第36話 夫の覚悟
「兄上!」
セレストが乱暴に扉を開け怒鳴り込めば、待っていたかのようにゼニスが出迎えた。
「あぁ、遅かったな」
腹立たしいほどに、今日の兄も自信に満ち、落ち着いている。
「ヴァイナス姫が、攫われた。俺たちはそれを理由にジェオルジのところへ向かう。……俺が、きちんと責任を持ち、お前の妻を連れ帰ってくる。だから、セレスト、お前は城で待っていろ」
あらかじめ用意していたとわかる、一方的な言い方をされ、セレストは据わった目つきでゼニスを睨んだ。
「ヴァイナスを巻き込んでおいて、その言い草ですか……!」
「……なんだ、喋ったのかクロム。……セレストには、黙っておけと言っただろう」
面倒そうに舌打ちしたゼニスから咎めるような視線を向けられたクロムは、堪えた様子もなくひょいと肩を竦めた。
「そうは言っても、俺の主はセレスト殿下だからな。何かあれば、報告するのは当然だ」
「ほぉ?」
眉を上げたゼニスの、威圧するような声音すらも受け流し、クロムは主と親友を見つめる。
「ゼニス様、お前がセレスト殿下を案じているのはわかっているつもりだ。これ以上傷つかないよう色々隠しておきたい、何も知らないうちに解決してやりたいと思う気持ちは、過保護だろうとも理解できる」
セレストは驚いて兄を見た。
(心配していた? 兄上は、僕を疎ましく思っていたんじゃなかったのか……?)
視線を向けられたゼニスは、ばつが悪そうにセレストから顔を背けた。普段ならば、皮肉の一つや二つ飛び出すはず。兄が見せた思わぬ行動が、クロムの言っていることを事実だと肯定する。
ゼニスは、頭をかくと、大きなため息をついた。
「……なら、わかるだろう。セレストは、まだ子供だ。見なくてもいい事、知らなくてもいい事がある」
「でも、殿下はヴァイナス姫の夫だ。妻に関することを知らなくてもいい事、で片付けるのは乱暴すぎだろ」
「なにが夫だ! 押し付けられた政略結婚だろう!」
クロムの言う通りだとすれば、兄は自分を心配してくれているのだろうが――嬉しくない、とセレストは眉を寄せる。
確かに、最初はそうだ。兄の代わりだと押しつけられた結婚だった。
けれど、今は違う。
兄の代わりとしてではなく、自らが彼女の夫であることを望んでいるのだと叫びたかった。
「……兄上。ヴァイナスは僕の手を握ってくれました。一緒に笑ってくれました。支え合うのが夫婦だと、言ってくれました。……そんな彼女が、自分のせいで危険な目にあっている中、兄に任せて隠れているような腰抜けに成り下がるつもりはありません……!」
「セレスト、聞き分けろ。ジェオルジは、お前が思っているより、ずっと危ない。だからヴァイナス姫も、俺達に協力を約束した。お前に知って欲しくないと誰もが思うほど、あの男は破綻してる」
兄が自分を気にかけていることも、一生懸命守ろうとしている事も、十分伝わってくる。
だが、その優しさを素直に嬉しいと思えないのは、隣に彼女がいないからだ。
セレストは止めようとする兄に対して、首を振る。
「……ったく、本当物分かりが悪いなゼニス様は」
膠着状態になると思われた二人の睨み合いに終止符を打ったのは、舌打ち混じりのクロムの呆れ声。
「いいですか? セレスト様は、ゼニス様が思ってるほど子供じゃないんですよ。たしかに貴方の弟君ではありますが、その前に一人の男なんですよ」
「はぁ?」
「だから! 惚れた女が危ないのに、大人しく留守番できる男がいるわけ無いだろう!!」
ゼニスとセレストの兄弟は、共に目を見開き、言ってやったというような顔をしているクロムを凝視した。
「ほれ、た? 誰が、誰に?」
「なっ!」
呆けたようなゼニスと、叫ぶセレスト。
そんな二人の様子などそっちのけで、クロムは表情を引き締める。
「という事で……殿下、行きましょう。……俺は奥方様から、セレスト殿下の部下として信頼されているんです。その信頼を、裏切るわけには行きません」
「……クロム……。ありがとう」
自分の意思をくみ取ってくれた護衛に、セレストは感謝を込めて頷いた。
取り残されたゼニスは、二人を見比べると、やがて諦めたように肩を落とした。
「……ちょっといない間に、弟が男になっていたか……さすがの俺も、驚いたぞ」
「僕は最初から男です」
「っ! ――ああ、そうだな。そうだった。……俺が、お前を勝手に弱いと思っていただけだ。……悪かった、セレスト」
「……」
「お前たちを色眼鏡で見て、悪かった。……俺と一緒に来てくれ。……それで、全部終わらせよう」
兄の言葉を受け、セレストは大きく頷く。
ゼニスは、ぽんっとセレストの背中を叩いた。
まだ小さくても、並々ならぬ覚悟を宿すその背中は紛うことなき男の背中だな――そう言って、ゼニスはセレストを対等として認めた。
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