第19話 一通の招待状


 本棚事件から、数日。大げさに巻かれていた額の包帯を、相応のものへ取りかえたヴァイナスは、日中は大抵セレストの部屋に招かれるようになっていた。そのおかげで、最近は与えられた私室でダラダラする事も少なくなった。


 今日も一緒に過ごしていたのだが、ふとセレストはヴァイナスの額に目をとめた。


「……妻殿、僕は考えたのだが」

「はい?」

「……一人の部屋は危険だと思う」


 少しのためらいの後、生真面目な表情を浮かべたセレストは、神妙に続ける。

 

「……あんな物が届いているのに、一人で過ごすのは危険だと思うと言っているんだ」

「ですが、侍女もおりますし」

「――っ、絶対駄目だ!」


 途端、セレストは急に大声を出しヴァイナスの言葉を遮った。見かねたのか、クロムが取りなすように口を開いた。


「殿下、あんまり奥方を困らせたらダメですよ。……夜は見張りの兵をつけるようにしたらどうですか? こちらの方で手配した兵なら、殿下だって安心でしょう?」

「……むぅ……」


 ヤレヤレと苦笑して助言するクロムの言葉にも、セレストは難しい顔で腕を組み唸る。


「……妻殿は、あの侍女との関係は良好なのか?」

「え? まぁ、そうですね。特に問題もないですし……彼女が、どうかしましたか?」

「いや……。その……侍女が貴方をとても心配していたとクロムが言うのだ」


 歯切れの悪い答えだ。


(急にどうしたのかしら?)


 チラリ、とヴァイナスがクロムを見れば、彼はいつもどおりニコニコと穏やかに笑っている。


「ほら、書庫の時ですよ。俺が教えた途端勢い良く行っちゃうものですから、侍女の娘が顔色変えてオロオロしてて……、唯でさえ鉢植えのこともあるのに一人で行動するなんてって、泣きそうでしたよー」

「……それは、悪いことをしてしまいましたね」


 でも……とヴァイナスは続く言葉を飲み込んだ。


(私、それを彼女に話した事なんてあったかしら……?)


 鉢植えの一件は、不安定な立場を自覚していたからこそ騒ぎになるのを恐れ、事故として内々で処理したはずだ。

 わざわざ侍女に、そんな話をした覚えはない。


 しかも、次の日には動物の死体が送りつけられ、一番どたばたしていた時期だ。まさか、知らないうちに零していたのかと思い悩むが、あの時期に――気を許していない人間相手に、露見すれば問題になりそうなことを話すだろうか?


(私にだって、それくらい考える頭はあるわ。……だったら、どうして彼女は知っていたの?)


 まさか、誰かが話したのだろうか。

 例えば――と、クロムに視線を向ければ、彼は愛想よく笑いつつも首を傾げた。


「……そういえば、書庫から私を運びだしてくれたのは」


 目が合った事に驚きつつも、ごまかすように別に用意していた質問を投げかける。


 聞いておいて何だが、ヴァイナスは意識のない自分を、セレストが運び出せるとは思っていない。 

 これはあくまで、話をそらすための誤魔化しの質問で、答えは決まり切っているのだが――セレストはムスッとした顔で押し黙ると、ついっと視線だけでクロムを示した。


「あぁ、やっぱりクロムでしたか。ご迷惑をおかけしました」

「いえいえ、とんでもないですよ。俺が行ったら、もうすでにセレスト殿下が血相変えて本やら棚やらをどかせようと必死になってましたから」

「クロム!」


 余計な事は言うなというような鋭い声が飛ぶものの、クロムは堪えた様子もなく悪戯っぽく片目をつぶって見せる。


「……ふふ、ありがとうございます、セレスト様」

「!! ……だから、それは元々僕のせいで……貴方はいちいち、僕に礼をいう必要はない」

「でも、嬉しいですから」

「…………。そうか」


 俯いて、視線をそらすセレストが耳まで赤くなって照れている様子に、ヴァイナスは暖かい視線をむけて微笑んだ。

 一方クロムは、あの時の状況を思い出したのか、気の毒そうに口を開いた。


「しかし、災難でしたね。偶然奥方に本棚が倒れてくるなんて」

「……そうですね」


 ヴァイナスは返事をしつつも、もう一度ちらりとクロムを見る。


 書庫に行ったのは、クロムが教えてくれたからだ。

 言葉通り、あの場にセレストは居たので情報自体は正しかったのだが……。


(……バカバカしい。私、ちょっと疑心暗鬼になってるのかしら。……クロムが私をわざわざあの場所に誘導したとか考えるなんて……)


 ヴァイナスは、ほんの少しだけとはいえ、クロムを疑わしい目で見てしまう己を恥じた。


 彼がセレストを見る目はとても優しく、悪意など見当たらない。

 そんな彼がセレストもいる書庫で、危険なマネをするわけがない、とまで考えたのだが、そこでまた嫌な方向に考えが進む。


 セレストがそう簡単に顔を出さないことを知っていれば、ヴァイナスだけを狙うことも可能ではないかと。


(……でも、私を標的にするなら、それこそ先回りしてなきゃ駄目よね。……可能性は、低いわ)


 ただ、一度芽生えた猜疑心というものは中々しつこい。可能性を無いと断言できず、ついつい疑ってしまう自分を、ヴァイナスは嫌な人間だと思ったが念の為にとクロムのことを頭の片隅留めておくことにした。


 彼がセレストを裏切ることなどないだろう、杞憂だった。


 後でそうやって自分の愚かさを笑えばいいのだと思いつつ、ヴァイナスは一応クロムには疑惑の目を向けてしまったことを心のなかで謝罪した。 


「俺の顔になにかついてますか、奥方様?」

「え?」

「いや、じーっと見てくるので、なにかなぁと。……さすがに、俺も恥ずかしいというか」

「あぁ、いえ、すみません」

「……あと、殿下の機嫌がものすごく悪くなってますよ」


 こっそりと伝えるような仕草ながらも、その声はテーブルを挟むセレストにも丸聞こえだ。


「悪くない」


 間髪入れず、機嫌が悪そうな否定の返事が返って来た。

 見れば、セレストはじとーっとヴァイナスを見つめて……いや、睨んでいる。


「セレスト様?」

「……身長か……? やっぱり、身長なのか? ……僕だって、後数年すればきっと……!」

「セレスト様は、そのままで十分素敵ですよ」

「え? 本当か?」


 身長、身長とブツブツ呟き出したセレストにヴァイナスが声をかけると、目に見えてセレストの表情が明るくなった。


「はい。とても可愛らしいと思います」

「……何?」


 そして、次の瞬間にはたちまち無表情に変わる。


(あっ! これは、またやってしまったかも……!)


 ヴァイナスが思った時には、既に遅く。


「妻殿。僕は前にも言ったはずだ」

「は、はい」

「男に。男である、この僕に! 可愛い、などという言葉は、断じて褒め言葉ではない!」

「その通りでした、ごめんなさい」


 ヴァイナスにしてみれば、純粋な褒め言葉。それも本心からの言葉なのだが、禁句である。

 前も怒らせたというのに、人間というものは正直だ。心から思っている言葉は、意図せずとも、ついうっかり口から零れてしまのだ。

 ヴァイナスは、自分の迂闊さに対して、誰にともなく言い訳した。

 だが、心の赴くままに「可愛いらしいのだから、だから仕方がない」等と叫べば、恐らくセレストはしばらく、口を利いてくれなくなるだろう。


(……それはちょっと、嫌だわ)


 これからは、正直な発言は慎まなければと、心に誓う。


「いやぁ、仲が良くてなによりですねー」


 のほほんと笑うクロムだけが、とても平和そうであった。


◆◆◆


 このまま平和な時間が、のんびりと過ぎていこうかという頃、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。


「――」


 セレストが、それまでの不器用で照れ屋な少年の顔から一変。第二王子の顔つきになり、居住まいを正す。


「誰だ」

「見てきます。お二方は、このままお待ちを」


 扉に近づき、短く声をかけたのはクロムだった。

 ボソボソと二、三言葉を交わした後で扉を開け、何かを受け取って戻ってきた。


(何かしら?)


 ヴァイナスはその様子を見ているだけだったが、セレストは戻ってきたクロムの手にある封筒に目をとめると、眉を寄せる。


「……突き返せ」


 低く呻くような主人の命令に、クロムは緩く左右に首を振った。


「そうはいかないんですよ、殿下。……これは、奥方様への招待状です」

「なんだと?」

「私に……?」


 驚いたように椅子から腰を浮かせるセレストに対して、状況が読めないヴァイナスは、不思議に思い首を傾げた。


「どうぞ、奥方様。……現王唯一の側室、マヤ様から。茶会の招待だそうです」


 クロムから渡された封筒からは、優しい花の香りがする。女性らしい、細やかな気遣いだ。

 しかしなぜ自分に、それも今になってこんなものがと困惑したヴァイナスは、セレストを見た。


「あの、私が参加しても問題ありませんか?」

「……参加する気か?」

「はい。いい機会ですから」

「……わかった」


 ふぅ、とため息をつくとセレストはクロムを見た。


「マヤ殿に、伝えておけ。先日の茶会の誘い、喜んでお受けすると」

「殿下も参加するんですか!?」


 ぎょっとしたクロムに、当たり前だとセレストは頷いた。


「その誘いは、僕にも来ている。いつも適当な理由をつけて断っていたから、今日も返事の催促かとおもったが、……まさか貴方にまでちょっかいをかけるとは……。妻殿だけ参加させるわけにはいかない。……僕とて男。妻殿は僕が守ってみせる……!」

「で、殿下? まるで戦場に向かう戦士のようなんですが……。あぁ、奥方様大丈夫ですからね? 普通の、ほんっとに、普通のお茶会ですから!」


 セレストの並々ならぬ気迫と、クロムの必死の弁明が逆に何かありそうで怖かった。

 ヴァイナスは顔を強張らせ、身を引いてしまう。


「ほら引いてる! 殿下、奥方様めちゃくちゃ引いてますから!」

「大丈夫だ、妻殿。何があろうと、僕が付いている……!」

「……あの、そんなに恐ろしいものなのですか、イグニスの茶会って……? ――お、お鍋を被っていけば、頭は守れますよね?」


 セレストとクロムの温度差に段々不安になってきたヴァイナスは、ついつい自身も妙なことを口走ってしまう。

 すると、セレストが鷹揚に頷いた。


「いい案だ。だったら……鍋の蓋も必要だな。あれは、いざという時の盾になるから。――おいクロム、厨房に行って二人分借りて来い。後は……まな板だな。腹に仕込む」

「大真面目な顔で、何馬鹿なことを言ってるんですか、お二人方……! 奥方様は鍋をかぶる必要ないですし、蓋はおいて行ってください殿下! まな板なんて以ての外です!」


 あやうく使いっ走りに出されそうになったクロムは、大慌てで主夫婦をたしなめる。

 しかし、文句があるのかといわんばかりに睨むセレストを見て、こめかみを抑えた。


「……あのねぇ、殿下。そんな顔で睨んだって、俺は間違っても借りに行きませんよ? 何度も言いますけど、本当に、ただの、普通の、ごく一般的なお茶会なんですから!」


 念を押すクロムに対して、ヴァイナスはその普通と言うものが一番怖いのだと胡乱な目を向けたのだった。

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