第28話 替えのきくもの

 人妻で――自分の義母になった人。


 叶うはずもないとわかっていたのに、恋をしてしまった。

 それなのに、相手がいなくなったから――今度はその恋心をそっくりと、相手の血をひく別の人間へ向けた。


 なるほど、確かにそれはもう恋などという甘酸っぱいものではなく、執着だ。

 ただ、ヴァイナスにはどうしてそんな事が可能なのかが、分からなかった。


「……そんな風に、ころころと変えられるものなんですか? ……その、仮にも自分が好きになった相手ですよ?」

「さぁな。俺も変態の考えはわからん。ただ、露骨なものだった。それまで冷遇してきた妹の元へ、急に足繁く通うようになったのだからな。最初は喜んでいた王妃も、だんだん表情が暗くなっていった」

「……」

「王妃派、側室派なんて派閥が生まれ、くだらない事でいちいち争うようになったのも、元々はあの男が原因だった。……いいように踊らされてたんだ、どいつもこいつも――俺を含めてな」


 セレストの心の傷になっている一端を思い返し、ヴァイナスは感情のまま顔を歪める。

 ジェオルジが、裏で糸を引いていた。


 だとすればあの男は、セレスト親子が傷つくのを、そしてどんどん孤立していく様を、どんな顔で見ていたのか……。


「ジェオルジが仕組んだとおっしゃるのでしたら、少しおかしくありませんか? わざわざ対立構図を作って煽るのならば、自分が肩入れしている方が勝つように動くはずでしょう? ですが、……セレスト様に聞いたお話から察すると、王妃様は孤立していたようですが」

「ああ、そうだ」


 あっさりと、ゼニスはヴァイナスの言った事を認めた。


「どうして……。宰相は、なぜ王妃様を守らなかったのですか」

「俺にも理解できない。ただ、母上はこう言ってた。彼女の周りから人を排除することが、あの男の目的だと」

「……なぜ、そんな事を……」

「実際、王妃と和解したがっていた母上は常に嫌がらせを受けていた。……だがな、王妃が離宮に引っ込んだ途端、まるで図ったかように、あらゆる嫌がらせがピタリと止んだ」


 普通ならば、肩入れしている方を守ろうと思うはず。

 だが、普通でなかったら?


 ふとヴァイナスが思い浮かべた恐ろしい考えは、あの嫉妬まみれの宰相の顔に、ぴったりとはまった。

 普通ではなかったから、あの男は守ろうとせず、逆に孤立させるために追い込んだのか。


「……宰相は、……あの男は、おかしいのですか?」


 いや、そんな馬鹿なと否定できるほど、ヴァイナスは宰相の良いところを知らない。むしろ自身の考えに納得できてしまうからこそ、恐ろしかった。


「……ヴァイナス姫。それは、お前がよくわかっているはずだ。……セレストの傍に、当然のような顔で居座る女……あの男にとって、突然現れた最大の障害。だから、お前の身は、狙われた」

「……」

「わかるな? ジェオルジの目的は、自分の執着対象を孤独にする事だ。それには、妻などと言う肩書きを持ったお前が邪魔だ。王妃に執着していた時には、彼女の息子という絶対の肩書きを持つセレストが、邪魔だったように」


 ヴァイナスは、言われてハッと気づいた。

 自分とセレストの立ち位置を、そっくり親子と入れ替えた途端……すべて繋がった、同時に寒気がする。


 お菓子に仕込まれていた針も、毒花も――当時の執着対象が、愛情を抱いている存在を、消すため。

 王妃の最愛の息子であるセレストを、自分の歪んだ目的の為に殺そうと画策したのだ、ジェオルジは。


(もしかしたら、セレスト様とゼニス様の一件も、あの男が仕組んだ事かもしれない……)


 ヴァイナスは青ざめた顔で、ゼニスを見た。

 当初の皮肉めいた笑みを引っ込んでおり、真剣な顔をしている。

 クロムも、引き締まった表情で口を挟まない。

 ヴァイナスは、それだけで自分の予想が正しいと悟り――あまりの恐ろしさに震えた。


「……貴方は、なぜそこまで詳しく知っているのです?」


 緊張で張り付いた喉から、ヴァイナスがかすれた声を絞りだすと、ゼニスは静かに言った。


「……信じる、信じないは、お前に任せるが……。俺の母親が、生前の王妃に聞かされた事だ」

「――え?」


 マヤと王妃カメリア。

 二つの派閥に分かれてしまい、その後、勝者と敗者として明暗を分かった二人の立場は、あまりにも違い過ぎる。

 周りの人間は、二人が近付く事を良しとしなかっただろう。


「これは、セレストも知らない。母上と父上だけが知っていた事だ。――俺がこの事実を知らされたのは、王妃が死んだ後だったからな」

「……どうして、そんな大事なことを隠すんですか?」

「うかつにそんな事を話してしまえば、今度はセレストに、どんな良くない噂が立つかわからない」

「また、ジェオルジが何か仕掛ける危険性があったと言う事ですか?」

「そういう事だ」


 その危険性は、セレストだけではなくマヤや、目の前のゼニスにもあったはずだ。

 ヴァイナスは、そう示唆したが、ゼニスは気が付かなかったようだ。


 ――遺されたセレストが、マヤやゼニスと距離を縮めれば……ジェオルジの標的になる可能性が高い。

 セレストに悪い噂が立ち、これ以上追い込まれる事を阻止するため……なるほど、たいした理由だ。

 だが、もう一つ……マヤとゼニスが害される事を恐れ、守ろうとしたのではないだろうか?

 セレストのためだなんて、もっともな理由を付けて……。


(……この様子では気付いてないようだけれど……守られたのね、ゼニス様は――イグニス王に)


 同じ息子なのに。

 そして、守られたことに気付いていない第一王子は、切り捨てられた弟を今になって守ろうと足掻いている。 

 ヴァイナスには、ずいぶんと皮肉な巡り合わせに思えた。

 


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