番外編 聖夜祭にて(前)
木々も葉を落とし、風も冷たさを帯びてきた、ある日のこと。
妻を迎えてからは、書庫にこもる時間も減ったはずのセレスト王子だったが、ここ数日間は、なぜか薄暗い書庫の奥にこもり、熱心に厚い本を読んでいた。
それまで、パラパラと一定の速度だった紙をめくる音が、ぴたりと止まる。
あるページを開いたまま、何度も何度も視線を行ったり来たりさせた彼は、ついに目当ての項目が見つかったのかガタリと勢い良く立ち上がった。
「あった……! 見つけたぞ、これだ!」
以前だったら考えられないような、嬉しそうな声を上げたセレスト。その顔には満面の笑みが広がっている。
彼は笑顔のまま、大切そうに本を抱えると、出入り口に向かい走り出した。
しかし、扉の前で一度立ち止まる。
ひょっこりと半開きの扉から顔を覗かせ、まるで誰かに見つかることを恐れるように、きょろきょろ左右を見回した。
「よし……!」
そして、周囲に誰もいない事を確認したセレストは、ふふっと小さく笑みを零し、一目散に廊下に駆け出していったのだった。
彼の姿が見えなくなると、頃合いを見計らったように、セレストが駆けていった方とは反対側――丁度書庫からは死角になっている通路の角から、二人の青年が顔を覗かせた。
クロムとゼニスだ。
「なんだ、あれは?」
不審そうな声を上げたのは、イグニスの第一王子であるゼニス。彼の表情は声音と同様に、弟の不可解な行動を訝しんでいた。
対して、完全に付き合わされただけだろうクロムの表情は呆れている。
「そんなに気になるなら、コソコソ隠れたりしないで、普通に聞けばいいのに」
親友から、うんざりした口調でもっともな意見を口にされたゼニスは、恨めしげにクロムを睨みつけた。
「それが出来たら、こんな苦労はしていない……!」
「は?」
「“ご安心ください。兄上にご迷惑をおかけする類いのものではありませんので”」
「何だ、急に甲高い声だして?」
親友の奇行に、さすがのクロムも面食らった。すると、ゼニスはどこに誇れる要素があったのか、なぜか自信満々に言い放つ。
「セレストの真似に決まってるだろう! ……俺が正面からなにか聞いたとしても、絶対こう答えるに決まっている!」
後半など威張れる要素など何もないのに、どうしてこの男は無意味なまでに自信に溢れているのだろうか?
若干頭の痛さを覚えつつ、クロムは親友に対し率直な感想を伝えた。
「全く似てない。というか、真似と言うのがおこがましいくらいに気持ち悪い、ゼニス様」
「貴様、不敬罪で切り捨てるぞ」
ぎりっと睨みつけられ、クロムはひょいっと肩を竦める。
「それは勘弁していただきたいから、俺はセレスト様の護衛に戻りますかね~。……いつまでも、そうやって床にしゃがみこんで通路に睨み効かせてるなよ? 第一王子ともあろうお方が、楽しげに行き交う人々を恨めしげに睨めつけてたなんて噂が出ても、絶対に庇わないからな」
「お前は一言も、二言も多い男だな! さっさと行ってしまえ!」
「はいはい」
親友の怒鳴り声を背中にうけながら、クロムは飄々と歩きだす。
目ざといクロムは、先程人目を気にして走り去った主が、大切に抱えていた本の題目をはっきりと確認していた。
("世界の文化概論"……ねぇ。また、堅苦しそうな本だな。もうすぐ聖夜祭だっていうのに、今年も勉強漬けか?)
内心で呟いて、クロムは窓の外に視線を向けた。
城の庭園も、庭師達により飾り付けられている。城下に出れば、きっとあちらこちらの店が、他店に負けじと華やかに飾り付けられているだろう。
聖夜祭――かつて、神が長く続いた夜を払い世界に太陽をもたらしたという伝承から生じており、新しい年が来ることを喜び、一年を無事に終えることが出来たと神に感謝するという祭りだ。
聖夜祭は国や地域により、細かな部分に違いはあるものの、新しい年と過ぎていくとしに感謝する祭りという考えは変わらない。
一夜限りの祭りながら、誰も彼もが煌々と灯された明かりの中、浮かれ騒ぐ日だった。
子どもたちも、この日だけは夜更かしが許されているので祭りを心待ちにしている。クロムも幼い頃は少しだけ大人になった気分ではしゃいだものだった。
しかし、そんな聖夜祭が近づいているのに、自分の主はなぜにあのような小難しい本を抱えていたのだろうと首をひねった。それも、人目を避けるようにコソコソと。
(今年は、ひとりでこもってる場合じゃないと思うんだがなぁ)
去年までのセレストだったならば、歯痒いもののクロムも仕方がないという思いがあった。実際、セレストは見向きもせず、淡々と彼の日常を過ごしていたのだ。
しかし、今年は違う。
主を脅かすモノはなくなり、セレスト自身も大きな心境の変化を迎えた。
そう、去年までと違い、セレストは一人ではない。
だから、少しくらい子供らしく浮かれたって罰は当たらないのではないか――クロムだけではなく、誰もがそう考えていたはずだ。
にも拘わらず、セレストは浮かれてソワソワするどころか、なぜか開いたら三秒くらいで眠くなりそうな本を引っ張り出して、コソコソとしている。
(まぁ、悪いことじゃないとは思うけど……)
今のセレストには、一度転がってしまえば止められないと思わせるような、危うさがない。
クロムに剣の稽古をせがむようになり、同年代よりも小柄だった身長も年相応の成長を見せるようになった。
なので、クロムはこの状況をさして危ういとは思っていなかったのだが、過保護な兄はそうではなかったようで、クロムが閉口するほどに口うるさい。
「……小姑過ぎても嫌われるって言ってんのに、わかんない人だなゼニス様も」
呆れた口調でため息をつきながらも、クロムはセレストの部屋に向かうことにした。
一体どうしてそんな本を読んでいるのか、影で気を揉むよりも、直接聞いた方がはやいと判断したためだ。
そして、内容によっては、仕方がないからあの煩い兄王子に教えてやってもいいか――などと考えつつ、クロムは主の部屋に軽い足取りで急いだのだった。
◆◆◆
「失礼します」
「――ん? クロムか」
セレストは、案の定自室で静かに読書していた。
一見大人びた雰囲気。だがしかし、椅子に座ったセレストの足が、ぷらぷらと揺れている。
自室という気が安らぐ場所では、時折こうした子どもらしい癖がでるのだ。
今のは、セレストの気分が高揚していることを示すものだった。
だが、一体あの本のどこに、主の琴線に触れるものがあったのだろうかと、クロムは内心首をひねる。けれど、努めて普段どおりを装いセレストに近づいた。
「ずいぶん熱心ですが、一体何を読んでるんですか?」
セレストの行動を把握していたクロムにしてみれば、白々しい問いかけだった。しかし、そんなことなど知らないセレストは、これだと素直に本の背表紙を見せた。
「世界の文化概論、ですか? また難しそうな本ですね。――どんなことが書いてあるんです?」
知っていたものの、まるで今始めて見たように、クロムは真面目な顔で頷くいて、さらりと内容について尋ねた。
いかに彼が優秀な護衛とは言え、この本を隅から隅まで読んで、主が何を考えているのが推測するのは、苦行であった。主に、睡魔に抗えないという意味で。
なので、素直に主に直接尋ねることにしたわけだが、セレストはすでに内容を把握しているのか、ペラペラと頁をめくると、クロムにも見やすいようにと本をテーブルに置いた。
「各国の文化がまとめてあるんだ。……ほら、ここを見ろ」
嬉しそうに、セレストが指差した項目は――。
「……ノーゼリアの慣習……?」
「うん」
「奥方様の故郷ですね。なにか面白い事が書いてありましたか?」
クロムは素早くその項目に目を通し、ある一文に気がついた。
ちらりと主を見れば、その横顔にはキラキラとした笑みが浮かんでいる。
(……なるほどね。そういうことか)
セレストが、自分の妻を大切に思っていることを、クロムは誰よりもよく知っている。
そして、同時に彼女に対して申し訳なく思っていることも、よく知っていた。
おざなりな式を挙げただけの、本来だったらしなくてもいいはずの結婚。
これが、主夫婦に未だ付きまとう、周囲の評である。
その言葉を聞く度、ほんの少しだけ表情を曇らせる妻に、彼女をよく見ているセレストが気付かないはずがない。
ならば、この本に書かれていたノーゼリアの慣習についての一文。それを実行に移すことが、セレストなりの証明なのだろう。
――この結婚は、成るべくして成ったものであると。
「俺に何かできることはありますか、殿下」
自分の主が男を見せようとしているのだと気付いたクロムは、優しい笑みを浮かべてセレストに尋ねた。
自分の考えが見透かされた事に気付いたセレストは、照れたようにそっぽを向いた後、意を決したように、こう口にした。
「ヴァイナスには、当日まで秘密にしたいんだ。僕に力を貸してくれ、クロム」
以前ならば、きっとセレストから頼られることなどなかっただろう。些細な変化だが、多大な進歩だと知るクロムは、だからこそ主の力になりたいと思う。
そして、主にこれほどまでに大きな変化を与えてくれたあの姫君にも、出来ることなら笑顔でいて欲しいのだ。
つまり、クロムにはセレストの頼み事を拒否する理由など何もない。
「彼女の、喜ぶ顔が見たいんだ」
素直に自身の望みを口にする主に、クロムは畏まった風に膝をつくと臣下の礼をとる。
「わかりましたセレスト様。このクロム、主のために全力を尽くしましょう」
そして、やっぱり小姑には黙っていようとクロムは心に固く誓った。
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