番外編 聖夜祭にて(中)


 なにかが、おかしい。

 ヴァイナスが、異変に気づいたのは寒気が増し始めたある日だった。

 おかしい。おかしい。おかしい。

 何がおかしいって、自分の夫であるセレストの様子がおかしいのだ。


 最近の彼は、どこかコソコソとしており、ヴァイナスから逃げ回っているように思えた。

 被害妄想だと一蹴してしまえれば良かったのだが、彼の忠実な護衛であるクロムまで一緒になって消えたり、はたまた追いかけるヴァイナスの邪魔をしてくるのだから、決定的である。


 なにかしただろうかと、ここ最近の自分の行動を省みるものの、身に覚えがない。


「う~ん……」

「なんだ、ヴァイナス姫。隅で唸り声を上げて……猛獣の真似事か?」


 一体どうしてだろうと悩む彼女に声をかけてきたのは、イグニス帝国の第一王子ゼニスだった。

 嫌な男に見つかった、これがヴァイナスの正直な心境だ。

 二人はとにかく相性が悪い。

 だいたいはクロムが仲裁に入ってくれたり、セレストの手前自重しあったりしているものの、ヴァイナスはゼニスやその両親に対して色々と含むものがあり、ゼニスもまた自分よりも歳上な弟嫁に思うところがあるらしく、二人が顔を合わせて友好的な雰囲気になったためしはない。

 セレストという共通項がなければ、目も合わせない相手だったかもしれない。


 そんなふたりが、こうして仲裁役も制御装置役も無しで顔を合わせればどうなるか――。


「義兄上こそ、そんなところに座り込んで何をなさっておいでですの? 道行く人を威嚇していらっしゃるのですか?」


 決まっている。嫌味の応酬である。


「どこぞの暴漢みたいですので、今すぐ改めたほうがよろしいかと思いますが」

「誰が暴漢だ。見て分からないなんて、お前の情緒は大丈夫か? うなだれているに決まっているだろう」

「まぁ! それは申し訳ございません、義兄上! どこからどう見ても、他人に難癖つけて絡む類の人間を忠実に真似ているように見えましたわ」

「嫌味な弟嫁め。今は、お前の相手をしてやる気分ではない。クロムに撒かれて頭を抱えているんだ。落ち込んでるんだから、察しろ」


 何が悲しくて、この男の心境をいちいち察しなければならないのだと、内心舌を出したヴァイナスだったが、言われた言葉に引っかかりを感じて「あれ?」と首を傾げた。


「撒かれたとおっしゃいましたか? まさか、セレスト様とクロム、ふたり一緒にですか?」

「ああ、そうだが……まさか……!」

「奇遇ですわね。……私も、先程ふたりから逃げられたばかりです」

 

 常に反目しあっていた二人は、互いに驚いた顔のまま見つめ合った。

 

「……これは、怪しいな」

「クロムがついているのなら、滅多なことはないでしょう」

「あれは有能だからな。だが、コソコソする必要などあるか? ――他人に知られたくないこととなれば……剣術稽古が妥当か」

「なぜです? 隠れる必要はないでしょう」


 あの事件の後、セレストは剣術稽古を始めた。稽古相手はいつもクロムが引き受けていることも知っているので、今さらだろうとヴァイナスは思った。だが、ゼニスは分かっていないとばかりに、鼻で笑う。


「男というものは、努力している姿を女には見られたくないものなんだ。この程度は察しろ、添え物姫」

「ふふ、おかしな義兄上。なぜ、わたくしがわざわざ貴方の個人的考えを察し、あたかも総意のように受け止め納得してやらなければならないんでしょう? お言葉ですが、セレスト様は、普通に中庭でクロムと稽古をしていました。わたくしも、何度か見学させてもらいましたもの」


 ヴァイナスが反論すると、初耳だったのかゼニスが声を上げた。


「なんだそれは? 俺が稽古をみてやると言っても、セレストに拒否されたぞ……!」


 どうやら彼は、見学すらも許されていないらしい。本人もその事実に気付いたらしくガックリ肩を落としている。


「まだ稽古を始めたばかりですし、義兄上に見られるのは恥ずかしいのではないですか?」


 実際は苦手意識があるので、避けられているのだろうが、ありのままを指摘するには、床にしゃがみ込んだ第一王子の丸まった背中が、あまりにも悲しそうだったので、ヴァイナスは少しだけ言葉を慎んだ。

 だが、セレストに拒否されているのだと思い知らされたゼニスは、普段の尊大さもどこへやら、ぶつぶつと悲しげに独りごちている。

 

「……なぜだ、セレスト――やはり急ぎ過ぎなのか、俺は……!」


 ゼニスの周囲だけジメジメとした空気になってきた――そんな錯覚を覚えたヴァイナスは、落ち込む背中に「お大事に」というおざなりな一言を投げかけると、そそくさとその場から逃げ出した。

 結局、夫とその護衛がコソコソしている理由は、分からないままだった。

聖夜祭を迎えるその日まで、全く意図が掴めなかったのだ。

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