番外編 聖夜祭にて(後)
避けられ続けて、日々が過ぎ。
とうとう、ふたりに逃げ切られ、聖夜祭の日になった。
「はぁ……」
ヴァイナスの口から、ため息が零れる。
(もう、日も暮れてしまったわね)
今日は聖夜祭だというのに、浮かれる人々とは正反対にヴァイナスの心は沈みっぱなしだった。
セレストは、朝からどこかへ姿を消しており、ようやく捕まえたクロムは巧みにヴァイナスの問いかけをはぐらかし、逃げていく。
侍女に聞いてみても、笑顔で「お待ちになって下さい」と言うだけ。その侍女も、先程席を外してしまった
朝から、数えるのも馬鹿馬鹿しい程のため息を吐いていたのだが、またすぐにため息が出る。
(……なんなのかしら、これ)
窓の外には、無数の明かりが見える。
イグニスでは、こうして沢山の明かりを灯して、新しい年を迎えるのだと聞いていた。
そしてその瞬間は、大切な人と共に過ごすのだと。
なので、ヴァイナスは当然セレストと過ごすつもりだったのが――。
(まさか、結婚一年目にして放置されるとは思わなかったわ)
これほど周到に避けられると、少しだけ捻くれたくもなる。もっとも、捻くれても相手がいないのでどうしようもない。
(去年は――城にアイリス目当ての求婚者たちが山と押しかけて大変だったわね……)
ノーゼリアでは聖夜祭は、沢山の人々が集まり、歌い踊り、過ごす。
そして、贈り物を交換し合うのだ。
なので去年は、アイリスの贈り物を狙った者たちの間で熾烈な争奪戦が起こった。その上、彼女の贈り物は仕組んだわけでもないのにヴァイナスの手に渡り、無数の嫉妬の視線を食らう羽目になったのだ。
あれは大変だったと思い出し、ヴァイナスは小さく笑った。
だが、その笑みもたちまち消えてしまい、彼女はまた、ため息をこぼす。
こんな日に、一人ぼっちで過ごしている事が、なんだかとても――。
「……寂しい……」
ぽつりと呟いて、ヴァイナスは項垂れた。
――コンコン。
控えめに扉を叩く音が聞こえたのは、その時だった。
侍女もいないので、ヴァイナス自身が扉を開けると、そこにはセレストが立っていた。
彼は、大きな目をさらに大きくしてヴァイナスを見つめている。
「セレスト様?」
何を驚いているのだろうと、ヴァイナスが疑問に思い呼びかけると、彼は難しい表情で「妻殿」とヴァイナスに呼びかけた。
「なんでしょう?」
「貴方はなぜ扉を開けた」
「いま、部屋には私一人だったので……」
「……外にいるのが、僕だったから良かったものの、他の誰かだったらどうするんだ。不用心だ」
なんだそんな事かとヴァイナスは、苦笑した。
「だって、セレスト様だと思ったので」
「――え」
きょとんとした顔でヴァイナスは見上げたセレストは、言われた意味がわかったのか徐々に顔を赤くして――俯いた。
「……それなら、いい。……いいけど……! でも、今度からは、僕だと思っても確認してくれ。その方が、安心だから」
「はい、分かりました」
ヴァイナスが承知すれば、セレストはほっとしたように表情を緩ませ、部屋の中へ入ってきた。
「お茶を入れましょうか?」
「いや、いい」
「それじゃあ、何か持ってきてもらいましょうか」
「いい」
しかし、何も出さない訳にはいくまいとヴァイナスはあれこれ考えた。
「――ええと、それなら……」
「妻殿、何もしなくていいから、ここに座ってくれ」
しかし、新しい提案を口にするより早く、セレストがヴァイナスに椅子に座るように促す。拒否するのもおかしな話なので、ヴァイナスは素直に彼に従った。
「その、だな」
少しだけいつもより目線が近くなったセレストは、落ち着きなく視線をさまよわせ、口ごもった。
「まず始めに、貴方には謝らなければいけない」
「謝る?」
「……最近、僕は貴方を避けていた」
「そうですね」
怒っているだろうか、と済まなそうな声で言われると怒るに怒れない。
分かっていてやっていたら確信犯だし、無意識だとしたら末恐ろしい。どちらにしろ卑怯だなと、ヴァイナスは苦笑するしかない。
「実は、ちょっとだけ怒っています」
「貴方の怒りは、至極当然だ」
ほんの少し困らせてやりたい。そんな意地悪な気持ちでヴァイナスが肯定すると、セレストは真面目な顔で頷いた。
正直、困り顔でオロオロするくらいの軽い反応を想像していたヴァイナスは、面食らう。
「え? あの、ちょっと怒っただけですよ? 怒りとか、そんな大層なものではないですから。ほっとかれて寂しかっただけで――」
「寂しい? 妻殿は、寂しかったのか?」
予想外の事態に、ヴァイナスの方がオロオロとした困り顔で言わなくてもいい本音を零してしまった。しまったと思った彼女が、不自然な所で言葉を切っても既に遅い。
セレストはヴァイナスの言葉を、正確に拾っていた。
いい年をして寂しいなどと零してしまったヴァイナスの顔は真っ青。
対してセレストの表情は、キリッとした真剣なものだった。
「すまない、妻殿。僕は、貴方を喜ばせたかったくせに、こんな態度を取れば貴方がどう思うかを失念していた」
「私を喜ばせる……?」
「うん。本で調べたんだ。ノーゼリアの聖夜祭では、贈り物をするんだろう? だから、これを……」
セレストは小さな箱を差し出した。
「僕から、貴方へ。贈り物だ」
「え?」
「開けてみてくれ」
ヴァイナスが、そっと蓋を開けてみると中に入っていたのは、細い指輪だった。
「これ……」
「受け取って欲しい」
「――ありがとうございます、大切にしますね」
「ダメだ。大切にしまっておいたら、ダメなんだ」
わざわざ隠れて何をしているかと思ったら、自分の故郷の聖夜祭を調べてくれていたのかと、贈り物を手にヴァイナスは、心からお礼を口にした。
しかし、セレストの表情は晴れない。
「これは、貴方に身につけてもらわなければ、意味が無い。――だって、貴方の国では、そうなのだろう?」
そうなのだろうと問いかけられ、ヴァイナスは目を瞬く。
(身につけてなければ意味がない指輪? そんなの、まるで……)
もしかして、とある答えにたどり着いたヴァイナス。けれど、それを口にする勇気はなかった彼女に代わり、セレストが続けた。
「ノーゼリアでは、夫婦の誓いを立てる際、指輪を贈る風習があると本に書いてあった。――それが、祝福されて結ばれた証しだと」
ノーゼリアで結婚といえば、指輪と結びつくほどに、それが自然なことであった。
しかしイグニスでは、そういった儀式めいた風習はないようだったので、ヴァイナスもあえて触れずにいたのだが。
「手を出して。僕がはめる」
わざわざ指輪を準備して、こんなことを言い出すということは、セレストは色々と調べてくれたのだろう。
そう考えると、胸の奥が温かくなり、ヴァイナスは微笑んだ。
「ありがとうございます、セレスト様――でも」
「ん?」
「こんな素敵な贈り物を頂いたのに、私は何も準備していないんです……」
これではあまりに釣り合いが取れない。
いじけていないで、自分も少しでも彼を喜ばせるような贈り物を準備しておけば良かったのに。
申し訳ない思いで謝罪したヴァイナスに対して、「そんな事か」とセレストは笑った。
「僕はもう貰っている」
「え?」
なにも準備していなかったのだから、あげられるはずがない。
ならば、一体どういうことだろう。
セレストは、困惑しているヴァイナスの指に指輪をはめると、その手をきゅっと握った。
「僕は、すでに貴方を貰っている。――僕の宝物。……だから、他にはもう、なにもいらないんだ」
顔を真っ赤にして、それでも真っ直ぐに視線をそらさず告げたセレストを、ヴァイナスは衝動のまま抱きしめた。
「あぁ、もう! 可愛いこと言って……!」
「うわぁっ! か、可愛いって言うなと、あれほど……!」
「私だって、もう充分すぎるくらいのものを、貴方から貰っていますよ、セレスト様」
自分をこんなにも幸せで、優しい気持ちにしてくれるのは、世界できっとセレスト一人だけだとヴァイナスは感激して呟いた。
「全然足りない。僕が貰った宝物には、全く届かない」
「そんな事……」
「だから、僕は一生をかけて、貴方を幸せにする」
青い瞳が、決意を宿して語る。
「妻殿、僕は貴方から見ればまだまだ子供だ。夫として、頼りないところもあるだろう。だけど、ヴァイナスの夫は他の誰でもない……――この、セレスト・イグニスだと胸を張って言える、そんな男になってみせる」
誓いを立てるように告げたセレストに、ヴァイナスは頷いて微笑みかけた。
「――はい。楽しみにしております、私の夫君」
「うん!」
頬を赤く染めながら、面映そうに頷いたセレストは、約束だとヴァイナスの手を握る。
彼女の指を飾った指輪が、二人の未来を象徴するかのようにきらきらと輝いていた。
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