第15話 ささやかで困難な望み


「……」


 ヴァイナスは、詰めていた息をゆるゆると吐きだした。


 ――セレストが話してくれた過去。途中までは、カメリアの状況に同情していた。


 ヴァイナスは、自身がノーゼリアにて添え物姫と呼ばれている事を知っていたが、陰で笑われているのをうっかり聞いてしまった日は、非常に不愉快になったものだ。


 過去には部屋の花瓶を壁に投げつけ壊したり、笑われる原因である地味な自分の姿がしっかりと映ってしまう鏡を衝動のまま叩き割った事もある。


 今でこそ、落ち着いており、ある程度の開き直りを身に着けたものの――昔は本当に何もかもが嫌で嫌で仕方がなく、周りすべてが自分を馬鹿にしているのではないかと疑心暗鬼になっていた。


 セレストの母親も、そうだったのかもしれない。味方がいない、かといって弱音を吐き出すなんていう無様なことはしたくない……。


 どうしようもなくグチャグチャした感情というものに覚えがあるヴァイナスは、カメリアにかなり共感していたのだ――だがしかし、最後の最後で、その同情心は全て吹っ飛んだ。


「母上は、いつも言っていた。僕のせいだと」


 セレストのせいとはどういう意味だと、ヴァイナスの眉がつりあがる。


 今までの話の流れでは、セレストは一切関係ない。

 生まれる前の出来事が、主な原因である。

 むしろ彼こそ、生まれながらにしてゴタゴタに巻き込まれている。全力で守るべき存在であるはずなのに、なぜそこでセレストのせいだとなるのかが理解できない。


「僕がいるから、何時までたっても自分は楽になれないのだと」

「――ぁ……」


 カメリアは、王妃という立場になった。

 心は一切通わない、役割だけの王妃だ。

 そのせいか、精神面で苦労をしていたようだった。


 セレストがいるから、彼を守る後ろ盾という意味で、どれほど苦痛でも王妃という立場を降りることができないという事だったのか。それとも言葉通りセレストのせいでと言ったのは八つ当たりだったのか。


 正解を知る王妃は既に故人であるため、ヴァイナスは彼女の言葉の意味を想像することしかできない。


「……何時までたっても、楽になれない?」


 ただ、その一言は引っかかった。

 セレストを守るために王妃であり続けた――これなら、少しは救いにならないだろうかと考えた。

 しかし、下手をすれば傷をえぐりかねない。今は推測で物を語らず、セレストの話をよくきくべきだと、ヴァイナスは続く言葉に耳を傾けた。 


「そうだ。僕は、子供だった。状況が理解できていなかった。だから、母上が止めるのも聞かず、馬鹿なことをした……」


 今だってまだ守られて然るべき子供だというのに、まるで大人のような口ぶりで震えながら語るセレストの姿は痛ましい。


「……今思えば本当に浅はかで愚かなことだが、……兄上と、仲良くなりたかったんだ……!」


 とうとう堪えきれなくなったのか、しゃくりあげたセレストは、乱暴に自分の目元を拭って、なんとか涙を止めようとしている。


 ――兄と仲良くなりたい。


 本来は、とても微笑ましい願い事だ。それなのに、なぜこうも悲しいのだろう。


 ヴァイナスはやり切れない思いでセレストに手を伸ばした。

 やはり、その手を拒絶するセレストの意向など今度は無視して、その頭をぎゅっと抱き寄せる。


 離せと言うように、頭を振られるが、誰が離すかと思いながらヴァイナスは言った。


「泣いてもいいんですよ」


 ピタリ、とセレストの動きが止まる。

 月並みでしかない、慰めにもならない言葉だとヴァイナス自身思う。

 しかし、もうそんな言葉しか出てこなかった。


「貴方は泣いてもいいんです、セレスト様」


 全てを過去形でしか語れず、泣く事さえ自身に禁じようとしているセレストには、もうそれ以外の言葉をかけようがなかった。


「ーーなかよく、なりたかったんだ……! でも、兄上は、僕が近づいたら、すごく、怒ってて……! 僕達に嫌がらせされてるって……! 僕は、そんな事していないのに!」


 決壊したように泣きじゃくるセレストの頭を撫でながら、ヴァイナスはうんうんと頷く。

 当然、セレストが直接嫌がらせをしたわけではないだろう。

 派閥ができていたというのなら、その中の誰かが仕掛けていたに決まっている。


「僕が、泣いたせいで、……母上も、怒っていた、……そしたら嫌がらせが悪化して、兄上が怪我をしたって聞いたんだ……」


 知らなかったと、セレストは言う。 

 しかし知らなかったで済まされなかったのだと、泣く。

 僕が悪い、僕のせいだ、僕が泣くから、僕が考えなしだったから。

 延々と自分を責めるセレストの言葉を遮るように、ヴァイナスは繰り返した。


「泣いてもいいんです。……悲しいことがあったら、涙がでるでしょう。痛いことがあったら、泣きたくなるでしょう。生きてる以上、泣くのは当たり前です。泣いた自分が悪い、なんて思わないで下さい」 

「でも、兄上が怪我をしたのは、事実だ……! 父上は、兄上たちを守って、母上を叱ったんだ、手綱を握れって……! それで母上はおかしくなった……!」


 側室を庇い、自分たちを責める王。

 優先順位を見せつけられた形に、王妃の誇りはズタズタに傷つけられたのだろう。


 それについては、ヴァイナスも同情する。

 しかし、それを子供の目の前でやり取りした大人たちの神経は信じられないの一言に尽きる。

 

 いざこざがあり、諭すのはいい。

 しかし、そう言った場面を子供の前で繰り広げるのはよろしくない筈である。

 ましてや、母親の心が折れた瞬間など、子供に見せていいものではないだろうに。


「それは、セレスト様がいくつの時だったのですか?」

「……僕が、六つの時だ。その日は僕の誕生日だからと、母上の機嫌もよくて、……お気に入りの、赤いドレスを、着ていて……父上が部屋を訪ねてきた時も、すごく嬉しそうだったのに……」

「あぁ、ごめんなさい、辛いことを言わせてしまいましたね。……六つですか、……それもお誕生日に……。よく我慢しましたね」


 子供にとって誕生日は、一年の中で一番わくわくする日だ。


 よりにもよって、そんな日に……と、怒りがわく。同時に、セレストが不憫すぎて、ぎゅうっと抱きしめた。


 しかし、セレストは違うのだと首を振るのだ。


「僕は我慢なんかしていない、ただ、父上が怖くて何も言えなかっただけなんだ。誕生日だって、兄上が怪我をしたから、お祝いも中止になったんだ……だから、母上がこっそり二人だけでお祝いしようって……」


 癇癪持ちで、息子にお前のせいだというような女性だ。


 どれほど自分勝手な人だろうと考えていたが、今のセレストの言葉を聞くと、息子の誕生日を喜び、気に入りのドレスを着て祝うような一面を持っていたのだ。自分の子供に、愛情が無かった……とは思えない。


 そこまで考えて、母上がおかしくなったという言葉からある可能性が浮上した。


 お前のせいだとか、そんな事を言い出したのは……この後からではないか?


 あくまで、ヴァイナスの推測でしかなかったが、セレストが自分の母を見ておかしいと感じたのが、彼の六歳の誕生日。


 この日までは、癇癪持ちで物や人にあたるのも確かだったが、それでも自分の息子であるセレストに対してだけは、愛情を持って接していた母親だったのではないだろうか。


(……でも、それでは何の慰めにもならないわ。……余計に酷い……)


 初めから、そうだったのならば、こんなものだと諦めもついていたかもしれない。

 しかし、優しい母の姿を、はっきりと記憶していたとすれば、……乱心した母親の姿を見てしまった衝撃は、どれほどだっただろう。


 自分のせいだと思うのも無理は無いのかもしれない。自分と兄王子との一件が引き金となって起こったと思えば、なおの事だ。


 セレストの自分を責めてしまう性質は、これがあるからだと考えれば納得できてしまう。


「……でも、お祝いは、できなかった。母上は、父上の言葉に、急に大声を上げて、手当たり次第に物を投げつけて、僕にも父上にも投げられるものなら何でも投げてきた……兵士に取り押さえられても、ずっとずっと叫んでた……お前のせいだって」


 きっと、直視できないほど悲惨な光景だったに違いない。


 ヴァイナスは、周囲から添え物だなんだと揶揄されつつも、家族仲はいい方だった。


 王である父は、母以外の妻は持たなかったので、妻同士の争いや腹違いとの確執とも無縁で育ってきた。


 だから、記憶にはいつもニコニコと笑う母しかいない。

 そんな母が、いきなり自分に攻撃的になり奇声を発しながら暴れたら……、そんな事、考えたくもない。


 だが、そんな考えたくもない状況を、わずか六歳で経験してしまったのが、セレストなのだ。


(お前のせい……)


 それは、セレストに向けていったのか。それとも、自分たちを守ってくれない王に対してだったのか。

 どちらにせよ、結局はその言葉がセレストを縛ってしまったのだ。


 王妃は、そのまま離宮で療養の日々を送ることになったという。


 ヴァイナスは、セレストに対してもういいと言ってやりたかった。

 もう充分だから、これ以上は言わなくてもいいと。


 しかし、セレスト自身はなおも語るつもりでいる。そして、教えてほしいといったのはヴァイナス自身である。


 ならば、ここで遮るべきではない。

 核心に至るまできかなくてはいけない。

 それが、過去を掘り返した責任だ。


 ヴァイナスは「もういいよ」という、優しいけれど救いにはならない言葉を、飲み込んだ。

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