送りに駅のホームにいた。
「行ってらっしゃい!また絶対に遊ぼうね!」
にっこりと笑顔で小さな袋を手渡す。
「これは?」
「私の、八兄頑張れって気持ち!」
お別れだから、とか、私を忘れないでね、とかは恥ずかしくて言えなかった。
すっかり板についた"幸福少女"の笑顔ですごく悩んで決めたスノードームの話をするとお兄ちゃんが「俺もレイラからプレゼントがほしい」と拗ねはじめる。
それを八兄と笑っていたら電車の発車するベルが鳴り響いた。
八兄にも演技をしてしまった。
その罪悪感がすごくもやもやした。
「レイラ、泣くかと思ってたよ」
「泣か……ないよ、何歳だと思ってるのお兄ちゃん」
「レイラ」
「なに?」
「……苦しいなら泣いていいんだぞ」
「……っ苦しくないって。何言ってるの」
「……苦しいだろ泣いていいんだぞ」
「……!」
八兄を見送って兄妹でご飯を食べて家に帰る車の車内。
お兄ちゃんの「苦しいだろ」という断言が八兄の事だけではなくて最近の私が感じているもやもやを指しているものだと思うと胸が苦しくなって目から涙が零れだした。
変わらぬ顔で車のハンドルを握り前を向いて運転しているお兄ちゃんにバレないように声を押し殺して泣いていない演技をする。
絶対に私の演技はバレない。
でも、お兄ちゃんも演技をする俳優だということに頭が回らなかった。
お兄ちゃんは私が泣くと真っ先に駆けつけてくれるし守ってくれる私のヒーロー。
必死に私の涙を止めようと色々なことをしてくれた。
でも、私が"泣いていない演技"をしていたから、お兄ちゃんも"妹が泣いていない演技をしていることに気がつかない演技"をしていたんだと思う。
数カ月後、私たち兄妹は両親の勧めで事務所を変えた。
昔からのしがらみが少ない新しい事務所。
初めてくる場所、見慣れない顔。
俳優女優、歌手、タレントだけではなくYoutuber、作曲者、ゲーム実況者など様々なパフォーマーを支援する方針なだけあって私にとって新しい世界だった。
「俺はお前の兄の友人の
なにより衝撃だったのは初対面で言われた言葉だった。
「凰、まずはじめに妹に言いたいことがあるから会わせろって言っていたと思ったら何言ってくれてるんだよ……!」
「俺が思ったこと」
「そうじゃなくてだな……」
「周りの望む姿を演じるのはステージの上だけでいい。あとはお前自身でいろ。さもなくば演技の幅が狭まって苦しいだけだ」
凰さんの言葉は重くてまっすぐな視線が痛かった。
私がどんな表情をしていたか分からなかった。
お兄ちゃんは私に「気にするな」と言って凰さんを連れていった。
「ごめんね~。凰、前々から気にしていたみたいで、レイラちゃんのこと」
海外の有名歌手のバックダンサーも務める
「私は久賀凪。この事務所でダンサー兼、凰ともうひとりとアイドルとしてデビューしてるの」
世界進出している人も所属しているという驚きと、さっきの凰さんの言葉の衝撃で私はあいまいな笑みを浮かべていた。
「そうだ、一緒にこのビルのカフェテリア行こう!ドリンクや簡単なケーキがあるの」
私の手を引いて凪さんはエレベーターに向かう。
うまく言葉に出来ないけれどここには"女優の杠葉レイラ"として私を見ている人が居ないことが嬉しかった。
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