第26話 刺々しい応酬


 イグニス王国の、第一王子。

 側室マヤの息子。

 セレストの異母兄。

 そして、アイリスの身代わりになったヴァイナスが、本来結婚する予定だった相手だ。

 わざとらしい呼びかけを耳にした途端、それまで挑発的な笑みを浮かべていた青年の顔が、みるみる渋面に変わる。


「……頭もそれなりに回る上、皮肉も得意と見える。ますます、可愛げがないな」

「まぁ、あまりおかしな事をおっしゃらないで下さる? 栗毛に青い目。部屋で唯一着席しており、私の姿を見ても、立ち上がる素振りすら見せないまま。極め付けが、そのふてぶてしい態度。……これだけ沢山の手がかりを与えられれば、分からない方がどうかしていますわ。――それとも、義兄上は、分からない方がよろしかったのでしょうか?」

「……口の減らない女だな」

「うふふふ――口の悪い殿方に言われたくはありませんわ」


 間髪入れずに、ヴァイナスが言い返すと、二人の視線は再度交錯した。


「ふん。――さすが、この俺に、どさくさに紛れて見切り品を押し付けようとした、ノーゼリアの狸親父の娘だけあるな」

「あら、良いことを聞きましたわ。……つまり、イグニス側は、分かっていたのですね。……ノーゼリアから来る花嫁が、約束の姫ではないと」

「当たり前だ。アイリス姫が国を出奔したという情報は、うちもとっくに掴んでいた」

「……だから、弟に全てを押し付けて雲隠れしていた、と? ……随分と、ご立派な精神の第一王子ですのね」

「返品もせず苦情も言わず、お前を受け入れてやったイグニスの温情に感謝こそすれ、食って掛かってくるか、添え物姫」


 二人は、互いに一歩も譲る気配無く睨み合う。

 下手をすれば、延々と続きそうな皮肉の応酬に、黙ってやり取りを見守っていたクロムが、動き出した。

 やれやれと肩をすくめつつ、椅子に腰かけている青年に近づいて――。


「痛っ!」


 ぺしんと後頭部を叩いた。

 それなりに力加減はしてあるのだろうが、あまりに遠慮のない行動に、ヴァイナスは思わず目を丸くしてしまう。


「奥方様を、威嚇するな」

「威嚇などしてないだろうが!」

「してる。……まったく。ただでさえ、ゼニス様は目つきが悪くて悪人面なんだから、気をつけろ。ほら、奥方様が怖がってるだろ」

「どこをどう見れば、この女が怖がっているように見えるんだ! おいクロム、お前の目はきちんと開いているのか? 耳は聞こえているか? よく見ろ、そしてよく聞け! この女は、正面から俺の事睨み付け、あれやこれやと噛み付いてくるだろう!」


 椅子を蹴倒すように勢いよく立ち上がると、ぎゃんぎゃんと吠えるように言い募る第一王子――ゼニス。

 クロムは、うるさそうに顔をしかめた。


「ゼニス様、わざわざ奥方様を呼び出したのは、不毛な言い争いをするためか? それなら、俺はもう彼女をここから連れ出すぞ」

「ぐっ……」


 押し黙ったゼニスは、ヴァイナスに視線を向けてくる。


(そういえば、そうね……。わざわざ、マヤ様の名前を使って私を呼び出したのは、一体どういう理由なのかしら?)


 よもや――自分を消すためではなかろうなと、ヴァイナスは無意識に一歩後退した。


「奥方様、落ち着いて下さい。我々に、害意はありませんから」


 部屋に入ることなく、逃げ出そうとしているヴァイナスに、目ざとく気が付いたクロムが駆け寄ってくる。

 しかし、わざわざ偽の招待状で自分を釣った人間と気安い間柄にしか見えないクロムの言葉では、何の慰めにもならない。

 その上、第一王子ゼニスは、イグニス王国が早々にアイリスが駆け落ちしたという情報を掴んでいた事を明らかにしたのだ。


 初めから知っていて、身代わりの花嫁を自国に招き入れた理由は何なのか。


ヴァイナスは疑いに満ちた視線を向けた。

 後頭部をさすっていたゼニスが、自身に向けられた視線の意図を敏感に察し、チッと舌打ちする。


「おい、ノーゼリアの添え物姫。お前に話がある」

「……お話ですか?」

「中に入れ。万が一にも、他人に聞かれたら事だ」


 命令することに、慣れた口調だ。

 目的もよく分からない上に、出会い頭の印象は最悪の相手の命令。その通りにしてやる道理はない。

 ヴァイナスは、優雅に一礼しつつ、はっきりと拒否を示した。


「先ほども申しましたが、遠慮いたします。私の故郷であるノーゼリアには、夫以外の男性と、みだりに部屋にこもってはならないという慣習がありますので」


 すると、ゼニスはつまらない冗談を聞いたかのように鼻を鳴らす。


「殊勝な事だが……あいにく、ここはノーゼリアでは無くイグニス王国だ。そして、イグニスには、そんなかび臭い慣習など存在しない。御託を並べていないで、さっさと中に入れ」

「あら? はっきり言わなければ、伝わりませんの? ――……名を騙り、人を呼びつけておいて、その非礼も詫びず、目的も明らかにしない。そんな、不審な人間の言う通りにする理由は無い。……私は、そう言ったつもりなのですが」


 ぴしり、とゼニスの表情が凍った。

 ぽん、とその肩をクロムが叩く。


「ゼニス様、奥方様の言っている事はもっともだ。騙し討ちを仕掛けたのは、こっちなんだ。その時点で、警戒されるのは分かっていただろう? 手の内もさらさず、こちらの言い分だけ大人しく聞き入れろというのは、傲慢だ」

「クロム……お前は……!  一体、どちらの味方なんだ……!」

「だから、うるさいって。――奥方様、一応紹介しますね。こちらはゼニス王子。セレスト殿下の兄君にあたります。性格は……見ての通り、ちょっとアレですが。いきなり噛みついたりしないから、安心してください」

「猛獣扱いはやめろ!」


 少々辛辣なクロムに対して、ゼニスはいちいち声を上げる。気心の知れた者同士だけが出来る、気安いやりとりだった。


「……ゼニス様、そろそろ、割と本気でうるさい。黙るか、声を落とすかしてくれないか?」

「おい……! お前はもう少し、俺を敬え!」

「はいはい、敬ってますよ。全力で敬ってる。……敬ってるから、ちゃんと奥方様にも筋を通してくれ」

「――っ……チッ」


 二人の視線が、一気にヴァイナスに向けられる。


「……俺たちを信用できないのは、分かった。だが、話だけは何としても聞いてもらわなければいけない」


 固い声音に、実力行使で来る気かとヴァイナスは身構えた。

 しかし、ゼニスはその場に立ったままだ。


「……セレストに関係する、大事な話なんだ。頼む」

「――お願いします、奥方様」


 真剣な声に、ヴァイナスは仕方ないと一歩踏み出した。

 呼びつけた相手は気に食わないが、大事な話だと言われ、セレストの名前を出されて頼まれれば、断れるはずがない。


「……偽の招待状まで出して、私を呼びつけた理由。聞かせていただきます」


 ただし、くだらない事だったら絶対に許さないとヴァイナスは剣呑な目でゼニスを睨み付けた。


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