第29話 守りたいと思うだけ
守られたことを知らない王子は、なおも続けた。
「あの男の独占欲は、常識を逸している。……自分の父親も母親も、ジェオルジに殺されたのではないかと、王妃は疑っていたそうだ」
妹ですら疑いを抱くほど露骨だった、独占欲。だというのに、なぜ今でも野放しにされているのか。
その疑問は、そのままヴァイナスの顔に出ていたらしい。ゼニスは肩を竦める。
「疑ってたのは王妃一人だ。外面は恐ろしくよかったみたいでな……父上も、母上も、あの時もっと真剣に受け止めていればと後悔していた」
「……っ……」
ゼニスが、苦々しい表情で呟いた。
その顔をみたヴァイナスは一瞬カッと頭に血が上り、ぐっと喉まで出かけた罵倒の言葉を飲み込む。
「……もっと真剣に受け止めていればよかったと、後悔して……、それでその後は? 一体、大人達は何をしたのですか」
「……」
王妃は、きっとセレストのためにマヤに近づいたのだ。
マヤに訴えた事は、そのままイグニス王へと伝わる。
王ならば、ジェオルジを抑える事が出来る力があると信じ、一縷の望みを託した。
けれど、イグニス王は親子を守ってくれなかった。
王妃が死んで、訴えを聞いた人間たちは、初めて事の重大さに気が付いたに違いない。
だが、その時ですら、彼らがとった行動は――。
「……セレスト様の立場を思って、距離をとって見守った。影ながら守っていた。そういうことでしょう?」
「……あぁ、そうだな」
返答を聞いたヴァイナスはすぅ、と大きく息を吸い、深く吐き出した。
(それに、何の意味があるの……!)
落ち着けばよかったのだが、一度沸騰した感情はいまだにグツグツ煮えたぎっている。
腫れ物に触るように、セレストから一歩引いた。誰も、あの子の心を慮ることも無く。誰も、あの子に寄り添うことも無く。
――だから、セレストは……大人のふりをせざるを得なかったのだ。
(ゼニス様は、こうやって隠れてコソコソしたりしないで、真っ正面からあの子に向き合えばよかったのよ……! セレスト様は、望んでいたのに……!)
兄と、仲良くなりたかった。そう言って泣いていた姿が思い出してしまう。
そのまま感情に任せ、喉元まで出かけていた言葉を、ヴァイナスはなんとか押し殺した。
自分の立場と、目の前の王子の立場は違う。
それに、彼はイグニス王によって守られた側だが、今こうして不器用な立ち回りをしているのは、セレストを守りたいという意思があるからだ。
当時を知らない自分が口を出し台無しにすべきではない。
ヴァイナスは必死に自分の中で沸騰していた怒りを落ち着けようとするが、どうしても泣きじゃくっていたセレストの姿を振り払えない。
(きっとセレスト様は、守ってほしかったでしょうに……!)
心細かっただろう。怖かっただろう。誰かに傍にいて欲しかっただろう。
大切に思っていても、離れて見ているだけでは駄目なのだ。
はっきりと、口に出さなければ伝わらない事がある。
「――私は……、当時の様子を知りません。セレスト様から伝え聞いたことだけしか、わかりません。本当の意味では、理解すらできてないでしょう。……ただ、これだけは言わせていただきます」
目の前の相手は、セレストの事に関しては味方だ。ここで怒りのまま感情的になじる事は得策ではない。
ヴァイナスは、自分にも言い聞かせるかのように、ゆっくりとした口調でゼニスの意図を確認した。
「私は、セレスト様を守りたい。――ゼニス様、貴方も同じ事を考えていると思っていいですね?」
「ああ」
「……こうして、セレスト様に隠れて私だけを呼び出したのも、セレスト様を守るため、なんですね」
「当たり前だ」
迷いのない答えだ。
だからこそ、余計に分からない事がある。
「でしたら、結婚式を逃げ出したのは、なぜですか? 添え物姫などに王妃は務まらないと思ったのかもしれませんが――セレスト様を守りたいと思っている貴方が、彼に押し付ける形で逃げるなんて……いささか、不自然ではありませんか?」
これほど身を案じている弟に、なぜ身代わりなどさせたのか?
ヴァイナスの疑問に、ゼニスはそんな事かと言うように肩をすくめ口を開いた。
「俺が、お前と結婚したとする。……そうすると、ジェオルジはここぞとばかりに動くぞ。セレストに、自分に都合の良いことを吹き込むだろう。これで俺の王位は盤石なものとなったのだから、王妃がしでかしたツケを払えと冷遇される……等と言った、ゲスな事をな」
「……だから、逃げたのですか?」
「逃げたつもりは無い。これが、好機だと思っただけだ。アイツの筋書きをそらし、セレストの傍に誰かを近づける。そうすれば尻尾を掴めるかもしれないだろ」
つまり、ゼニスは最初からノーゼリアの姫を利用するつもりだった。
いや、この男だけではない。
添え物を寄越したと騒ぎ立てなかったのは、そもそもイグニス王家が、ノーゼリアとの婚姻を利用するつもりだったからだ。
(だから、私だったのかもしれないわね。……夫になるはずの王子に逃げられた姫なんて不名誉、アイリスには、絶対に似合わないもの)
そんなことになってしまえば、ノーゼリアは黙っていなかっただろう。
たとえ王族が耐えたとしても、彼女を愛する国民は黙っていなかったはずだ。
父王は、もしかしたら予見していたのかもしれない。
(私で、よかったのよね)
初めから、ノーゼリアの姫を利用するつもりだったならば、違う姫が来たのにあっさり受け入れた事も納得できる。
当初ヴァイナスは、お互い様だからかと思っていたが、餌だから姫という体裁さえあれば何でも良かったのだろう。
それならば、殺されなかった理由も納得できる。クロムやマヤが友好的だったのも、理解できる。
全部全部、このためだったのなら、添え物姫に優しかった理由すべてに、つじつまが合う。
ただ、唯一の救いは、セレストがその思惑に一切絡んでいなかったという事だ。
彼の行動だけは、全て心からのものだったのだ。
それを再確認できたことだけは、ヴァイナスにとっての収穫であった。
(だから、もういいわ)
餌としての役割を望まれているのなら、応えてやろうではないか。
誰かの思惑に乗るなんて、本当は断じてごめんなのだが――それでセレストを守れるのならば、構わない。
ヴァイナスは、ゆっくりと口元に笑みを浮かべた。
「貴方の考えは分かりました。……それで? ジェオルジの尻尾とやらは、つかめたのですか」
「……だったら今頃、あの男は城をうろついたりしていない」
「つまり、“まだ”なのですか……」
「……」
はぁ、とため息が出る。
散々もったい付けておいてと、軽い失望と意趣返しが込められた、長めのため息だった。
「……そうすると……私は、何をしたらよいのです?」
「協力してくれるのか……?」
「当然です。……あぁ、先に言っておきますが、断じて貴方のためではありません。ましてや、イグニス王国のためでもない。……セレスト様が……私の夫が、この先ずっと心穏やかに暮らすため、私は貴方に協力するんです」
「……」
ヴァイナスの言葉に、ゼニスは感心したように頷いた。
それに引っ掛かりを感じて睨みつけると、ゼニスは再び挑戦的な笑みを浮かべる。
「そう睨むな。……ただ、嫁入りしてきた姫がお前で、正解だったと思っただけだ」
「まあ、光栄です。いるかいないかわからない、ノーゼリアの添え物姫には、過分な褒め言葉ですわ」
「人が純粋に褒めたというのに……哀れなほどに拗くれた女だな」
「嫌ですわ、義兄上。貴方の方こそ、セレスト様の兄上とは思えないほど、失礼な方ですのに」
再び、二人の視線がバチバチと火花を散らした。
「ははははは」
「うふふふふ」
二人のやり取りを黙って見守っていたクロムは、またしてもため息を吐いてゼニスの後頭部を叩いた。
「だから、奥方様を威嚇するなってば」
「痛っ……! ……おいクロム、やけにヴァイナス姫を庇うんだな」
「当たり前の事を聞かないでくれ。見慣れた野郎なんかより、麗しい姫君を守る方が、男として有意義だろ」
「……麗しい……これが?」
疑問系の声を上げ、信じられないような顔でヴァイナスをみるゼニス。
(本当に失礼な人! セレスト様とは、大違いだわ!)
失礼な物言いと不躾な視線に、ヴァイナスは本当に似ても似つかない兄弟だとそっぽを向いたのだった。
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