第34話 そして淡々と事は運ぶ

 

 ヴァイナスの部屋の前には、いつもセレストが手配した衛兵が、立っている。

 しかし、今日に限って誰も居ないということは、が、わざわざ相応の理由をつけて遠ざけてくれたのだろう。


(わざわざ、どうもありがとうございます)


 ヴァイナスとクロムは、顔を見合わせ頷きあう。

 アンナが協力者ならば、今から戻るヴァイナスの部屋には誰もいない。

 部屋の中に入った時点で、そこにいるのはヴァイナス一人だけになる。

 後は、ただそこで待っているだけでいい。

 餌に釣られた獲物が罠にかかるのを、ただ待っていればいいのだ。


「ではクロム、ここで」

「……お気をつけて」

「セレスト様のことは、お願いしますね」


 心配してしまうかもしれないから――と続けたヴァイナスに、クロムはそれだけでは済まないと首を横に振った。


「むしろ、激怒しそうです。……なんで自分に黙ってこんなことをしたって」

「……私、この間頼りにしてると言ったのは嘘だったのかと、怒られたばかりなのですけど……」

「学習能力がないと怒られるか、絶交されるか……まぁ、その時は俺も一緒に頭を下げますから」

「絶交……!? そんな……この世の終わりではないですか……!」

「大丈夫、なんだかんだ言って、殿下は奥方様には甘いんですよ。……ちゃんと話せば分かってくれます。いざって時は、全部ゼニス様のせいにしましょう。真犯人はあの人って事で、俺達は無事に無罪放免となるはずです。……あぁ、俺はここまでですね。失礼します」


 最後に軽口を交わし、けらけらと明るく笑うとクロムは踵を返す。

 ヴァイナスも、クロムに背中を向けて与えられている部屋に向かった。


 誰も居ないことを除けば、変わったところは見当たらない。いつもの自分の部屋だった。

 縫いかけの刺繍が放置されており、栞を挟んだ読みかけの本が棚に立ててある。

 いつもと変わらない部屋で、椅子に腰掛け目を閉じた。

 見計らったかのようにコンコン、と控えめなノックが耳に届く。


「どなた?」


 平静を装ったヴァイナスに、返ってきた声は……一緒に動物の死体に直面したり、セレストを怒らせたと落ち込んだヴァイナスの慰めてくれた……あの侍女のものだった。


「お茶を持ってまいりました、姫様」

「まぁ、ありがとう。……体を壊したときいていたけれど、大丈夫なの?」

「ご心配をお掛けしてもうしわけありません……! 体調が悪くて寝込んでいたのですが、もうどこもなんともありませんよ!」


 元気だと笑う侍女は、手慣れた様子でお茶を入れると、ヴァイナスに恭しくティーカップを差し出す。


「それに、姫様のほうが大変でしょう? 鉢植えや本棚、動物の死体と、嫌がらせばかりが続いて」

「そうね……一過性のものだと思って静観していたけど、どうも長引きそうなの」

「まぁ……! すぐ殿下に直訴すべきです!」


 こくりとお茶を飲み込み、ヴァイナスは笑みを浮かべた。


「ありがとう。……そうする上で、一つ確認しておきたいのだけれど」

「なんでしょう?」

「私、いつあなたに鉢植えの話をしたかしら」

「え?」


 にこにこと問いかける。


 いやだ姫様、あの日私に教えてくださったじゃないですか。

 そう答えてくれることを、どこかで願っていた。


「……そ、れは」


 戸惑った顔ならば、思わぬことを問われて困惑していると好意的に受け止めることも出来た。

 しかし、侍女は目に見えて顔色を青に変えている。


「……あの鉢植えの事を知っているのは、私と殿下。そして殿下の護衛だけ」


 ヴァイナスから視線をそらした侍女の手がかたかたと震えていた。


「……あぁ、もう一人いたわね。……私の頭を狙って鉢植えを落として逃げた犯人なら、知っているかも」

「――っ」


 落ち着かない様子で忙しなく動き回っていた侍女の視線が、ハッとヴァイナスに向けられる。

 同時、ヴァイナスの手からカップが滑り落ちた。

 ぐらりと、大きく視界が揺れて、体が椅子から滑り落ちてしまう。

 誰に受け止められることもなく、ヴァイナスはそのまま絨毯が敷かれた床に転がった。

 それでも、懸命に侍女を見上げて呂律の回らない舌を動かす。


「……いつ……か、ら」


 いつから、貴方は私を狙っていたの?

 その問いに、侍女だった娘は答えなかった。

 顔色は青いものの、寸前までの動揺は消えて、落ち着きを取り戻している。


「……申し訳ございません」


 これまでの感情表現が嘘だったのか、一転し抑揚のない声を発した彼女は、落ちたティーカップを拾い上げ、テーブルに戻す。


「主人の命令で、薬を混ぜさせていただきました。……命を奪うような代物ではございません、ご安心下さい。……これから、主人の元へご招待いたします」


 懸命に目を開けようとするヴァイナスを見下ろす微笑みに、罪悪感は欠片も見当たらない。まるで、偉大な事を成し遂げたとでも言いたげな、達成感に満ち溢れた笑顔。


「では少しの間、おやすみなさいませ、ノーゼリアの添え物姫様……」


 けれど、その笑みも声も、段々と遠くなりぼやけていく。そしてとうとう、ヴァイナスは意識を手放した。――心の中で、ほくそ笑みながら。

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