第17話 添え物は心を決める
最後。
その言葉に、ヴァイナスの心臓が大きく跳ねる。
つまり、王妃は……。
「母上は、次の日首を吊っていた。……言った通りだろう? 僕が殺したんだ」
「違います!」
間髪入れずに否定したヴァイナスに、カッとしたようにセレストが声を荒らげた。
「違わない! 僕が殺した! 僕さえ生まれてこなかったら、母上は死んだりしなかったんだ!!」
「貴方は殺していません!」
その肩を掴むと、ヴァイナスは強調するように、もう一度、はっきりと否定する。
虚をつかれたように息を呑んだセレストに、ヴァイナスは今度は静かに繰り返した。
「セレスト様は、お母様を殺していません」
「……貴方は、優しいから、そう言ってくれるんだ……」
「違います。第三者である私の目から見たら、どう考えたってセレスト様がお母様を殺めたとは考えられないから、違うと言っているんです」
ヴァイナスは、人間の善性を信じて罪を犯した者を庇うといった聖人のような精神構造はしていない。優しさから、黒いものを白だというような性格でもない。
ごく普通の、王族だという以外はどこにでもいるような性格の人間だった。自分は凡庸な人間であると自覚するヴァイナスでさえ、これは違うと思う。
カメリアの最後の行動は、明らかにセレストを守っている。
産まなければよかったという発言さえなければ、それまでの行動は全て、危険から我が子を必死に守っている母親にしか見えない。
ましてやセレストの殺した発言は、明らかに違う。
首を吊っていたということは、自殺だ。
最後に会っていたのはあの宰相なのだから、セレストが気に病むことのないように動くことはできただろうに……おそらく、そんなことはしなかったのだろう。
「お母様に最後にお会いしたのは宰相ですよね? 彼はなにか言ってなかったのですか?」
「……伯父上なら、すぐに駆けつけてきて、僕のせいだと怒っていた。僕さえいなければ、母上はこんな事しなかったと、今まで見たこともないくらい激昂していた。……だから、僕は彼にも嫌われている」
なるほど、セレストが彼を伯父上と呼ばずに宰相と呼んだ理由はそれかと納得しつつも、ヴァイナスは宰相の対応の悪さに舌打ちしたくなったのを堪えた。
どうやらあの男は、いい年をして言って良い事と悪い事の区別もつかないらしい、それでよく宰相などが務まるものだ、仕事と私生活とは別なのかもしれない――あるいは、わざとそうやって振る舞ったか。
目隠しされているような、気分だった。
カメリアの言動が、どうしても引っかかった。
――彼女は、本当にセレストを疎んじていたのだろうか?
セレストから話を聞いただけでは、どうしてもそうは思えなかった。言っている事と行いが、一致していないせいもあるかもしれない。
カメリアには、なにか大きな秘密がある。
それは、セレストには言えないことだったのだろう。彼女は、自身を責め続ける息子を一人残し、逝ってしまったのだ。
「……これで、貴方に隠していたことは全部だ」
「……」
「僕のことが怖くなっただろう? だって、近付かれただけで不幸になるんだ」
笑っているつもりなのだろうか。
震えた唇が、いびつな形を作っている。
笑いたくないくせに、無理やりにでも笑って、大人の顔を取り繕うとする少年に、ヴァイナスは困ったように笑いかけた。
「――セレスト様のお馬鹿さん」
「……なに?」
「貴方は本当に、お馬鹿さんですよ」
ヴァイナスは、そのまま柔らかそうなほっぺたに手を伸ばすと、かるくつねった。予想外だったのか、セレストは目を白黒させる。
「私は何度も言いましたね? 貴方のせいではないと」
「……」
「それは私が優しいからだとか、そんな理由ではありません。心の中では貴方のせいだと思っていても、傷つくかもしれないからと嘘をつくほど、人間できていませんから」
何か反論しようとするセレストを、黙って聞いてくれと押しとどめ、ヴァイナスは続ける。
「貴方のせいではないと思ったから、違うと否定する。ただそれだけです。……貴方の話を聞いた今も、思う事は変わりません。この先、何度聞かれようと、私の答えは同じです。――何一つ、貴方のせいではありません、セレスト様」
「――」
「話してくれて、ありがとうございます。……辛い事を言わせてしまいましたが、私は貴方のことを知ることができて嬉しく思います」
「……嬉しい? ……嫌じゃないのか? 気持ち悪くないのか?」
戸惑うようなセレストの声に、ヴァイナスは迷いなく頷いた。
「ねぇセレスト。貴方の荷、私に少し背負わせて下さい」
「……は?」
「勿論、何もかも理解できているわけではありません。……ただ、貴方がそうやって一人で抱え込んでいるものを、私にも一緒に背負わせてほしいのです」
目に見える荷物ではないのだから、それならこっちをお願いとは、簡単にできない。分かっている。
しかし、ヴァイナスはセレストを支えたいと思ったのだ。支えるのだと、決意したのだ。
「……貴方は、いつも予想外のことばかり言う……」
セレストは呆然とヴァイナスを見つめた。
「僕は、貴方に嫌がって欲しかったのに……嫌いだと、言って欲しかったのに……! そうすれば、もう二度と貴方に近づかないから、不幸にすることもないって、そう思ったのに……!」
あぁ、本当にこの子は他人の心配ばかりしている――ヴァイナスは、言い募るセレストを見て、胸が締め付けられた。
「不幸になんてなりませんよ。貴方に出会ってからずっと、私は毎日楽しくて、幸せです」
「……ほんとに?」
「はい。だから、背負わせてください。夫婦なんですから、私達は支えあって生きていくべきでしょう」
「……僕は、すごく重たいかもしれないぞ……?」
涙混じりにつぶやくセレストに、ヴァイナスは笑って答えた。
「まだ、お伝えしておりませんでしたね。――私はこう見えて、実はすごく力持ちなんですよ」
途端、セレストは肩を震わせ抱きついてきた。頭を撫でると彼はわんわん泣き出す。
それは、初めてみるセレストの本当の泣き顔。
子供が子供らしく泣いてくれた事に、ヴァイナスは安堵を覚える。
(この子の心は、まだ死んでいない)
セレストと言う十歳の少年の柔らかい心は、傷だらけだ。それでも、生きている。
ならば、自分がこの先することは一つだけだと、ヴァイナスはセレストを抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。
(私が、貴方を守ります)
周囲が彼に、大人であることを求めるのならば、自分はセレストをただの男の子として扱おう。
どんな時でも、絶対的な味方であろう。
この照れ屋で、不器用で――優し過ぎる少年を、うんと甘やかしてやろう。
ヴァイナスは、うっすら目元に涙を浮かべ決意する。そして、セレストが泣き止むまでずっと抱きしめていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます