第30話 張り詰めた家族


(あの第一王子と会話をしてから一日経つけど、静かなものね)


 セレストと部屋にて、茶を飲んでいたヴァイナスは、偽の招待状で自分をおびき出したゼニスとのやりとりを思い出し、眉をひそめた。確かに、得られた情報もあるが、被った不快感もかなりのものだった。


「妻殿、どうかしたのか? 顔色が優れないように見える……」


 テーブルをはさんで向かい合うセレストに、心配そうに声をかけられたヴァイナスは、はっとして首を横に振る。


「そうか? 貴方は意外と意地っ張りだから、心配だ。少しでも、体調がおかしいと思ったら、すぐに言ってほしい」

「……はい。でも、今は本当に大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます、セレスト様」

「礼はいらない。……お、夫が妻を気遣うのは、至極当然の事だろう」


 素っ気なく言って、ふいっと横を見たセレストだったが、頬は赤くなっている。

 分かりやすい照れ隠しと、優しさに、ヴァイナスのささくれだっていた神経も癒やされるような思いだった。

 しかし、そんな一時を邪魔するように、扉が叩かれる。


「失礼します、セレスト殿下」

「クロムか。どうした」 


 顔をのぞかせたクロムは、いつになく畏まっていた。


「……お二人を、お呼びです。お支度を」

「二人……? 僕と、妻殿を? ……一体誰が……?」

「貴方のお父上、イグニス王が、至急来るようにとの事です」


 セレストの双眸が、言われた意味を理解して、じわじわと大きく見開かれる。

 イグニス王による呼び出しなど、初めてだ。


「……なぜ、急に」


 訝しむセレストの声は、緊張感をはらんでいた。

 一方でヴァイナスには、思い当たる節があった。


(もしかして……、第一王子……?)


 ゼニスと接触したあとで、この呼び出しだ。おそらく、あの第一王子が一枚噛んでいるに違いない。

 何も知らないセレストは、突然の呼び出しに眉を寄せ考えこみ、ヴァイナスはゼニスが戻ったことを知っていたため渋面を作り、とりあえず指定の場所――王族だけが集まる部屋に向かうため、重い腰を上げた。



◆◆◆



 居並ぶ面々の中の一人を視界に入れた瞬間、セレストが瞠目した。

 その顔を、面白がるように見つめ、悠然と片手を上げたのは、ゼニスだ。


「来たな、セレスト」


 明るい栗毛に、青色の瞳。揺るぎない自信に満ちている表情。

 まるでその場の主役のようなゼニスが、セレストとヴァイナスを出迎えた。


「……なぜ、兄上がここに……」


 呆然としたセレストは、そのまま視線をそらすこともせずゼニスを凝視している。

 その顔は青ざめており唇が震えていた。――セレストが何かしらの恐怖心を覚えているのは確実で、ヴァイナスは気遣うように背中に手を添える。

 すると、セレストはまるで縋る様にヴァイナスを見上げてきた。


「――行ってしまうのか?」


 小さな呟きが、ヴァイナスの耳を掠めた。しかし、意味を問う前に、青い目はそらされてしまう。

 セレストは、苛立った口調で、自分たちを呼び出した相手へ詰め寄っていた。


「これは、どういうことです陛下! 行き成り呼びつけられて来てみれば、なぜ兄上がここにいるのです……!」

「ゼニスは、内密にある事を調べていたのだ。……出奔したなどと不名誉な噂をたてられても、甘んじて受け入れ、この国のため、ひいては我々のために動いてくれていたのだぞ」

「そんなこと……私は聞いておりません」

「うむ。そなたには伝えておらぬからな」


 ヴァイナスが、父と息子が並ぶ場面を見るのはこれが初めてだった。 

 それなのに、イグニス王とセレストの会話は、どこか噛みあっていない。


 ヴァイナスは、悪びれなく頷く王を直視することを避けた。

 非公式な家族の集まり、一家団欒の光景などといえば聞こえはいいが、あるのは張り詰めた緊張感だけだ。


「……陛下、セレストにそんな言い方……」


 見ていられなくなったのか、マヤが不安そうな表情で王に言葉を投げかける。


「む? ……そう、か?」


 戸惑ったような王の声は、セレストと話していた時よりも、ずっと柔らかく聞こえた。

 分かりやすく態度を変えた王を見てセレストが何を思うかと考えたヴァイナスだが、自分に発言権などないとわかっているため、沈黙を貫き通すしかない。

 ただ、この居た堪れない時間が早く終われと願う。


 そんなヴァイナスの手は、不意に伸びてきたセレストの手に、ぎゅっと握られた。

 離すまいと言うように、力が込められた。

 手を強く握ったまま、セレストは、キッと父親であるイグニス王を見上げる。


「……私が、知る必要がない事ならば、この場にいる必要もないでしょう。……失礼しても?」


 退出を申し出るセレストの声は、怒りか悲しみか、かすかに震えていた。


「話は終わってない」


 弟の申し出を拒否したのは、ゼニスだった。


「……っ! 貴方がいるならば、私は必要ないでしょう」

「必要があるから呼び出したんだ。……俺は、ある理由から身を隠していたが、晴れて表舞台に戻るつもりだ。……つまり、父上の後を継ぎ、次の王になる」

「……どうぞ、ご自由に」

「いいんだな」

「はい。……すでに決まっている事ならば、私はそれを受け入れるだけです」

「そうか。なら、その女をこちらへ渡せ」

「……っ……」


 セレストが、沈黙した。


「安心しろ、セレスト。お前たちの結婚式は、代理を立てた式だと言えば、いくらでも誤魔化しがきく。止むを得ない事情で、俺の代わりにお前が代理に立った事にしておけば、全て丸く収まる。――わかるな?」


 ヴァイナスは、何を言い出すのだとゼニスを訝しむ。同時、握られた手には、痛いくらいの力がこもった。


「……妻殿……」


 不安そうな顔が、ヴァイナスを見上げる。

 しかし、ゼニスはおかまいなしと言った様子で、ニタリと笑うと、尊大に言った。


「別にいいだろう。元々、俺が結婚する相手だったんだ。これで、元通り。ノーゼリアの姫を娶って、王になる。当初の予定通りだ。……お前も、ノーゼリアの至宝が来ると思っていたら、添え物が届いて落胆しただろう? ようやく面倒から解放されて、いい事尽くめだ」

「――ふざけるな!!」


 揶揄するような言葉を聞いた瞬間、セレストは弾かれたように兄を怒鳴りつけた。

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