第25話 帰還
厩舎に行ってからというもの、ヴァイナスの周りでは二つの変化があった。
一つ、ヴァイナスの部屋の前には常に衛兵が立つようになった。
二つ目は、侍女の交代だ。
イグニス王国に来てからずっと付いていてくれた侍女は、最近体を壊したため、大事をとって寝込んでいるらしい。
数日前から、セレストによって手配された、アンナという侍女が教えてくれた。
このアンナは、かつてセレストの世話もしていた事があるという。ヨチヨチ歩きの頃からの思い出話を聞かせてくれた。
こうした多少の変化はあれど、ヴァイナスは平和な時間を過ごしていたのだ。
(……ここまで平和だと、逆に不気味で仕方がないと思うのは、私の考え過ぎかしら?)
手放しで喜べないのは、厩舎の帰りに鉢合わせたジェオルジのせいだ。
しかし、いくら身構えていても周辺は波風一つたたぬほどに静かで、これまでは隔日で届けられていた物騒な贈り物も、ぴたりと止まっている。
それでも、ヴァイナスは不安を拭いきれなかった。今の平和が、嵐の前兆のように思えて仕方がない。
――その予想を肯定するかのように、ある日ヴァイナスに一通の招待状が届いた。
差出人は、マヤ。
一人で来るようにと、はっきり記されている一文が、どうにも引っかかった。
だが、相手はマヤだ。たった一度だが、対面した時には、嫌な感じなどしなかった女性である。
(あまり疑うのも、ね……)
少し迷ったが、ヴァイナスはアンナにだけ告げると、指定された部屋を訪れた。
だが、そこで待っていたのは、美味しそうなお菓子と栗毛の癒やされるような雰囲気をもった女性ではなかった。
椅子にゆったりと腰かけた、マヤと同じ栗色の髪をもつ青年と――。
「……騙し討ちのような形になってしまい、すみません、奥方様」
扉の横の壁に寄りかかっていた背を正し、苦笑を浮かべたクロムだった。
「……これは……。一体、どういう事ですか、クロム」
「何と言ったらいいか……。とりあえず、中にどうぞ?」
「お断りします」
ヴァイナスは、申し出をぴしゃりと跳ね除けた。すると、部屋の中で唯一座っている栗毛の青年が、くっと低い笑い声をこぼす。
その笑い方が、自分を小馬鹿にしているように感じ、ヴァイナスはじろりと青年を睨み付けた。
「ノーゼリアの一の姫は、妹姫の陰に隠れているだけで自力で輝く力もない、添え物のような女だと聞いていたんだが……。なかなかどうして……気が強い。人の噂というのは、あてにならないな」
柔らかな色合いの栗毛に、キラキラと生気に溢れ輝く青色の瞳、そして何よりも自信に満ちている表情。十人に聞けば九人は、魅力的だと答えそうな青年だ。
不遜な物言いが、彼は人に傅かれる事に慣れている人間だと物語っている。
これくらいの年で、このような態度が許されるのは――と、考えたヴァイナスは、自然と一つの答えにたどり着いた。
「……興味深いご意見ですわね。でしたら今、貴方の目には、噂の添え物姫が、どう映っていらっしゃるのか聞いてもよろしくて?」
完全な外行きの口調と笑みで、ヴァイナスは栗毛の青年に、負けじと対峙する。
「かまわんぞ。……目の前にいる男が誰だか分かっていて、あえて試すような態度を取る……なかなか肝が据わった、ふてぶてしい女に見える」
挑戦的な笑みを浮かべた青年の青い目と、ヴァイナスの紫の目が交錯する。
ばちっと、火花が散った様な気がした。
「ふふふ……それは見立て違いでしょう。私は、ただのか弱い女に相違ありません。……お言葉を返すようですが、今仰ったことは全て、貴方にこそ当てはまるのではありませんか――義兄上?」
わざとらしい呼びかけの後、ヴァイナスはにっこりと笑みを浮かべた。
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