第24話 敵視
セレストは、ジェオルジの絡みつくような声を耳にした途端、目に見えて表情を強張らせる。
(……分かっていて邪魔をしに来たのでしょうね)
ヴァイナスは眉を寄せた。そして、迷いなく踏み出すと、セレストの前に立つ。
声をかけてきた相手に向かって、にっこりとよそ行きの顔を作り、笑った。
「これは、宰相。ごきげんよう。……もちろん、とても楽しいですわ。……ですが……そんな夫婦の語らい中に割って入ってくるなんて、いささか無粋でしょうに……なにか火急の御用でも?」
「殿下。これはまた随分と獣くさいモノをお連れだ。遊び相手として連れ回すのも結構ですが、貧相な見た目をなんとかせねば、侮られるのは殿下ですよ?」
(……上辺だけの態度すら、取り繕う価値がないと思っているのかしら)
憎たらしく思うものの、馬の涎のついた髪では獣臭いと言う言葉は否定できない。ヴァイナスは悔しさからギリッと歯噛みした。
悔しそうなヴァイナスなど、無視をして――いや、そもそも最初からヴァイナスが盾のようにセレストの前にいても、そんなものは全く見えていないかのように、ジェオルジはセレストを凝視している。
(本当に、気味が悪い)
セレストは、ジェオルジは自分を嫌っていると言っていた。しかし、今ジェオルジがセレストに向けている視線は、嫌いと言うには余りにも熱が入り過ぎている。かといって、甥に向ける視線にしては、親愛の情は見当たらず、ただ絡みつくような不快感がある。
「殿下、貴方に釣り合う見目の遊び相手ならば、私が見繕って差し上げましょう」
さぁ、と手を差し伸べ近づいてくる男。
ヴァイナスの生理的嫌悪感が、外行きの顔を作っていた理性を上回った。
「……セレスト様、もう行きましょう」
ぐいっとセレストの手を握り、ジェオルジから距離を取る。
ぴくり、と薄ら笑いを浮かべていた男の眉がはねた。
「これ以上ここにいても、貴方の耳を汚すだけ。品性を疑う不愉快な発言を聞かせられるだけです。私たちは、失礼します宰相」
「……妻殿……!」
「どうしました? まさか……この方の話に興味があるなどとおっしゃるのですか?」
「そんなものは、無い」
ならば問題ないとヴァイナスが笑うと、反対にジェオルジから笑顔が消える。
(……こういう所は、分かりやす方ね)
つい先程まで無視していたはずなのに、今は目をカッと見開いてヴァイナスを睨みつける白い顔の男。その額には青筋も浮いており、大層立腹していることが伺える。
だが、それで引く程度ならば、初めからセレストの前に立ったりしない。
――夫が妻を守ろうとしてくれるのならば、そんな風に懸命に立ち向かう夫を守るのは、妻の特権だ。
ヴァイナスは、ジェオルジに向かって勝ち誇った笑みを返した。
「……添え物風情がっ……」
「奥方様!」
憎々しげな表情と声。
きっとこれが、この男の素なのだとヴァイナスが身構えると、目の前に大きな壁ができた。
視線を上に向ければ、そこに立っていたのは息を切らせたクロムだった。
彼はヴァイナスやセレストを庇うように立ち、険しい顔で前を向いていた。日頃優しげに目尻を下げている男が、慌てて駆けつけるほどに、この宰相を警戒しているらしい。
クロムはそのまま、彼らしくない事務的な口調で宰相に問いかけた。
「主たちに、なにか御用ですか閣下?」
「……いいや、分不相応な野ねずみがウロチョロしていたからね、注意しておこうと思っただけさ」
「左様で。……申し訳ありませんが、奥方様は病み上がりのため、お疲れの様子です。ここで失礼させていただきます」
「病み上がりねぇ。ククッ、まぁ、構わないさ」
今さっきみせた、嫉妬まみれの顔が嘘だったとでもいうように、またしても貼り付けたような笑みを浮かべた男は、セレストから視線を外し、一点を見つめている。
「……せいぜい、注意したほうがいい。次は怪我だけでは済まないかもしれないからねぇ」
ジェオルジは、ヴァイナスを見ていた。
ぎょろっと目を見開き、口元を笑みの形に歪め――まるで獲物を見定めた蛇のような表情で、じっとヴァイナスを注視していたのだ。
「……行きましょう、お二方」
クロムに促され、ヴァイナスはセレストの手を繋いだまま歩き出す。
つい先ほどまではヴァイナスの存在を無視していたのに、背中には、ジェオルジからの突き刺さるような鋭い視線が、いつまでもいつまでも纏わりついていた。
◆◆◆
「……妻殿……」
不安そうな、セレストの声が横から聞こえる。
「奥方様、貴方って人はもう……!」
今にも頭を抱えそうなクロムの声も、少し後ろから聞こえてくる。
「……ごめんなさい……」
ヴァイナスも、理解していた。とてもまずい状況を作ってしまった、と。
ジェオルジに、完全に敵視されたという事だ。
自業自得といえど、もう少し賢く立ち回れなかったかと自分の短慮を責めてしまう。
しかし。
(……あの目は、駄目だわ……)
セレストを見る、あの男の目は普通ではない。そして、嫉妬にまみれたあの表情と、憎悪に満ちた声。
――ジェオルジは、セレストに常軌を逸した執着心を抱えているとしか思えなかった。
「……妻殿、貴方に護衛をつけよう」
しかし、セレストは自分の心配ではなく、ヴァイナスの心配をしていた。
「え?」
「……貴方は僕を庇ったせいで、たった今、伯父上に敵とみなされた。……あの方は僕を嫌っているから、一緒にいる貴方まで不利益を被ったんだ。すまない、僕は……」
「セレスト様、それは違います。……貴方といたからではありません。私個人と宰相個人が、合わなかっただけですよ」
「だが」
「違います、いいですね?」
念を押すヴァイナスを見上げたセレストは、眩しいものでも見たように目を細める。
「……貴方は強いな。……伯父上が怖くないのか?」
「そうですね、……正直今は怖いよりも、嫌いのほうが強いです」
「嫌い?」
「はい。……だって、夫婦の語らい中だから邪魔をしないで欲しいと言っているのに、割って入って来た挙げ句に、人を馬鹿にするんですもの。……嫌いです」
冗談めかして言うと、セレストも少しだけ笑った。
「そうだな。……二人きりだったのに……あれは確かに、いただけなかった」
そうやってセレストが笑えたことにヴァイナスはホッとし、クロムは驚愕する。
ぽんぽんとセレストの頭を撫でるヴァイナスを、クロムは何かを考えるようにじっと見つめていたが、ふっと目を伏せ口元を緩めると、二人のやり取りを黙って見守っていた。
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