第31話 夫婦の一歩


 一体ゼニスは、何を考えてセレストを煽っているのか。

 からかうにしても、質が悪い。セレストの生真面目さから冗談と受け取らず反感を持つのは目に見えている。


 それなのに、なぜマヤとイグニス王はゼニスの悪ふざけを止めずに傍観しているのか。


 ヴァイナスは、苛立ちを覚えゼニス達の顔を見た。

 彼らは揃って、声を荒らげたセレストを意外そうに見ていたのだ。ゼニスにいたっては、場違いにも口笛を吹く始末だ。


「へぇ……やはり、本音は王になりたいか?」

「僕は王位なんていらない!」

「……なに?」

「王位は、ふさわしい人間が継げばいいと思っている。これに、嘘はありません。……ですが、続く言葉が許せません」


 対峙するように、セレストがゼニスの前に立った。


「僕は、貴方の代理人として、結婚式を挙げたつもりはありません」

「……お前が押し付けられたものを、責任を持って引き受けると言っているんだ。そうすれば、お前には、もっといい縁談が用意される」

「一体いつ、誰がそんな事を頼んだ!」


 目をつり上げたセレストが、吠える。


「僕は誰かの代わりになった覚えはない! 相手がノーゼリアの至宝だから、結婚を承諾したわけでもない! ――僕はっ……彼女だから……!」


 そして、勢いよくヴァイナスを仰ぎ見た。


 この場に兄の姿を認めた瞬間、行ってしまうのかと呟いたセレスト。

 あの瞬間、彼が何を恐れていたのか、ヴァイナスは遅ればせながら理解した。


 何も難しいことではなかった。言葉通り、ヴァイナスが離れていくかもしれないと危惧していたのだ。

 ヴァイナスにしてみれば、悪ふざけとしか思えないゼニスの言葉を鵜呑みにして、食って掛かるほど。


(お馬鹿さん。そんな事あるわけないでしょう)


 何も心配することは無い。

 そんな思いを込めて、ヴァイナスはセレストに向かってしっかりと頷いて見せる。

 怒りと不安で一杯だった目に、喜びと……一つの決意が宿った。


「結婚の無効なんて、認めない。彼女は……――ヴァイナスは、僕の妻です!」


 ゼニスを睨み、小柄ながらも堂々と言い放ったセレスト。

 その姿を見たマヤは、「まぁ」と口元を抑え、イグニス王は口髭を撫でる。そしてゼニスは、満足そうに笑った。


「……お前、初めて俺と目を合わせたな」


 兄と弟。二人は、互いの姿を、よく似た青色の瞳に映しあう。


「お前の言いたいことは、分かった。――それほどまでに、添え物姫が気に入ったのなら、王位の代わりにくれてやる。結婚しなければ、王位を継げないわけでもない。……セレスト、それでも、その女がいいのか?」

「貴方達が、何を考えていようと、僕とヴァイナスは神の前で誓いを立てている正式な夫婦です。自分勝手な理由で引き裂くことは、許されない」

「そうか。……ならば、決まりだ。添え物姫は、お前にくれてやる。かわりに俺は、王位を貰う」


 ぞんざいに手を振ったゼニスの言葉は、さらにセレストの怒りを煽ってしまった。

 兄の言い分に引き下がるどころか、クワッと目をつりあげる。


「貴方に、妻をそんな風に呼ばれるいわれは無い! 僕達夫婦を、なんだと思っているんですか……!」

「おい、そんなにムキになるな。お前の本音を引き出したかっただけだ。まさか、こんなに怒るなんて……。おい、添え物姫、黙ってないでセレストを止めてくれ」

「また……! さっきから、ヴァイナスをおかしな呼び方しないで下さい!」


 すぐさまセレストが庇うようにヴァイナスの前に立ち、ゼニスに食って掛かった。

 無論、助け舟を出す気など無いヴァイナスは、無言で目をそらす。


 生真面目で優しいセレストに、煽るようなことを言うから、こんな事になる。自業自得だ。


(でも……セレスト様が王位に関心を示さなかったから、話は簡単にすんだのよね)


 もしも、セレストがゼニスの提案をすべて受け入れ、ヴァイナスを引き渡していれば――。


(私の命も、そこまでだった可能性が高いわね)


 死んだ理由なんて、いくらでも作れる。なにせ、ここはノーゼリアでは無いのだから。


 しかし、ゼニス達は決してそうならないと見越していたに違いない。

 ヴァイナスとセレストが、距離を縮めている事は分かっているだろう。何よりゼニスには、クロムと言う情報源がいる。


 絶対に大丈夫だと分かっていたから、彼らは自分たちにとっての最善を選んだ。


 セレストに選ばせるようにみせかけておいて、全ては彼らの手の内だった。きっと、イグニス王が描く結末は決まっていたのだ。


(……嫌な男。仮にも義父にあたる方に、こんな感情を抱いたら、いけないのだろうけれど……――この方は、ゼニス様の王位を確たるものにするために、またセレスト様を利用したんだわ)


 たしかに、優しいだけでは王は務まらない。

 それは、重々承知している。

 ただ、やり方が汚い。

 

 結局、セレストも自分も……もしかしたら、このゼニス王子ですら、イグニス王の手のひらの上で踊っているに過ぎない。


(いいわ。……貴方が、マヤ様とゼニス様を守るのなら……私が、セレスト様を守るから)


 知らないだろうと言ってやりたい。


 私の夫は、照れ屋さんで可愛らしくて……けれども、いざという時は妻を守ろうと前に立ってくれる、頼りがいがある素敵な王子様なのだと。


(イグニス王、貴方はそんなセレスト様を、知らないでしょう)

 

 安堵している三人を見て、ヴァイナスは思う。


 これが彼らの望んだ光景なのだろうけど――そうなるように誘導した、結果なのだろうけれど……。


「ヴァイナス、ぼーっとしていたら駄目だ! 貴方の身が狙われているんだぞ! 僕から離れるな!」


 自ら王位争いから退く事を宣言した夫の顔には、怯えも諦めも見当たらなかった。常にセレストの中に巣くっていた陰が消えて、吹っ切れたような強さが見えた。


 選択肢が無いも同然の二択を、いきなり突きつけられたにも関わらず、セレストの表情は今、見たこともないくらい清々しい。


「僕が貴方を守るんだ!」

「……はい、頼りにしておりますよ」

「そうだ! 僕を頼りに……――えっ……?」


 見上げてくる夫に、ヴァイナスは心からの笑みを見せた。

 ありったけの信頼と感謝と……愛情が伝わればいいと思いながら。


「ふふ、守って下さるのでしょう?」

「も、もちろん……! もちろんだ! ――だって貴方は僕の……」

「私は貴方の、妻ですものね」


 パッと頬に朱を散らしたセレストは、目を大きく見開いて――それから、ぐっと何かを堪えるように一度うつむく。

 再び顔を上げたセレストは、満たされたような笑みを浮かべ言った。


「――そうだ。僕の……大切な、妻だ」


 噛みしめるようなその言葉に、ヴァイナスは胸がぽかぽかと暖かくなる。

 きっと自分は、こんな笑顔が見たかったのだと、笑った。

 

「……兄を無視して盛り上がるな」

「ふふ、新婚ですので、お許しください、義兄上」


 ヴァイナスが言い返せば、ゼニスは大仰に顔をしかめる。


「嫌味っぽく呼ぶのはやめろ」

「こら、ゼニス!」


 しっしっと追い払うような手振りをマヤに叱られると、ゼニスは途端に口をへの字にして押し黙った。


「仕方の無い奴だ」


 イグニス王が、やはり優しさのこもった声で呟く。


 そこだけ、切り取ったように幸せな世界だ。


 それでも、セレストはもう暗い顔をしていなかった。怯えたように身を固くもしていない。

 ヴァイナスの手を当たり前のように握りしめ、言った。


「帰ろうか、ヴァイナス」

「――よろしいのですか?」

「うん。……僕は兄上が王位につくことに、なんら異存はありません。――僕は妻と共に、誠心誠意支えるつもりです」


 セレストは、ゼニスやマヤ、イグニス王の顔を順々に見て、はっきりと宣言した。


「…………そうか」


 イグニス王の声が少し震えていたのは、一体どんな感情からだったのかは、分からない。


 ヴァイナスには、この王を理解することが出来ないからだ。


 けれど、セレストが今、大きな一歩を踏み出したことは、感じ取れた。


 兄と仲良くしたかったと泣いた少年。けれども、兄に怯えていた少年。

 彼は今、兄と目を合わせ、言葉を交わした。向き合う強さを、手に入れた。

 

 嬉しさと寂しさが、ない交ぜになったようなゼニスの顔。 

 せいぜい、悩めばいいとヴァイナスは思う。

 

「……ご立派です、セレスト様。堂々としたお言葉でした」

「……うん」

「とても素敵でした」

「か、からかうな……!」

 

 小さく笑うヴァイナスを、セレストは不満そうに見上げる。


「貴方は時々、意地悪だ」

「え? 心外です……。私、セレスト様には特別優しいつもりだったのですが……」

「優しいけど! ……優しいけれど、時々意地悪なんだ」


 いまだって、僕を困らせるじゃないか。

 拗ねたような呟きに、頬が緩む。


 ふと視線を上げれば、同じ室内にいる者達全員が、ヴァイナスと同じような、緩んだ表情をしている。

 

 彼らも、セレストが憎くて忌避していたわけではないのだろう。だが、優先するほど、大切でもなかったのだ。

 セレストよりも、カメリアよりも、大切なものがあったから……母子にあらゆるものを押し付けて目を背けた。あるいは、気付かぬようにと目隠しされた。


 今になり、こうして自分の意見を口にするセレストを見て、新しい関係の構築を望むのならば……向こう側からも、踏み出して貰わねばならない。

 セレストが、自ら立ち上がり一歩踏み出したように。


(これ以上、セレスト様に甘えないで下さる?)


 それが、偽らざる本音だ。

 だから、ヴァイナスは向こうの表情に気づいても、今ここでは何もしない。


 もちろん、向こうから何かしら接触が有り、セレストが応えるかどうかは彼次第だ。

 だが、その時が来るまでは、セレストという一個人の表情は、自分が独占させてもらおうと、ヴァイナスは思う。


 些細な意趣返しだが、これくらいで済んで、感謝して欲しい。


 ヴァイナスにとって、セレスト・イグニスという少年は、大切な夫なのだから。

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