第20話 マヤという人


 ぴちちち……。

 どこからか鳥のさえずりが聞こえる、よい天気だ。


 芝生に設置されたテーブルには、真っ白なテーブルクロスがかかっており、その上には焼き菓子やタルト、そして温かいお茶が入ったティーカップがのっている。

 そよぐ風が心地いい、外での茶会だった。


「さぁ、遠慮しないで沢山食べてくださいね!」


 うふふと嬉しそうに笑っているのは、少女めいた可愛らしさを持った、栗毛の女性。

 彼女の笑顔につられて、こちらも笑顔になってしまうような優しげな雰囲気を持っている。

 しかし、そんな存在を前にしても、レストの表情はピクリとも動かない。


(……どうしましょう……もの凄く、気まずい状況だわ)


 笑顔の女性こそ、イグニス王国の現王唯一の側室である、マヤだ。


 セレストの亡くなった母親が王妃であり、目の前でたおやかに微笑む女性との間に起こった様々な事情を思えば、セレストの頑なな態度は、仕方のない事なのかもしれない。


 しかし、ならば無理せずセレストにはお留守番してもらいたかったというのが、ヴァイナスの本音だ。


 歓迎を全身で表すマヤと、出会った頃より三割増しで冷ややかな顔をしているセレストの間には、とてつもない温度差があって、見ている方がいたたまれない気分になってくる。


(久しぶりに、胃痛が……)


 ヴァイナスとしては、どんな相手か直に確認したかっただけなのだ。マヤという側室が、どんな人物か分からなかったから。


 ただ、断り続けていた筈なのに、妻に付き合い自らも参加すると言い出したセレストの口ぶり……――そして、クロムが大げさなまでに連呼した「普通のお茶会」という言葉から、脳内ではかなり気が強いくせ者を想像していた。

 

 だが、身構えていヴァイナスを出迎えたのは、マヤという女性は、くだらない妄想とは正反対の、ふわふわとした優しい雰囲気の女性だった。


 仮に、己が想像するような人間だった場合、セレストも関わっている過去のいざこざを持ち出して、ちくちく苛められてはかなわないと思っていたが、どこからどう見ても、意地悪をするような人には見えない。


 そうなると、ヴァイナスは自分の隣で、妙な緊張感を放っているセレストの方が気になってくる。


 今までは、あれこれ理由をつけて断っていたというのだから、今回も無理などせず欠席して欲しいと何度も言ってみたのだが、セレストは鍋の蓋の持ち込みは断念しても、夫婦揃っての参加だけは、頑として取りやめなかった。


 ヴァイナスは、優しげな笑みを浮かべているマヤと、無表情で椅子に座っているセレストをこっそりと見比べ、二人が醸し出す正反対の雰囲気に、どうしたものかと遠い目をした。


 その間も、マヤは嬉々としてもてなしの準備をしているのだが――。


「クッキーをどうぞ。こっちは木の実、隣は茶葉を生地に混ぜ込んでいるの」 

「……」


 セレストは、何も話す気はなさそうで黙っている。

 会話を楽しむ気は無い……――気を張っている状態のセレストに気付いて、ヴァイナスは自分が率先して会話する役を引き受けた。 


 そうでなければ、夫婦揃ってマヤを無視したことになってしまい、実に感じが悪い。

 どこに耳と目があるかもわからない現状、下手をうてば自分だけではなくセレストにまで、いらぬ悪評が付きまとうかも知れない。


 ヴァイナスは、久しぶりに気合いを入れ、よそ行きの笑顔をくっつけた。


「はい、ありがとうございます、マヤ様。……まぁ、とても良い香りですね、おいしそう」

「どうぞ、たくさん食べて! 甘い物はお好きかしら? よかったら、こちらのタルトもどうぞ。わたしの自信作なの!」


 反応があったことで、マヤがほっとしたように肩の力を抜いた。彼女も笑顔の下で、緊張していたらしい。

 瞳を輝かせ、ヴァイナスに色々とすすめてくる。


「もしかして、ここにあるお菓子は、全てマヤ様がお作りになったのですか?」

「えぇ、そうよ。お菓子作りは昔から得意なの。……わたしの育った田舎は、果物が特に豊富にとれたから」


 そこまで言って、マヤはあらやだと口元に手を当てて頬を染めた。


「ごめんなさいね、一人でペラペラ話したりして。なんだか舞い上がってしまって……。――でも、二人がこうして来てくれて、本当に嬉しいの」


 微笑むマヤの表情はとても穏やかだ。

 そして、ひどく優しい眼差しで、テーブルに並んで座るヴァイナスとセレストを見ている。


 ヴァイナスは、イグニス王の側室がどんな人なのか知っておきたいと思ったので、ある程度の嫌味は覚悟して招待を受けた。


 だが、始まったのは三人だけのひっそりとした茶会で、マヤからは値踏みするような視線を向けられる事も、探るような物言いをされたりもしない。


 主たるマヤの気質そのままの、穏やかで雰囲気のいい茶会である。


 ぜひ食べてほしいと、自信作のタルトを自ら切り分けるマヤに、ヴァイナスは慌てた。


「いいのよ、座っていて。わたしに、おもてなしさせて欲しいの」


 ふわりとした笑みを向けられれば、それを取り上げる事の方が悪い事に思えてしまい、ヴァイナスは困惑しながらも着席した。


 マヤの期待に満ちた視線を感じながら、切り分けられたタルトを口に運ぶ。


「――ん……おいしい……!」

「ほんとう? 嬉しいわ! たくさん食べてね!」


 ヴァイナスが、思わず声に出すと、マヤは本当に嬉しそうに笑った。


(この方の雰囲気……誰かに似ていると思ったけど……アイリスに似ているんだわ)


 目の前にいる女性の砂糖菓子のように甘く、ふわふわとした雰囲気は、甘え上手な妹を思い出させた。


(……あの子、今どこで何をしているのかしら……?)


 置き手紙を残して姿を消してしまった妹は、今どこで何をしているのだろう。


 無事だろうか、泣いてはいないだろうか?

 不自由はしていないだろうか?


 そんな、姉らしく駆け落ちした妹を心配する気持ちのほかに、つい複雑な思いが込み上げてきた。


(本当なら、この国がまっていたのは、アイリスだったのよね……――添え物ではなくて)


 隣にいる心優しい少年と出会うべきだったのは、ノーゼリアの宝だった妹の方だった。


 そして、妹ならば……きっと広く人々に受け入れられただろうし、セレストの心に傷にもいち早く気付き、癒やしてあげられたかもしれない。


 全てにおいで出来勝っていた自慢の妹ならば……――セレストを泣かせたりせず、もっと上手く……。


 己の至らなさ加減に落ち込みかけたヴァイナスは、隣から聞こえてきた声で、ハッと我に返った。


「妻殿? どうした、気分でも悪いのか?」


 隣に座っていたセレストは、ヴァイナスの手を軽く引っ引っ張る。

 マヤも心配そうな顔でヴァイナスを見つめている。


「まぁ、大丈夫……? お医者様を……」

「……っ、も……申し訳ありません。大丈夫です」

「そうか? ……なんだか、悲しそうな顔をしていたぞ」


 上手く笑えたつもりだったが、セレストには大丈夫には見えなかったようだ。ぐっと眉間にしわが寄り、誤魔化そうとしていた事を指摘してくる。


(――悲しそう……)


 ヴァイナスは納得した。

 本来ならば、自分はここに居なかった人間だ。


 こうしてセレストと一緒にいるのは、自分では無かった――そう考えて急に寂しくなったなどと、子供っぽくて言えるはずもない。ましてや、顔に出るほどだったとは。 


 これではいけないと、ヴァイナスは改めて気を引き締め、笑顔を浮かべた。


「本当に、大丈夫です。ただ、マヤ様が妹に似ていたので……つい。思い出してしまい」

「そうだったの……」

「……妹……」


 マヤはヴァイナスの言葉に同情したのか、表情を曇らせる。

 セレストも、なにか思うところがあるのか小さく呟いた。


 この妙にしんみりした空気をなんとかしなければと、ヴァイナスは再度お菓子を褒めようとした。しかし、先に神妙な顔をしたマヤが口を開いてしまう。


「……わたし、お二人には謝らなければと思っていたの」

「え?」


 突然、謝ると言われても、ヴァイナスには何のことだか分からなかった。

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