第16話 セレスト・イグニスの後悔
カメリアが離宮に移ってから、嫌がらせはピタリとなくなったらしく、遠目でみる兄の表情も以前より明るくなっていたとセレストは言う。
反対に、セレストの周りからは人が消えていったものの、その理由はわかっていたと呟いた。
王は側室とその子供を守った。
その事が広まり、次期王は第一王子で揺るぎないと誰もが考え、乗り換えたのは明白だった。
そして王妃は療養中などとなれば、もはや敗北は確定。
嫉妬に狂って王の宝に手を出した馬鹿な女とあからさまに揶揄する声も、セレストの耳に届いた。
セレストは聡いといえど子供だから、わからないと思ったのか、耳を塞ぎたくなるようなものばかりだったという。
「僕が書庫にこもるようになったのも、それからだ。わざわざあそこまで来て馬鹿な噂話をする人間はいなかったから」
「……そうだったのですか……」
「……母上の見舞いにいく以外は、だいたい書庫にいた。……母上には、僕と伯父上以外見舞う人がいなくて、……みんな、惨めな王妃だと、笑っていた」
嫌な言葉だとヴァイナスも顔をしかめる。
せめて分からないようにすればいいものを、どうしてこういった手合いはわざわざ目につく場所でそういうことをするのか、大嫌いだと顔も知らない人間たちに対して憤りを覚える。
(……けれど、伯父である宰相は、お見舞いに行っていたのね。……あの、蛇のような男は……)
だとすると、セレストと伯父の間に流れる奇妙な緊張感はなんなのだろう。
どう見ても、伯父に懐いているようには思えなかった。
母親を見舞う数少ない人間である伯父にならば、もう少し懐いていても……と考えて、ヴァイナスにとっては、不愉快な蛇男という印象しかないジェオルジの言葉を思い出した。
『……なにぶん、貴方は私の愛する妹の忘れ形見……子もいない私には、僭越ながら幼いころより見守ってきたセレスト殿下こそが我が子同然に思えてしまい……』
言葉の上辺だけをなぞるならば、甥を心配する優しい伯父だ。
しかし、この時ヴァイナスは、ジェオルジをただの優しい伯父とは思わなかった。気持ち悪いくらいに優しい、とは思ったが。
口が裂けてもセレストには言えないが、宰相がセレストを見る目も彼に向ける笑顔も、全てに絡みつくような粘着質なものを感じてしまい、気持ち悪いと思っていた。
今セレストの話を聞いて、確信する。
(愛する妹の忘れ形見? 幼いころから見守ってました? それなら、どうしてセレスト様は、こんなに思い詰めているの!)
普通、母親に関して罪悪感を持っている子供に対して、貴方は自分の妹の忘れ形見ですから……云々と言うだろうか。罪悪感を刺激する言葉に他ならないのに。
そもそも、我が子同然に思っているのならば、こんなになるまで放置したりしない。
見舞いに行っていたのなら、セレストの様子だってわかるはず。それでなくとも、口さがない噂が蔓延していた時期があったのだ、セレストを思っていたのならば普通、その時点でなんらかの手を打つはずだ。
(やっぱりあの男嫌い……、いいえ、大嫌い! 最低だわ! ――許せない……!)
クロムが警戒心むき出しで接する理由も、これで判明した。
間違いなくクロムはセレストの事情を知っている。だからこそ、あの男の悪意に勘付いて、常に間に入っていたのだろう。
ジェオルジは間違いなく、セレストの傷を抉って楽しんでいるのだ。
小動物をじわじわいたぶる様に、しつこく執念深く、じわじわと――そこまで考えて、ぞっとした。まるで、セレストが壊れる瞬間を待っている様ではないか、と考えてしまったのだ。
(駄目だわ……。セレスト様をあの男に近づけたら、駄目になってしまう……!)
二度とあの男と関わらせるまいと、ヴァイナスは強く心に誓う。
「……母上も、良くなるどころか、どんどん……」
「……」
「伯父上には、しばらく来ないように言われた。僕が母上を追い詰めているからだと。その通りだ、だって僕のせいだったんだから」
「まさか、宰相が貴方にそう言ったのですか?」
「え? ……うん、だが事実だ。おかしな事ではないだろう」
自身を責め続けていたセレストには、どれだけおかしいことを言われたか自覚がないのだ。
きっと彼の感覚は、麻痺している。
いいや、そうなるように、仕向けられていた。
グッと奥歯を噛みしめ、なんとか激情をやり過ごすと、ヴァイナスは首を横に振った。
「いいえ、セレスト様。その言い分はおかしいです。どこの世界に、傷ついている子供に対し、そんなことを言う大人がいますか……!」
あまりにも悪質だ。母親の言葉に傷ついているセレストに、そんな事を言ったのだとしたら……セレストの現状は間違いなくあの宰相のせいでもある。
「……貴女は優しいな。でも、それは正しい言葉だったんだ。僕は、言いつけを守るべきだったのに、どうしても母上に会いたくて……。ならば侍女が花を持っていけばいいといって持たせてくれたんだ」
お花を持ってお見舞い。
きっと可愛らしい光景だっただろう。
しかし、微笑ましい美談で終わる気がしない。
嫌な予感がする。
「……母上は、その花を見るなり、床に叩きつけて、僕をぶった」
「ぶった……!?」
「僕が悪い。……その花は、毒性の強い花だったんだ。口から摂取しなければ、問題はないが、……花の蜜にも毒が含まれていて、僕は知らずに母上に持って行った。蜜も吸えるんだよ、と得意気に。母上には、自分の息子がさぞかし恐ろしい化け物に思えただろうな、毒花を見舞いだと、もってきたのだから」
無知の罪が引き起こした悲劇だが……。
「その花は、花を持って行けと勧めた侍女が、貴方に渡したんですよね?」
「……あぁ、そうだ」
つまり、セレスト自身が命を狙われていた可能性もあるのだ。
蜜も吸えるんだよと言って、彼が実演して見せていたら、死んでいたのはセレストだ。
母親ならば半狂乱で止めるだろう。
「……僕は、その日、泣いて帰った。花をくれた侍女はどこにも見当たらなかった」
やっぱりかと、ヴァイナスは顔を歪める。
セレストとその母カメリア。
この親子は、悪意で囲まれた檻に入れられているような状態だったとしか思えない。
「僕は、馬鹿だったから……本当に馬鹿だったから、それでも母上に会いたがった。母上は僕を嫌いなんだから、諦めればよかったのに、……傍に、いたいなんて思って……」
そんなこと誰も望んでいなかったのに、と小さな呟きがヴァイナスの耳に届く。
「母上の関心を引きたくて、必死になった。でも、何をやっても駄目だった。勉学も剣術も、どれだけ頑張っても、母上はもう笑ってくれなかった」
「……」
「ある時だ、母上の体調がいいからと、茶会をしたんだ。僕と、母上、あとから来た伯父上の三人だったけど、それでもよかった。もうすぐ、僕の誕生日だからと母上が言ってくれたんだ、それだけで嬉しかった」
覚えていくれた――それだけで、セレストは喜んだのだ。豪華な誕生会ではなくても、母親が自分が生まれた日を祝ってくれると言うだけで、胸を弾ませていたに違いない。
「でも、茶会が始まってすぐ、僕が食べようとしたお菓子を、母上が叩き落としたんだ」
まさか、また……と考えてしまったヴァイナスは、どうか自分の予想が外れてくれることを願った。
「お菓子に、針が、仕込まれていた」
「!!」
「あの優しかった母上が、……とても怖い顔をして、そのお菓子を踏みつけて、お茶もなにもかもテーブルの上のもの全てをひっくり返して……、泣きながら僕に言った、お前を産まなければよかったと」
一体この子が何をしたと言うのかと、ヴァイナスまで泣きたくなった。
「僕は伯父上に出て行くように言われて、……逃げ出した。あんな母上を見ていたくなかったし、もう何も聞きたくなかった」
でも、とセレストは無理やり笑顔をつくってヴァイナスを見上げる。
「僕は逃げるべきじゃなかった。あれが最後だったのに……!」
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